もうチョットで日曜画家 (元海上自衛官の独白)

技量上がらぬ故の腹いせにせず。更にヘイトに堕せずをモットーに。

スリランカの同時多発テロと内戦を学ぶ

2019年04月23日 | 軍事

 スリランカ(我々世代にはセイロン)で同時多発的な大規模爆破テロが起き、日本人(1名死亡、4名負傷)を含む多くの死傷者が発生した。

 現時点では、どの組織からも犯行声明が出されていないが、6か所で自爆テロが行われたこと、教会(復活祭)や高級ホテルが攻撃対象であること、80個近い爆発物が押収されたこと、犯行に関与したとして24名が拘束されたこと、何より外国の情報機関から10日以上前にテロの危険性が通報されていることから、国際的なテロ組織(IS若しくはアルカイダ)の関与が推測される。テロ攻撃を受けたスリランカは直ちに夜間外出禁止令を出し翌日には国家非常事態を発令したが、内戦の再燃を懸念する声も聴かれるので、スリランカの内戦について勉強した。スリランカは多民族国家で宗教も各民族ごとに特徴的であり、人口(2100万人)うちシンハラ人(70%:主に仏教徒)、スリランカ・タミル人(15%:主にヒンズー教)、イギリス植民地時代にプランテーションの労働力としてインドから移住させられたインド・タミル人(5%:主にヒンズー教)、ムーア人(9%::主にイスラム教)とされているが、キリスト教信者には民族的な特色は無いようである。内戦は、1983年からスリランカ政府とタミル・イーラム解放のトラ(LTTE:毛沢東主義)によるもので、2009年にスリランカ政府軍がLTTE支配地域を制圧して26年にわたる内戦は終結した。原因は、イギリスが植民地経営の常套手段である「少数の民族(階級)を優遇して多数を制御させる」政策でタミル人を優遇してきたために、独立後もタミル人が優遇されていたことに多数派のシンハラ人が分離独立を要求したことに端を発しており、その後は、スリランカへの影響力を維持したいインドと中国の代理戦争の様相を帯びて混迷し長期に亘ったものであると理解した。宗教を否定する中国が加担したことでも明らかなように内戦自体には宗教対立の色合いは無く、近年になり仏教徒とキリスト教徒の衝突は伝えられるものの、イスラム教徒に対する特段の排斥や差別は起きていないようである。以上のことから今回のテロは、スリランカ国内での民族対立や宗教対立ではなく、攻撃対象や規模から考えても国外のイスラム原理主義組織が計画・支援・実行したものとみて間違いはないだろうと推測できる。 

 スリランカでのテロは日本にとっても参考とすべきであり、イスラムとまァまァ共存できている現状からテロの危険性が少ないと考えるのは危険である。攻撃は防御の甘い国や防御の盲点を衝くのが常識であり、警戒心・水際防御能力・監視能力においては脆弱と思われる日本は格好の攻撃目標となり兼ねない。共謀罪法と呼ばれたこともある組織的犯罪処罰法(テロ等準備法)が正常に機能するとともに、外国の情報機関からもたらされたテロ情報が政局優先の官僚・大臣の机上に放置されることがないことを望むものである。

 


フランス人が消える

2019年04月22日 | 社会・政治問題

 フランスの黄色いベストデモが再燃・暴徒化したことが報じられた。

 同デモは、フランス政府が石油税増税延期と最低保証賃金(増加分の公金支出)等を表明したことで鎮静若しくは終息する可能性を指摘されていたが、今回の暴徒の主張には、ノートルダム大聖堂の修復・再建に多くの寄付が寄せられたことに対して「我々にも寄こせ」という点が新たに加えられたと報じられている。大聖堂の火災時には、遺産の災禍に涙する人や祈りを捧げる人の姿が放映されるとともに、グッチ等がこぞって多額の寄付を申し出ていたので、キリスト教に基づく寄付行為や教義と遺産保存の精神はフランス人に受け継がれており、流石「文化・芸術の国」と感じ入っていたが、寄付が1200億円にも達したことから風向きが変わったのかもしれない。前にも書いたことであるが、フランス人労働者は日本人が高額とも感じる賃金と失業給付を保障されており、統計からみても「それほどの余裕はないにしろ食うに困る」状態ではないとされている。にも拘らず大聖堂に回す金を自分に寄こせというのは、金のお卵を産む鶏を殺してしまうイソップ(?)寓話さながらで、そこには国家の将来に斟酌しない功利的な集団の存在が見て取れる。何よりも恐れるのは、彼らがキリスト教的バックボーンを失った、または、もともとキリスト教的な価値基準を持たないイスラム系移民ではないだろうかということである。本ブログでも異文化・異教徒の移民は決して移住した社会に同化しないため、際限のない移民受け入れは移住国の文化を荒廃もしくは破壊すると主張している(東欧やドイツで伸長している極右政党も同様に主張)が、今回のデモから既に現実的な脅威として見て取ることができると思う。既にフランスでは小規模ながら徴兵制を復活して、若年層の意識改革を行っているが遅きに失した感があり、フランス人は消えつつあるかの印象が拭えない。

