もうチョットで日曜画家 (元海上自衛官の独白)

技量上がらぬ故の腹いせにせず。更にヘイトに堕せずをモットーに。

モザイク報道に思う

2020年02月25日 | 報道

 高価な金魚が盗難に遭ったことが報じられた。

 また丹精していた花を持ち去られた報道もあったが、それらの多くは犯行を疑うに十分な監視カメラの映像とともになされるが、画像は一様にピンボケ処理されて人物の特定に繋がる頭部・顔面はモザイクが掛けられている。被写体の人物が事件と無関係であった際の抗議・訴訟を危惧しての処置であろうが、なんとも及び腰の報道姿勢と物足りなく思う。法治国家では何人も判決までは推定無罪であるというが、日本では逮捕された瞬間から氏名はおろか顔写真や私生活まで晒され・報道されるのが常である。この現象を考えるに、報道機関は警察・検察の逮捕という判断には誤りがないとしているのか、逮捕した瞬間から肖像権などの個人の人権が失われるとしているのか、各社が足並みを揃えることで1社が負う賠償責任等の負担が少ないとの算盤勘定によるものかは不明であるが、究極のところ「赤信号、みんなで渡れば怖くない」と云う安易な判断・姿勢であるように思える。そこには、メディアは市民生活の安寧に寄与する又はそれの一翼を担う公器であるという使命感が全く感じられない。松本サリン事件では自宅に農薬を持っていただけの市民を任意での事情聴取段階から実名で報道し、結果的には彼に社会的な損害・制裁を与えたが、報道各社の事後検証や報道では「警察が間違っていたから自分たちも間違えた」とし、一転して警察の見込み捜査や誤認を問うものになった。また、個人情報の管理・取り扱いが厳格化された最近でも、ピンボケ・モザイク報道された煽り運転の同乗者と間違われた人が大きな迷惑を被ったことも思い出される。タイで逮捕された特殊詐欺グループもモザイク報道されたが、日本では逮捕された瞬間から氏名・顔写真が報道される基準とは異なっており、日本の警察は信用しているがタイのそれは信用できないということであろうか。

 一度口に入れたおでん種を鍋に戻したり、アイスクリームストッカーの中で寝そべったり、目立ちたがりのユウチューバーは後を絶たないが、それらの報道の全てがモザイク映像でなされる。刑法に引っかかるかどうかの行為で、かつ少年法との兼ね合いもあると思うが、例え軽微な行為であっても社会通念から逸脱し風紀を乱すものであったならば、メディアは社会通念維持の信念と、損害賠償請求を受けて立つ勇気をもって鮮明な映像で報道すべきではないだろうか。もしそれらが持てないのであれば、全ての事象について判決確定まで沈黙を貫くのが筋と思う。ささいな悪行であっても顔写真が衆目に曝されることの恐怖は、社会的に十分な抑止効果を発揮する以上に、本人(特に若年者)にとっても行為の代償を知るきっかけとなるものと思う。