一寸の虫に五寸釘

だから一言余計なんだって・・・

会社法の会計監査人と金商法の監査人

2009-12-04 | 法律・裁判・弁護士

企業法務の人向けにタイムリーでわかりやすい記事をいろいろな弁護士が書いていて、昔の「週間住宅情報」のビジネスモデルを拝借した弁護士紹介雑誌というのが裏の顔ではないかと思われる雑誌「ビジネス法務」の2010年1月号「新年号特別座談会 会社法と金商法の交錯(前)」  

大御所稲葉先生を持ち上げながら、という配慮がうかがえる座談会ではありますが、おもしろかったのが、会社法の会計監査人と金商法の監査人の関係の話。



尾崎安央氏 
何となく、プロの監査人の方々は、自分たちは金商法の監査を行っているというイメージは持っておられるが、会社法上の会計監査人の仕事を行っているというイメージはあまり持たれていないように思うのです。


稲葉威雄氏 
会計監査人と金商法上の監査人とは、制度の趣旨ひいてはその対象が異なっているため昭和49年の段階では独立の制度にするほかなかった。  

それに加えて、会計監査人監査は、上場というような実利と直接結び付いていないため、それ自体を推進・拡充することに困難があって、証取法監査を後追いせざるを得なかったということがあって、主流の制度になりえませんでした。  

会計監査人についての公認会計士の意識については、その沿革つまり会計監査人監査が後追いで導入され、公認会計士という業界の所管官庁が金商法の所管官庁だということが要因だろうと思いますが、金商法の方を向いていることは否定できません。

大体、監査報告書が、会計監査人ではなくて独立監査人という表示で書かれているのです。これはおかしな話であって、会社法上の会計監査報告については、会計監査人の表示、肩書を使うべきであるというのが私の意見なのですが、なかなか公認会計士の人は聞いてくれません。


言われてみればそんな感じはあるかも。 

「上場というような実利と結びついていないため」とぶっちゃけておっしゃってますが、ここがけっこうポイントで、監査対象企業からの報酬を収益にしているという公認会計士の規律をどうするのかというのが問題になるわけです。

ところが実はこの規律が・・・というのが  



松尾直彦弁護士 
金商法上の監査人の選任、解任、不再任、報酬についてのガバナンスが金商法上はないのです。  
会社法上の会計監査人と金商法上の監査人を同じものが行っているということですが、株主総会で選任されているのはあくまでも会計監査人であり、金商法上の監査人については、法的には株主総会で選任されていないのです。  
ここのガバナンスが実は欠けたままであるというのは以前から悩みの種でした。なぜかというと、アメリカの2002年企業改革法(サーベンス・オクスリー法)に対応する際に、米国で上場している日本企業の財務諸表を監査する会計事務所の選任・解任・報酬の規律について、米国SECに対して日本の制度の同等性をどう説明するか、という問題があったからです。結局会社法を援用し、アメリカ側がそれで了解したので同等性が認められたのです。私はその頃から問題意識を持っているのですが、いまだに解決されていません。  


って、松尾氏は立法担当者だったんだろ?というつっこみはさておき、結局ここのガバナンスの部分を金融庁が監督官庁として肩代わりしているというのが現状なのでしょう。 

ただそのスタイルは当世風ではないですよね。

 

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大久保議員の公開会社法草案の講演

2009-11-27 | 法律・裁判・弁護士
TMI総合法律事務所の創立20周年記念講演会「民主党公開会社法プロジェクトチーム事務局長が語る「公開会社法」」に参加させていただきました。

講演は民主党公開会社法プロジェクトチームの大久保勉参議院議員

雰囲気は大久保議員のブログで簡潔にまとめられています。

大久保議員も淡々と、また、法案としての優先度は最上位ではないこと、民主党の支持母体のひとつである連合の意向を反映しているところなどを正直に話していました。
ただ、説明の多くを問題意識とプロジェクトチームの審議の経過に時間を割いた分、逆に各論はこれからのようです。

講演後の質疑が30分以上とこの手のセミナーにしてはかなり盛り上がりました。
中には「ホントに困るんだけど」風な質問・意見もありましたが、この手の話は本当に困るならあまりガチンコで反論すると、関係業界(商事法務などの出版社や弁護士事務所・学者先生など)が盛り上がってかえって立法前提の雰囲気になったりしてしまうしまうので、逆に放っておいたほうがいいような気もしますが。
(出版業界では「会社法バブル」「金融商品取引法バブル」の次は「債権法改正バブル」か「公開会社法バブル」かと期待する向きもあるようで・・・)


大久保議員のブログにもあった「従業員の代表者を監査役会に入れることに関して賛否両論がありました」については、具体的には監査役に就任した従業員の身分はどうなるのか、監査役の任期が満了した場合従業員として復帰できるのかという質問に対しては「重要なご指摘」と素直に未検討であることを認めていました。
確かに監査役の4年間分のキャリアはどうなるんだろう、逆に定年間際の人ばかりになると機能するのかというところは論点としてありますね。


ちなみに監査役になるのは「従業者代表」であって「労働者代表」ではないところがポイントで、別に組合員から選ばなくても、管理職などの非組合員でもいいということなんだそうです。
この辺、前のエントリは誤解があったようです。
一方で連合が監査役候補者を推薦するしくみなどにも言及してましたがこのへんが「配慮」なんでしょう。


また、「社外取締役の独立性を強化し、人数を増やすことには、実務家ならではの色々な指摘が有りました」というところは、上場企業でも新興市場の小さい会社では独立性の要件を満たす取締役を確保できないのではないかという意見がありました。
これに対しては、大久保議員から一定の規模等で要件を緩和する、というアイデアが出されましたが、「公開会社」として資本市場から資金を調達する企業であれば一律に適用するのが本来の筋(法制化するなら、要件を満たせない企業は上場させない、と言うべき)だと思います。