 日本国民としてのアイデンティティが多様化するとともに、外国人労働者の増加に伴って日本各地にコリアン・ブラジリアンタウンが出現し、中国人はアパートを占拠する等の移民被害も報じられている。フランスの黄色いベストデモを他山の石として、日本も若年者(一部の壮・老を含む)に対しての情操教育を考える時期にあると考える。移民による日本文化破壊は「今そこにある危機」といっても過言ではない。
 先日「パリは燃えているか」の映画について書いたが、翌日の産経抄で同様のことが書かれており、映画が巨匠ルネ・クレマンの作品であることが書かれていた。そこまで書いておれば産経抄の足元くらいには近寄れたのにと思うと、なお一層の力不足を感じるところである。


エジプトの改憲と総理の任期を思う

2019年04月21日 | 与党

 エジプトで大統領の任期延長を柱とする、憲法改正の国民投票が始まった。

 エジプトの現行憲法では大統領の任期は2期8年とされているが、改憲下では2期12年となるとされている。更には新憲法では大統領権限が強化さることから、国民や政治家の一部にはシーシ-大統領の独裁化を懸念する向きも伝えられているが、治安の回復に手腕を見せてエジプトを安定させたことから国民の支持を得て憲法改正は実現するものとみられている。現在、多くの国では、民族主義・国家主義的ポピュリズム勢力が伸長しており、為政者はポピュリズムの制御に腐心しているように感じられる。アメリカ、ロシア、韓国の為政者の例にみられるように、政権基盤自体がポピュリズム層である場合も多い。21世紀はグローバリズムの時代と言われていたが、蓋を開けてみれば世界はますます自国の殻に閉じこもろうとしているように感じられる。自国の殻に閉じこもるためには外圧に対して強固に対抗できる強い指導者が必要であり、その好例がエジプトであるように思える。多くの国では元首の任期を定めるとともに多選を禁じているが、習近平氏は党則を改正して終身国家主席の座を得たし、プーチン氏は傀儡大統領を挟むという裏技を使って20年以上も権力の座に君臨している。日本は、総理大臣の1回の任期は規定しているものの多選は禁じていない。現在、実質的に総理大臣の多選を禁じているのは自民党が党規約で「総理大臣は総裁が務め、総裁は3選まで」と定めて居ることだけである。野党第1党である立憲民主党の規約を読んだが、代表の任期は定めているものの多選に触れたものは無く、政権を取った後に総理大臣の人選や多選に関する規約もなかった。現在、安倍総裁の4選が世情を賑わしているが、改憲論議の中に総理大臣の多選条項を設ける是非についても盛り込むことが必要ではないだろうか。そうでなければ枝野総理が際限なく続く可能性が残されていることになる。

 為政者や政治家がポピュリズムに配慮する、若しくはエジプトのようにポピュリズムを利用するかは別にして、国民が強い指導者による長期政権を求めることはグローバリズムの衰退に伴って、国際的な潮流になるものと感じる。安倍4選の議論に当たっても功利的・党利的な視点を捨てて、国益にかなう選択を望むものである。



週刊文春 のんさん問題に思う

2019年04月20日 | 芸能

 NHKの連続テレビ小説「あまちゃん」で一世を風靡した俳優「のんさん(能年玲奈から改名)」の元所属芸能事務所が週刊文春に名誉棄損・損害賠償を求めていた裁判で東京地裁は文春敗訴の判断を示した。 

