もうチョットで日曜画家 (元海上自衛官の独白)

技量上がらぬ故の腹いせにせず。更にヘイトに堕せずをモットーに。

京都市長選と投票行動について

2020年02月05日 | 社会・政治問題

 京都市長選で、与野党5党が推薦する現職が当選した。

 選挙戦中盤までは、共産党とれいわ新撰組(以下、新選組)が推薦する対立候補当選の可能性も取り沙汰されていたが、5万票の差を付けられての敗北であった。対立候補当選の可能性は、前回の参院選で共産党候補の獲得した票に新選組が獲得した3万票を加えれば拮抗または凌駕できるとしたことに依っている。しかしながら、国政選挙と地方選挙では有権者が期待するところ(利害)が大きく異なるとともに、選挙協力の在り方に対する疑問・不信感が投票結果に表れているのではないだろうか。共産党の基礎票はある程度ゆるぎないものであろうが、参院選に於いて新撰組に投じられた票の多くが、いわゆる浮動票で新選組への人気投票に近かったとも報じられている。前にも書いたところであるが、新選組の政策提言を良く読めば総花式のバラマキであり、どれ一つとして実現可能な物には見えないし、参院に議席を得た議員の活動についても一部の人に対する権利・擁護を主張するもので万民の福利に努めているものでは無いように感じられる。加えて山本太郎代表の大人げない・灰汁の強いパフォーマンスは、長きにわたって人を引き付けるものでは無く、新選組は既に「底が割れた政党か」とも感じっられる。野党の選挙協力に対する不信感について考えてみると、先の参院選で新選組に投票した人も、反自公の意思表示・受け皿として新選組を選んだが、共産党との共闘関係には疑問を感じる人が多かったのではないだろうか。近く予想される衆院選においても、多くの選挙区で共産党を含んだ選挙協力が行われるであろうが、反自公勢力のそれぞれを1+1=2と算術計算することの愚かさは今回の京都市長選で示されたのではないだろうか。現在枝野立民を中心に進められている選挙協力は政策合意・協力ではなく安倍政権打倒の1点でのみ合意したものであり、政策合意を抜きにした選挙協力が算術計算通りに推移して自公政権を打倒し得たとしても、その政権が日本を何処へ導こうとするのだろうかは全く見えない。

 今回の京都市長選と野党の選挙協力を眺めると、「後は我々がうまくやりますので、黙ってハンコを押して下さい」という悪徳不動産屋の手口に近く思える。思えば、自民党で派閥の領袖を総理・総裁とするための派閥間抗争劇を野党が野合・数合わせと大合唱したのは、ほんの四半世紀前である。現在の野党の選挙協力は、将に自民党の派閥抗争を想起させるものであるが、共産党まで加えることの不条理はとても理解できないものである。