あと、親子上場とか持株会社による代表訴訟の遮断などに対応するために企業集団を基本単位として取り扱うという部分があります。
そして「子会社債権者に、親会社および親会社取締役に対する損害賠償責任を認める」例として、上場企業の子会社を外資(モルガンスタンレー出身の大久保議員が「望ましくない相手」として外資を頻繁に例に出すのがちょっとおもしろかったですが)などに売却されてしまったときに、親会社から転籍した従業員が債権者として損害賠償を求めることができる、というような話をあげていました。

確かに株主代表訴訟を遮断するために会社分割をするような行為は何らかの歯止めをかけたほうがいいと思いますが、従業員を含めた債権者についても親会社を訴える権利を認めるというのは、「公開会社法」の目的とはずれてきているように思います。
会社分割などはそもそも会社法で認められている以上上場企業に限ったことではないにもかかわらず、上場企業(グループ)の従業員や債権者だけに特段の保護を与える理由が乏しいんじゃないでしょうか。
このへんはきっちり詰めないと、かえって企業の上場意欲を阻害しかねないように思います。

※ 最後の部分はボーっとしながら聞いていたので誤解があったかもしれませんのでご承知おきを。
 
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鞆の浦 埋め立て差し止め判決

2009-10-02 | 法律・裁判・弁護士

「トトロの森を守れ!」という開発反対の住民のスローガンをよく見かけるのですが、今度はポニョまでかつぎだされました。

屋久島では「もののけ姫の森」(現在はその名称は正式には使われていませんが通称として残っています)というのもあります。


宮崎駿はだんだん弘法大師化しているような・・・


鞆の浦 埋め立て差し止め 「景観は国民財産」計画26年、事業見直し 広島地裁
(2009年10月1日(木)15:45 産経新聞)  

万葉集に詠まれ、昨夏大ヒットしたアニメ映画「崖(がけ)の上のポニョ」の舞台ともされる瀬戸内海の景勝地・鞆(とも)の浦(広島県福山市)の埋め立て架橋事業をめぐり、反対派住民らが知事の埋め立て免許差し止めを求めた訴訟の判決が1日、広島地裁であった。能勢顕男裁判長は「鞆の浦の景観は住民だけでなく国民の財産というべき公益で、事業により重大な損害の恐れがある」として原告側の請求を認め、免許差し止めを命じた。  

歴史的景観が地元住民にもたらす「景観利益」保護のために大型公共事業を差し止める初の司法判断。免許認可をめぐる国の判断に影響するのは必至で、県と福山市の計画策定から26年の同事業は見直しを迫られることになる。  

能勢裁判長は判決理由で、事業について「公有水面埋立法には住民らの景観利益を保護する目的があり、慎重な政策判断がない限り計画は不合理」と判断。「侵害された景観利益は事業が完成すれば復元が不可能だ」と指摘した。  

そのうえで県側の主張していた渋滞解消や下水道整備といった利便性向上について「必要性、公共性の根拠について調査、検討が不十分。埋め立ては行政の裁量権の範囲を超えている」とし、差し止めが必要と結論付けた。

行政訴訟については詳しくないのですが、手続の瑕疵でなく判断の中身まで踏み込んだ判決は珍しいのではないかと思います。
公有水面埋立法(大正10年の法律なんですね)を見ると  

第四条  都道府県知事ハ埋立ノ免許ノ出願左ノ各号ニ適合スト認ムル場合ヲ除クノ外埋立ノ免許ヲ為スコトヲ得ズ  
一  国土利用上適正且合理的ナルコト  
二  其ノ埋立ガ環境保全及災害防止ニ付十分配慮セラレタルモノナルコト
三  埋立地ノ用途ガ土地利用又ハ環境保全ニ関スル国又ハ地方公共団体(港務局ヲ含ム)ノ法律ニ基ク計画ニ違背セザルコト
四  埋立地ノ用途ニ照シ公共施設ノ配置及規模ガ適正ナルコト
五  第二条第三項第四号ノ埋立ニ在リテハ出願人ガ公共団体其ノ他政令ヲ以テ定ムル者ナルコト並埋立地ノ処分方法及予定対価ノ額ガ適正ナルコト
六  出願人ガ其ノ埋立ヲ遂行スルニ足ル資力及信用ヲ有スルコト

とあり、この1号から3号に反するということでしょうか。
「環境保全」というのが立法当時「景観」も含むと意図されていたのかは微妙な感じもしますがそのへんは社会通念の変化ということなんでしょう。

確かに埋め立てて湾を横切る全長約180メートルの橋を作ることと渋滞解消(そもそも渋滞があるのでしょうか)や下水道整備(橋や埋め立てとは関係ないような)の整合性はついていないようにも思います。


環境保護派に追い風が吹いているのか、単に無駄な公共工事だったのかはわかりませんが、八ツ場ダムのように工事が進んでしまったものをやめようというのは政治の仕事、許認可がおりた直後に異議を申し立てるなら裁判所という役割分担の分かりやすい例にはなると思います。

そして、先日の「一票の格差」に対する最高裁判決の「仏の顔も三度まで」風な判決で国会がどのような対応をするかで教科書で習った三権分立が「分立」しているだけでなく全体で機能しているかが問われるわけですが。





 

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民主党公開会社法案

2009-09-16 | 法律・裁判・弁護士

14日の日経新聞朝刊の「法務インサイド」で民主党の公開会社法案、特に監査役会設置会社の監査役に従業者代表の起用を義務付けるということが取り上げられていました。  

実務的にはあまりあたふた騒がずに、具体的な法案になってからまじめに考えようと思っているのですが、会社法とかコーポレートガバナンスとか「会社は誰のものか」という学究的なことはさておき、気になったことは「労働組合」とか「従業者代表」という枠組みが十分に機能するのだろうかということです。  


池永朝昭弁護士のブログ民主党「公開会社法」案に落胆する経由で知ったのですが、  

上記コラム(=2009年8月18日の日経新聞朝刊の「一目均衡」)によると、背景は連合がまとめた「政策・制度 要求と提言」 で、金融危機や格差問題の背景に株主主権主義のまん延があるとして、従業員代表制の実現を求めたと解説されています。