 週刊文春の記事は、事務所が能年玲奈さんに過酷な労働を強いたとするものであるらしいが、裁判所が文春に賠償を命じたことから誇張や虚偽の内容が含まれていたものと思われる。文春側が判決を不服として即日控訴したことから、真偽は不明ながら今回の裁判では次の点に疑問を感じる。1は、1億3千万円の請求に対して裁判所が命じた金額は660万円であるように、「賠償金額が少な過ぎる」ことである。賠償請求には、単に名誉回復のためだけに請求金額を1円とするものから、名誉棄損の賠償と実質的な逸失利益を合わせて高額の請求となるなど様々であるが、今回の例は後者であろうと推測する。ハリウッド映画では、陪審員が原告の請求金額以上に被告側に懲罰的な賠償金額を加えて高額な賠償を命じることが度々描かれるので、アメリカでは現実に行われていることと思われる。「筆禍」といわれるように、一旦活字媒体に乗せられた「虚偽」は、出版社の手を離れた瞬間から独り歩きを始めて長期間世間に流布して被害者を傷つけ続けることになる。今回の判決では原告の主張の一部を認定したとされているが、「筆の暴力」を考えれば余りにも少なすぎる印象が拭えない。2は、被告の文芸春秋社が判決に対して「芸能界健全化の流れに逆行し、今後の勇気ある告発をためらわせる契機になりかねないもので、到底承服できない」とコメントしたことである。問題の記事は「国民的アイドル女優はなぜ消えたのか?」というゴシップ記事に類するもので、もともと芸能界の健全化という正義感に基づくものではないだろうと邪推する。高々「売らんかな」の精神で他人をあげつらう程度の記事を、社会正義や表現の自由に転嫁する文芸春秋社の社風には、とてもジャーナリズムとは呼べないものではないだろうか。「春秋の筆法」なる言葉があり「間接的原因を結果に直接結びつけて厳しく批判するやり方」と解説されているが、安保関連法を「戦争法・徴兵制の復活」と断じた野党や一部ジャーナリストが印象操作として好むレトリックである。文芸春秋社の社名に使用されている「春秋」には、「春秋の筆法による針小棒大の記事によって印象操作を生業とすることを社是とする」との明確なメッセージが込められているのではないだろうかとさえ考えるところである。

 「春秋の筆法」は、孔子が論語を編纂するに際して採った手法が語源とされ、一般的には事実の過大評価を戒める際に使用されるが、現在ではさらに進歩して、東電吉田証言や慰安婦吉田証言を意図的・恣意的に使用した朝日新聞の例にみられるように、虚偽を巧みに入れ込んだ手法に変化しているように感じられてならない。


3種の神器を学ぶ

2019年04月19日 | 天皇・皇室

 今上陛下が伊勢神宮に御代代わりを御報告するため、天皇としては最後になる行啓が行われた。

 行啓と伊勢神宮参拝には、皇統継承の象徴である3種の神器のうち剣璽を携行されてお宮内庁職員が奉持する姿も放映されたが、記憶を新しくする意味から改めて3種の神器について勉強した。3種の神器は改めて述べるまでもないことであるが、八咫鏡(やたのかがみ)、八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)、天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)であり、八尺瓊勾玉(璽と称される)のみは宮中に祭られているものの、八咫鏡は御神体として伊勢神宮に、天叢雲剣(剣と称される)は御神体として熱田神宮にそれぞれ祭られており、皇居には八咫鏡と天叢雲剣の形代(模型)が安置されている。神話については割愛するが、3種の神器の形状は残された資料の研究によって、戦乱や火災のために神武天皇即位時とは異なるものとされているが、皇統の精神性については連綿として継承されていると思う。3種の神器の形状・詳細については明らかでなく、唯一明治天皇が八尺瓊勾玉をご覧になったことが記録されているだけとされている。想像であるが、伊勢神宮や熱田神宮の造営・改修に携わった人々や、剣璽の容器の作成・補修に従事した少なからぬ人々が目にしたであろうが、今に至るまで詳細が明らかとならないのは喜ぶべきである。目にしたであろう3種の神器について、知り得た秘密を家人にすら語ることもなく墓場まで持って行った多くの人々かいたからこそ実現したものであり、永遠に続いて欲しい美徳である。今回、陛下の行啓に携行された神器であったが、あそこまで一般の目に触れるように公にする必要があったのであろうかと些かの疑問を感じた。奉持する職員は屈強でもなく、映像で見る限り神器を警護する集団の存在も感じられなかった。神器が皇室だけのものではなく広く国民が目にする機会を与えたいという陛下のお考えによるものかと忖度するものの、天皇制に反対する国内外の勢力にとっては、皇統の象徴を汚すことは格好の標的であると思われるので、もう少し厳重な警備であってもよかったのではないだろうか。

 先日、大火災で尖塔が消失・崩落したノートルダム大聖堂では、所蔵品である「いばらの冠(キリストが磔刑時にかぶっていたとされる)」が無事であることが報じられた。無神論者である自分としては、その真贋には少なからぬ疑問を感じているが、信者にとっては「いばらの冠」の裏にあるキリストの精神を感じれば十分であり、真贋は問題ではなく論じることすら奇異に感じるだろう。同じように3種の神器も「日本教」の象徴であり、神器の真贋はとるに足りないもので、況や科学的な検証等は不要であるとともに、形状や現況が明らかとされることは望まないところである。