というのがきっかけのようです。
その「要求と提言」をみると、
2010~2011年度の政策課題>1.持続可能で健全な経済の発展>産業政策>要求の項目のところに 

5.労働者の意見反映システムの確立等を進め、健全な産業・企業体質を構築する。 
(2) 多様なステークホルダーの利益への配慮も含む企業統治や企業再編時の労働者保護を実現するための会社法制を整備する。また、企業の不祥事や法令違反を抑止するために、監査役・監査委員会の構成員に労働組合代表あるいは従業員代表を含める等、監査の機能および権限の強化をはかる。なお、現行の株主代表訴訟制度については、ガバナンスを効かせるために維持する。

とあります。  
まあ、現状の株式会社が経営TOPに対してガバナンスが十分でないという部分は確かにあるので、民主党案の価値判断とか理論的整合性を認めたとしても、「従業者代表の監査役」にもけっこう難しい点があるように思います。  

① 「従業者代表」の選び方 
従業員の過半数が単一の労働組合に属していればいいのですが、昨今の雇用形態の多様化によって組織率が50%を切ったり、複数の組合がある企業も多いと思います(話題のJALなどはパイロット・客室乗務員・整備職員・地上職など職種ごとにいくつかあったような)。その場合に従業者代表はどのようなプロセスで選べばいいのでしょうか。 
うがった見方をすると、連合の提言はその傘下の労働組合の地位を強化しようという風にも読めます。 
また、過去には労働組合幹部がひとつの利権ポジションになって企業の硬直化をもたらした例もあります(昔の日産自動車の塩路天皇が代表例でしょうか。最近だと神戸製鋼の労組系議員選挙資金の肩代わりとかもありました。) 
なので、この制度が労働組合(連合)という既存の組織を前提とする限り、必ずしもバランスのとれた「多様なステークホルダーの利益への配慮」が実現しない恐れがあるように思います。  

② 「現在の従業者の代表」は正規労働者としての雇用のハードルをより高くすることにならないか 
①の問題点が解決されたとしても、従業者の互選で選ばれた代表はあくまでも「現在の従業者」の代表です。したがって、彼らのインセンティブは現在の従業員の賃金や雇用を維持する方向に働きます。 「パイの確保」を目的とすると、それは非正規雇用の増大をもたらしたりパイにありつく正社員をあまり増やすなという主張につながる可能性があります。 
それはあまり健全な企業のガバナンスにはならないように思います。 
その欠点を補うために、高い見識を持つ連合お墨付きの人物を監査役にする、ということもあるのでしょうが、それが個々の企業の従業員に支持されるかは疑問だと思います。  

③ 従業者との協議のルートの複線化 
監査役は従業者代表として取締役会に出席する等で意見を述べるわけですが、それこそ「多様なステークホルダーの利益への配慮」が必要なので、ときにはリストラを是としなければならないことなどもあると思います。 
これについては本来労働関係法規に基づいて経営陣や人事・労務担当が労働組合・従業者と協議したり同意を取り付けたりするわけですが、「従業者代表」監査役も従業者に対して一定の説明責任を負うことになるのでしょうか。
そうでないとしても、従業者から「なぜ取締役会で問題を指摘しなかった」という非難は浴びそうです。
これが何回か繰り返されると、結局従業者代表監査役は従業者に少しでも不利なことはすべて異議を唱えるという存在になってしまう可能性もあります。 
逆にいえば、ずるい経営者からは従業者代表監査役に「露払い」をさせたり「アリバイ作り」に使われかねません。   

法案を作るに当たっては、労働法制以外に会社法の中で、どのような従業者代表のどのような意見をどのような形で反映させるのかを具体的につめたほうがいいと思います。

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インサイダー取引課徴金に関する初の審判

2009-09-11 | 法律・裁判・弁護士

制度は平成17年4月から導入されたにもかかわらず、審判手続にかかるのはは初めてだったんですね。

インサイダー取引の課徴金めぐり初の審判 金融庁
(2009年9月10日22時14分 朝日新聞)  

審判は、課徴金納付を命じられる対象者が、監視委の勧告に不服を申し立てた場合に開かれる。審判官が対象者と監視委の双方から主張を聞き、課徴金納付命令を出すかどうかを公開で審理する。05年の課徴金制度導入後、90件の納付命令が勧告されたが、事前に違反事実を認め、審判を開く前に金融庁から納付命令が出されたケースがほとんどだった。  

課徴金制度は、刑事罰のように時間や手間をかけなくても行政処分が出せるようにするために導入された。勧告件数は増える傾向にある一方、公開の審判に出ることを避けたいとして、不服申し立てを見送るケースがあったとみられている。ただ課徴金の額は少額でも、納付命令が出れば、懲戒解雇といった重い処分を対象者が会社から受けることが多い。今後は、事実関係を争う事案が増える可能性もある。

制度の詳細は金融庁のサイト「課徴金制度について」をご参照。  

サラリーマンにとっては死活問題なので、今回のように自分名義の口座でない場合はとことん争うというケースも増えてくると思います。
(対象者が審判の結果に不服の場合はさらに「課徴金納付命令決定の取消の訴え」もできるようです。)  


この審判ですが、個人が家族名義の口座で取引するような場合は、法人と違って書類や通信記録は残っていないことが多いでしょうから、「指示」をどのように事実認定するかは大きなポイントだと思います(「シラを切りとおしたら勝ち」という先例を作りたくもないでしょうし。)。
また逆に、証券取引等監視委員会の取調べのありかたが問題になったりするかもしれませんね。  

しばし注目です。

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麻薬犯罪へのリーニエンシーの導入

2009-08-12 | 法律・裁判・弁護士
独占禁止法では、カルテルなどの違法行為を最初に自白した企業には課徴金を減免する、リーニエンシーという制度がありますが、麻薬事犯にもこれを導入したらどうでしょう。
麻薬所持者や使用者を一人一人捕まえててもらちがあかないし、大事なのは流通ルートを断つことです。
特に芸能人は身内贔屓のためか、すぐに復帰したりするので「逮捕されたのが運が悪い」という受け止め方なのかもしれません。

なので、まず麻薬関係の刑を厳罰化したうえで、他の所持者・使用者や売人を通報した場合には刑の減免をする、場合によっては通報した本人については公表もしない、といった制度を導入します。

そうすると、芸能人やお金持ち連中は、周りに捜査の手がまわってきな臭くなってきたら、自分だけは助かろうというインセンティブが働きます。

少なくとも、「知り合いの勧めでやる」というのはその知り合いに「売られる」リスクを負うので、拡大のスピードは落ちるはずです。

これは、仕事や家庭など守るもののある一般人の麻薬使用者についてもあてはまると思います。

また、金も守る物もない常用者にとっても、「万が一捕まったら売人を売ればいい」というインセンティブが働くので、そういう人に麻薬を売りつける側のリスクも高まることになります。

そしてこのメカニズムは、売人についても、末端に行ってチンピラになるほど「卸しを売る」ことに抵抗がなくなるという形でよりはっきりと現れるはずです。



効果あると思うんですけど、どうでしょうか?


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任意同行拒否のリスク

2009-08-10 | 法律・裁判・弁護士

「夏枯れに恰好のネタ」「たかが覚せい剤事犯で騒ぎすぎ」などと言っていながら3つ目のエントリになってしまいますが、「酒井法子容疑者逮捕」について。


実際に覚せい剤をやっていたかとか、やっていた場合の動機とかはあまり興味がないのですが、NHKまでニュースで取り上げているのでいろんな情報が耳に入るなかでのちょっとした疑問。

「酒井容疑者の自宅を家宅捜索し、微量の覚醒(かくせい)剤を押収した」のが逮捕のきっかけだったようですが、夫が覚せい剤不法所持で逮捕されたからといって、別居中の妻の自宅の強制捜査(本人がいなかったのだから捜査令状をとって立ちいたはずです)が当然に認められるのか?


逃亡酒井容疑者の夫「妻も使用していた」(2009年8月8日(土)09:51 日刊スポーツ)
によると

警視庁によると、覚せい剤と吸引器具が押収されたのは酒井容疑者が別居後に住んでいた都内の自宅マンション。高相容疑者は普段立ち寄っていなかったため、警視庁は覚せい剤が酒井容疑者のものと判断して逮捕状を取った。高相容疑者も「自分のものではない」「妻も使用していた」と、酒井容疑者の覚せい剤所持を認める趣旨の供述をしており、警視庁では発見に全力を挙げている。  

酒井容疑者は3日未明、高相容疑者が東京・渋谷区の歩道で現行犯逮捕された現場に電話で呼び出された際、知人男性と車で現れた。高相容疑者はこの男性を「社長」と呼んでいたという。下着の内側にきんちゃく袋を隠し持った高相容疑者は、その中に微量の覚せい剤を所持していた。「精力剤が入っているから恥ずかしい」と所持品検査を拒む夫に同調した酒井容疑者は「下半身の薬だから見せられない」と警官に説明。簡易検査で袋の中身が覚せい剤と分かると、その場で大きく泣き崩れたという。  

「人目があるので交番に行きましょう」と渋谷署への任意同行を求められた酒井容疑者は「ここでいい、行く必要はない」と拒否。任意の所持品検査も尿検査も「絶対に嫌です」と拒み続け、「子どもを預けているから」と知人男性と車で立ち去り、そのまま行方不明になった。

この記事が正確だとすると、高相容疑者が「妻も使用していた」と供述したのは「自分のものではない」=酒井容疑者の自宅から微量の覚せい剤を押収したあとです。

そもそも高相容疑者の逮捕の時点では酒井容疑者行動をともにしておらず、「電話で呼び出された」わけで、しかも別居中の妻が覚せい剤を所持していると疑う合理的な理由はあまりないと思います。

一方で、令状が出たということは裁判所に対してその必要性を疎明して、それが認められたわけです。(犯罪捜査規範(昭和32年7月11日国家公安委員会規則第2号)139条、詳しくはWikipediaなど参照)


ではこの「必要性」はどのようなものだったのでしょうか。


警察署への任意同行はあくまで「任意」で、同行を拒否したからといって当然に怪しいと思われる謂れはないはずです(そもそも任意同行を求めた警察官の誤った思い込み、と言うこともあるわけですから。)。

親族から捜索願が出たので手がかりを探すために捜索したら覚せい剤が出てきた、というなら分かるのですが、
「主人に勧められ、覚せい剤使用」酒井容疑者 (2009年8月9日(日)17:53 読売新聞)
によると、

今月3日に同庁が行った酒井容疑者の自宅マンションの捜索で、化粧品などを入れていた酒井容疑者のポーチから微量の覚せい剤が発見されたほか、ストローなど大量の吸引器具も押収された。また、同庁が吸引器具の吸入口の付着物を鑑定した結果、酒井容疑者のDNA型と一致していた。

とあり、一方で
酒井法子容疑者に逮捕状=覚せい剤取締法違反-夫逮捕後に失跡・警視庁(2009年8月7日(金)12:03 時事通信)
によると

高相容疑者の母親が4日、警視庁赤坂署に捜索願を提出。

と捜索願が出たのは8月4日なので、捜索願が出る前に令状を取っているようです。


こう見ると、任意同行を拒否すると当然に犯罪の嫌疑をかけられる(少なくとも捜索の必要性はありと裁判所にも認められる)というのが刑事司法の「相場」のようです。

なんかその「相場」自体が本当にいいのか、とも思いますが、少なくとも現時点では、任意同行を求められた場合に応じない、というのはリスクがあるということのようです。
一方で、痴漢の冤罪の場合は絶対にやってないのであれば身元を明らかにしたうえで毅然として任意同行を拒否したほうがいい(そうでないとその場で問い詰められて犯人に仕立てられてしまう恐れがある)という話もあります。

実際問題としては、警察官に任意同行を求められたがどうしても行きたくない、ということであれば、弁護士を呼ぶなりしたほうが安全かもしれませんね。
(でも、こういう「いざ」というときがないと、弁護士を頼むことはない、という「鶏と卵」の難しさもあります。)


心配しだすときりがありません。

「悪いことをするとおまわりさんが来るよ」という親の教えはやはり守ったほうがいいのかもしれません。
または、事件に巻き込まれるといいことはない、ということになると、みんな見て見ぬふり、という世の中になってしまいそうです(そのひどい例が目の前で女性が薬物で発作を起こしているのに救急車も呼ばなかったといわわれる別の芸能人ですが)。


ところで、今回酒井容疑者が「容疑者」になったきっかけは、わざわざ高相容疑者が所持品検査をされている現場に電話で呼び出されたところからです。
その時点で高相容疑者が酒井容疑者を頼っていなければ、と考えると、「頼りにならない夫を持ったのが結局はいけなかった」という芸能記事と同じありきたりな結論にもなりそうではあります(苦笑)


 

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応報感情への配慮

2009-07-10 | 法律・裁判・弁護士

福知山線の事故に関する起訴のつづき。

検察の事情については朝日新聞が意味ありげな書きぶりをしています。
異例づくし、検察対JR全面対決 宝塚線事故で社長起訴
(2009年7月9日8時6分 朝日新聞)  

検察当局は通常、捜査結果を発表する際、立証の経緯説明などがそのまま外部に流れるのを嫌ってカメラを入れない。だが、今回はカメラを通じて被害者に処分結果を伝えた。最高検企画調査課も「珍しい」と話す。こうした被害者への配慮の背景には、神戸地検特有の事情があった。  

兵庫県明石市で01年7月、花火大会でごった返していた歩道橋で11人が死亡する事故が起きた。県警は当時の明石署長(死亡)と副署長を業務上過失致死傷容疑で書類送検したが、地検は不起訴とし、神戸検察審査会が「起訴相当」を2度議決しても判断を変えなかった。  

不起訴に納得しない遺族への最高検の対応にも不手際があり、06年に当時の検事総長が「『被害者とともに泣く検察』という言葉があるが、本当に泣いてきたのかとの声もある」と陳謝した。  

「明石のトラウマ」を抱える神戸地検は、今回の捜査で被害者全員にどんな処罰を求めているかを尋ねる手紙を送り、面談を希望する人には担当検事らが直接応じてきた。  

遺族の処罰感情が捜査に影響を与えたかとの問いには、「起訴は具体的な証拠に基づいた判断だ」と否定したものの、「被害者の『真相を知りたい』という声は捜査のモチベーションを高めてくれた。法廷では(遺族らが求める)JR西日本の経営責任も明らかにしたい」とも話した。  

上の記事をみるとさらに検察はマーケティングか御用聞きに回っていたようにも読めます。 

もっとも他の新聞を見ると、警察は送検の際にも慎重な見解だったようですし、検察内部でもかなりもめたとのことなので、もちろん単純に被害者の意向を尊重したということではないとは思いますがやはり配慮はしたような感じです。

たとえば産経新聞では  

県警は昨年9月、業務上過失致死傷罪でJR西幹部ら10人を書類送検する際、山崎被告ら現場カーブ付け替え時の幹部ら5人について、最も厳しい「厳重処分」ではなく、刑事責任を問う余地はあるとする「相当処分」の意見を付けた。

毎日新聞では

検察内部では当初、経営幹部の過失責任を問うのは困難だという見方が強かった。だが、昨年春に遺族が兵庫県警に山崎社長らを告訴してから雰囲気が変わり始めた。  

大阪高検と神戸地検に対し、最高検は「なぜ社長だけが予見できるのか」と慎重姿勢を崩さず、証拠の積み重ねを求めた。3回の協議の結果、最高検は了承した。

刑事裁判でも被害者の意見陳述制度や一定の犯罪には被害者参加制度が認められましたが、応法感情の満足にあまりに重きを置くと、かえって刑事裁判の公平さを欠いてしまうおそれがあるようにも思います。  


法律論について、今回は今までの他の業務上過失の事件より踏み込んだ感じがしているなと思った点については、落合弁護士のブログ福知山脱線事故、公判は「予見可能性」が争点にでの解説が丁寧です。  

最近、問題となった特殊業過事故としては、・・・今回の福知山事故のケースを含め、結果に最も近いところにある「直近過失」だけでなく、その前に位置する過失というものも問題にされ、複数の過失が「競合」しているとされている点に共通する特徴があると思います。  

しかし、あたごの事故についてコメントしたように、先行する過失に比べて、後行する過失の度合いが著しく大きいような場合は、「競合」を認定することが不合理な場合もあると思われ、また、直近過失(福知山事故では運転士、あたご事故では衝突時の当直者、エレベーター事故では管理会社関係者)より前に位置している者は、結果から離れているだけに、予見可能性や結果回避可能性が低い、乏しい、ということになりやすいとも思われ、安易に「過失の競合」を論じ認定すると、過失責任を問われる者の範囲は不当に拡大し、人の行動の自由が大きく制約されることにもなりかねないでしょう。  

その意味で、福知山事故において、神戸地検は、あたご事故やエレベーター事故で見受けられた最近の検察庁における過失認定の傾向を、さらに推し進め、従来であれば踏み込めないと思われた領域まで遂に踏み込んできた、という見方もでき、・・・JR西日本の社長が最終的に有罪になるようであれば、従来の実務が、基本的に直近過失論の立場に立ち厳格に過失責任を考えていたことから大きく踏み出し、結果が発生した以上は関連する過失をさかのぼって幅広く追及するという新たなステージへとつながる可能性もありそうです。本当にそれで良いのか、という問題意識は、やはり必要でしょう。

最後の一文は同感です。




余談ですが、国鉄時代には「順法闘争」(参照)という規則を厳密に守って運行に支障をきたすという労働組合の闘争手段がありました。
また、それに怒った乗客が暴動を起こす(上尾事件が有名ですね)というようなこともありました。

今では「停止信号です」のアナウンスで満員電車に閉じ込められても、乗客同士の小競り合いがあるくらいですから隔世の感があります。
これもコンプライアンス全盛のおかげでしょうか。

高度成長の時代は遥か昔になったということかもしれません。

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時間差攻撃

2009-07-09 | 法律・裁判・弁護士

JR西社長を在宅起訴 宝塚線事故「安全対策怠る」
(2009年7月8日23時47分 朝日新聞)  

107人が死亡、562人が負傷した05年4月のJR宝塚線(福知山線)脱線事故で、神戸地検は8日、96年の現場カーブ付け替え時に自動列車停止装置(ATS)の設置を怠り、事故を発生させたとして、JR西日本の山崎正夫社長(66)を業務上過失致死傷の罪で在宅起訴した。山崎社長は付け替え当時の常務取締役鉄道本部長で、地検は同社の安全対策を統括する最高責任者としての義務を果たさなかった過失があると判断した。山崎社長は起訴後に会見し、社長の辞任を表明した。  

起訴状によると、山崎社長は鉄道本部長だった96年12月、現場カーブを半径600メートルから同304メートルの急カーブに付け替える例のない工事を実施した際、十分な安全対策を講じなければ大事故が起きることを予測できたのに、ATS設置を指示せずに05年4月25日に脱線事故を発生させたとされる。  

山崎氏は鉄道本部長のときの責任を問われているのですが、「現社長」というところがJR西の広報的には厳しい(ニュース的にはおいしい)です。

業務上過失致死罪の要件や取締役に対しての適用についてはtoshiさんがエントリを立てられているのでそちらをご参照いただくとして、2005年の事故について起訴まで4年もかかっているというところがJRにとっては予想外だったと思います。
記事によると書類送検されたのが昨年9月なのですが、そこまでかかったというのは警察としては事故調査委員会の報告などを受け事件性なしと判断したあとに刑事告訴を受けたのでしょうか。

業務上過失致死傷罪の法定刑は「5年以下の懲役若しくは禁錮又は100万円以下の罰金」なので公訴時効は5年ですが、特に社会的にインパクトのあるような事件の現場=重要な業務の責任者は社内的には優秀な人なのでしょうから、5年もすればけっこう昇格している可能性もあります。
会社としては「重要な役職に昇格した後に起訴されるリスク」をあまり考慮すると人材起用に保守的になってしまいますし、そもそも起訴されない・起訴されても無罪になる可能性もあるので、それも合理的な行動とは言えません。
起訴(されたくはないでしょうがどうせ)するなら早めにしてくれよ、というのが本音ではないでしょうか。


今回のような大事件でなくとも、事故・事件からしばらく経った後に類似の事件が他社で起き、その頃には安全性の世間的な要求レベルが上がっていて「じゃああの事故もいけなかったんじゃないか」というケースや、もっと意図的に、当時の責任者が昇格した後にマスコミなどを動員して話題を盛り上げてから告訴・告発をするという「太らせてから食う作戦」を取られるということまで考えると、企業側にとっては業務上過失致死傷罪の公訴時効はけっこう厄介な問題だと思います。


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「壁」と「卵」、または「すべき」と「する」

2009-02-20 | 法律・裁判・弁護士

昨日、この判決について「何で死刑にならないのか?」と勤務先の女性に質問されました。
昼食時に女性陣の間で話題になったそうです。

星島被告に無期懲役判決 江東区マンション女性殺害事件
(2009年2月19日(木)01:23朝日新聞)

東京都江東区のマンションで昨年4月、会社員女性(当時23)が殺害され遺体が切断されて捨てられた事件で、殺人や死体損壊などの罪に問われた元派遣社員星島貴徳被告(34)に対し、東京地裁は18日、無期懲役の判決を言い渡した。


素人のうろおぼえの知識ですが、こんな答えをしました(間違っていたら訂正島なきゃいけないのでご教示ください)。

相場論(過去の判例)でいえば、初犯で一人しか殺していない場合は、よほど計画的で悪質でないと死刑にはならない。
遺体を切り刻んで下水に流した(らしい)ことについては、確かに残忍だけどそれは「死体遺棄」であって、「殺人」の実行行為の態様ではない(最初から計画された一部ではない)ので多分量刑の要因としてはあまり考慮されないのではないか。
現代においては、刑法(刑罰)は犯罪者への報復・応報というよりは犯罪の抑止のためにあると考えられていて、死刑というのは被告人を除去してしまうという究極の手段なので、被告人が「更正不可能」であったり社会秩序の根底を揺るがす脅威となるような犯罪に限るべきという考えが背景にある。
なので、今回も犯罪行為としては悪質だが、それが即死刑が相当といえるかどうかは難しいのではないか。
もっとも光市の母子殺人事件での最高裁の差し戻し判決などをみると、裁判所も市民の感覚を量刑に反映させようという流れにはあるようだ。
また、裁判員制度の導入というのも市民の感覚を刑事裁判に反映させようという試みといえる。
この件も裁判員制度の下であれば死刑判決が出たかもしれないが、模擬裁判員のモニターをやった経験から言えば、素人が量刑を判断する場合どうしても結論から逆算してしまいがちになるし、極端な厳罰に走るか、逆に「死刑」という人の命を絶つ判断までできないか、けっこう振れ幅が大きくなるのではないかとも思う。(模擬裁判の体験談についてはこちらのエントリなど参照)



話をした後に思い出したのが、村上春樹のエルサレム賞の受賞スピーチ。
(内容は極東ブログの翻訳などをご参照ください。)

印象に残った部分として「壁と卵」のたとえ話がありました。

It is something that I always keep in mind while I am writing fiction. I have never gone so far as to write it on a piece of paper and paste it to the wall: Rather, it is carved into the wall of my mind, and it goes something like this:

"Between a high, solid wall and an egg that breaks against it, I will always stand on the side of the egg."

Yes, no matter how right the wall may be and how wrong the egg, I will stand with the egg.

The wall has a name: It is The System. The System is supposed to protect us, but sometimes it takes on a life of its own, and then it begins to kill us and cause us to kill others - coldly, efficiently, systematically.

この立ち位置(「現代社会の喪失感」だとか「価値判断の留保」だとか言われるところ)は確かに村上春樹の小説の世界を特徴付けていて、それ自体評価の分かれるところかもしれませんが、意識してそうあろうとすることは、かなりの努力の要ることだと思います。
たとえば地下鉄サリン事件の被害者を取材したドキュメンタリー『アンダーグラウンド』の後にオウム側の人間を取材した『約束された場所で』を書くことにもつながっているのかもしれません。


そして村上春樹のスタンスをこの裁判にあてはめると、"wall"である刑事裁判制度と"egg"である星島被告人(被害者との関係では"wall"ではあるものの)との間では、躊躇なく星島被告の側に立つということを意味すると思います。
しかも「被告人の人権」などという"right or wrong"の視点を抜きにして。

これは僕にやれ、と言われても自信がありません。

弱いものは正しい、または守られるべきだ、というような価値判断を抜きにして常に"egg"の側につくことを選ぶことは小説だから可能なのであって、実生活で実践するのは非常に困難だと思います。
ただ、「弱いものを守ることが正しい」と思った瞬間に、その考え自体が"wall"になることに自覚的であれ、と村上春樹は言っているように思いますし、その視点を持つことなら可能です。

たとえば自分が裁判員になって"wall  = The System"の側として被告人の自由を奪うことになる量刑の判断をするとき、その判断が"to protect us"なものなのか、その判断は"it takes on a life of its own"になっていないか、ということを常に自戒する役ことは大事です。

それは「星島被告人は死刑にすべきだ」という意見をいうことと、「星島被告人を死刑にする」という意思決定に加わることの差を自覚することにもつながります。


でも本当にそんなことがわたしたち一般市民にできるのでしょうか。



最後に再び冒頭の記事からの引用です。

量刑理由の要旨は次の通り。

 本件は強姦(ごうかん)目的で被害者宅に押し入って殺害し、死体を細かく切断して投棄したもので、犯行は甚だ悪質だ。動機は住居侵入、わいせつ略取については女性を「性奴隷」にしようというゆがんだ性的欲望のため、殺人、死体損壊、死体遺棄については犯罪の発覚を恐れたためで、いずれも極めて身勝手で自己中心的なものである。

 犯行態様は包丁で被害者の頭部を突き刺すなど残虐かつ冷酷なうえ、死体を細かく切断して投棄したという戦慄(せんりつ)すら覚えるもので、死者の名誉や人格、遺族の心情を踏みにじる極めて卑劣なものだ。

 被害者は何らの落ち度がないのに尊い命を奪われており、結果が誠に重大であり、遺族らの処罰感情が峻烈(しゅんれつ)を極め、社会に与えた衝撃も大きい。被告は証拠を隠滅し、事件と無関係を装っていた。これらの事情に照らすと、検察官が死刑を求めるのも理解できないことではない。

 しかし他方で、殺人の態様は執拗(しつよう)なものではなく、冷酷ではあるが残虐極まりないとまではいえない。死刑選択の当否という場面では、死体損壊、死体遺棄の悪質性を過大に評価することはできない。

 被告は当初意図していた強姦はもとより、わいせつ行為にすら至らなかった。殺人、死体損壊、死体遺棄には計画性は認められない。量刑の傾向も踏まえて検討した場合、特に酌量すべき事情がない限り死刑を選択すべき事案とまではいえない。

 被告は逮捕された後は犯行の詳細を自供し、その後も一貫して事実を認め、公判でも自己の犯罪に向き合い、被害者に冥福を祈るなど、謝罪の態度を示している。前科前歴がなく、職に就いて一定の収入を得るなど、犯罪とは無縁の生活を送ってきた。

 こうした被告に有利な主観的事情も考慮すると、被告に死刑をもって臨むのは重すぎる。無期懲役として終生の間、生命の尊さと自己の罪責の重さを真摯(しんし)に考えさせるとともに、被害者の冥福を祈らせ、贖罪(しょくざい)にあたらせることが相当と判断した。


 

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日弁連の法曹増員抑制提言案

2009-02-09 | 法律・裁判・弁護士

日弁連はオブラートの包み方が上手くないようで。

「法曹増員、数年は抑制を」現状と同水準、日弁連提案へ
(2009年2月8日(日)03:01 朝日新聞)

司法試験の合格者を2010年までに年間3千人にする政府の計画について、日本弁護士連合会(宮崎誠会長)が、09年以降の数年間は現状の合格者数と同水準(2100~2200人程度)に抑えるよう求める提言の原案をまとめた。
(中略)
意見書は、法科大学院の「教育の質」が問題となっていることや、企業や市民の弁護士利用が増えていない現状を挙げ、「3千人という数値目標にこだわるのは不適切」と指摘した。

3000人合格体制というのは、司法試験という資格試験の合格者自体には特権的地位を与えるのをやめる、というだけなわけで、なんかピントはずれな議論だと思います。

弁護士にはその使命である人権擁護と社会正義を実現するために(今のところはまだ棒読みではありません)職業独占と自治が認められていているわけですが、司法試験合格者が当然に弁護士になれるとはどこにも決められてません。
逆に、弁護士が少ないために弁護士がいない地方都市の人の権利を擁護したり、一度司法試験に通ったら人数が少ないことをこれ幸いにいい加減な活動をする一部の弁護士を淘汰するために司法試験合格者=弁護士候補者を増やして、サービスの質と量を増やそうということだったはずです。

資格があったら当然に就職が出来るとか高い収入を得られるというのは一般的には不健全だと思います。
タクシーが多すぎるから自動車の二種免許を減らせとか長距離トラックの運転手の労働条件が悪いから大型免許を減らせ、という議論にはならないのと同じことです(弁護士の方が一緒にされて腹が立つ、というのであれば、腹が立つ理由を考えることが問題の本質に近づくことになるのではないでしょうか。)。

弁護士の「就職難」の実態はよくわかりませんが、弁護士過疎地域はまだ存在しているので、司法試験合格者の方も大都市での就職にこだわらなければ「失業」ということにはならないのではないかと思いますし、雇う側の既存の事務所も自分のパイを守ることだけを考えれば就職口は増えません。
既存の法律事務所が「仕事が増えないのにこれ以上雇えない」というのは、構造的には企業の非正規社員切りや正社員採用抑制と同じで、企業がマスコミのバッシングを気にしている中このご時勢堂々と言えるのはうらやましくもあります。
就職難の原因が「最近の司法試験合格者は能力が低くて使えない」とまで明言されてもいないようですし。


つぎに各論について。
「法科大学院の「教育の質」が問題」だというのは何を根拠にいっているのでしょうか。司法試験の合格率が低いのであれば、それは資格試験として機能している証拠なはずです。ましてや法科大学院の質それ自体は直接的には「合格定員を減らせ」にはならないはずです。
それよりも受け入れ側の弁護士会として具体的にどのような教育をするように求めるとか、司法試験のハードルをどの程度の高さに設定すべきだ(その結果として3000人合格にこだわるべきではないというならわかります)という提言をするべきではないでしょうか。
それに、多くの弁護士が法科大学院の教授や講師を務めているという事実を日弁連はどう評価しているのでしょうか。
弁護士が教育に専従しても成果が上げられない=実は弁護士事務所でのOJTも機能しない=結局司法試験を超難関にして優秀な人材を集めて初めて機能する仕組みだ、と開き直ればそれはそれで説得力はありますが、そういう仕組みにのっかって「人権擁護と社会正義の実現」(ちょっと棒読み)をはかるという制度自体がいかがなものか、というのが今回の司法制度改革のそもそもの問題意識だったのではないでしょうか。


「企業や市民の弁護士利用が増えていない現状」についても、弁護士側からここ数年特別な努力をしていたのでしょうか。
「市民の利用」については電車などの債務整理の広告は確かに増えましたが、ほかに何かやっているのでしょうか。
また企業の側からも、ここ数年でサービスの質が変わったという印象は持っていません(「質が低い」というわけではないですが特に向上もしていないかと)。ローファーム系の事務所に依頼すると打ち合わせの末席に座る最近入った弁護士の数が増えたくらいのものです。
「需要が増えないから供給調整をする」というのは企業の世界ではカルテルと呼ばれているのですが、その調整をしないと「人権擁護と社会正義の実現」(かなり棒読み)が危いような状況なのでしょうか。


どうもいろんな配慮の結果中途半端な提言になってしまっているようですが、開き直ってこのままじゃ食えないからどうにかしろと言ってしまうと、(昔の?)日本医師会のように診療報酬の引き上げのための圧力団体になってしまうところが悩ましいところなのかもしれません。

でも医師と弁護士の両方の資格を持っている人のほとんどは弁護士を本業にしていることなどからみても、まだまだ弁護士業は「おいしい」のではないかと思うんですが。


 

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今日の最高裁判決2つ

2009-01-22 | 法律・裁判・弁護士

toshiさんのところで取り上げられていた今日の最高裁第一小法廷判決二つ。珍しくニュースでも取り上げられていたので判決文を読んでみました(最近は即日開示されるんですね。)。

ひとつは 不当利得返還等請求事件

継続的な金銭消費貸借取引に関する基本契約が,利息制限法所定の制限を超える利息の弁済により発生した過払金をその後に発生する新たな借入金債務に充当する旨の合意を含む場合には,上記取引により生じた過払金返還請求権の消滅時効は,特段の事情がない限り,上記取引が終了した時から進行する  

もうひとつは 預金取引記録開示請求事件

1 金融機関は,預金契約に基づき,預金者の求めに応じて預金口座の取引経過を開示すべき義務を負う
2 預金者の共同相続人の一人は,他の共同相続人全員の同意がなくても,共同相続人全員に帰属する預金契約上の地位に基づき,被相続人名義の預金口座の取引経過の開示を求める権利を単独で行使することができる

私は銀行や消費者金融の実務に疎いので、判決の持つ意味合いなどはtoshiさんのブログをご覧ください。
ただ、素人の僕から見ると、判決内容自体はあんまり違和感がないので、toshiさんのタイトルにされた「重み」がいまひとつ理解できませんでした(汗)


消滅時効の方は、過払いを次の借り入れの返済に充当するって約束なんだから次の借り入れがあるうちに過払い返還請求権を行使しろったって無理だろ、という「ヴェニスの商人」のような判決だと思いました。
取引条件に内在するロジック自体が、あんたの主張を封じてるだろ、という奴ですね。


取引履歴開示請求の方ももっともな話で、相続人(子)のひとりだけに被相続人(親)の取引履歴を開示することがプライバシー侵害になるとは到底思えません。
特に本件は父親の死亡前後の取引履歴の照会ということで、他の相続人の「横取り」をチェックしたいという動機なのではないかと想像したのですが、これが認められないとすると、逆に死亡間際のドサクサに預金を引き出してしまえばその後の検証もされない、というのでは「やった者勝ち」が横行してしまうのではないかと思います。

また、そもそも被相続人(=死者)の財産の取引履歴(引き出した上での使途ではない)は「プライバシー」として保護されるに値するんでしょうか。
「死者への守秘義務」っていうのも妙な話に思えます。
ちょっとでも心配がある企業からはとっとと資金を引き上げ、結局資金繰りに生き詰まらせて倒産させてしまうというようなことをやっている銀行が堂々と主張しているあたりが趣深いです。銀行はいつから牧師さんになったのでしょうか。

契約上の地位は相続人に承継されるわけですし、消費寄託の理屈はよくわからないのですが、相続財産に含まれるとすれば準共有というのは違和感がありません。


この判決で世の中が悪いほうに進むとは思えないんですが。実務が混乱するとしたら、その今までの実務の方がおかしかったのではないかと思います。
(まあ、他人事だから涼しい顔して言えるわけですが・・・)
 

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弁理士と弁護士の弁別

2008-12-03 | 法律・裁判・弁護士
弁理士の人に聞いた話。

弁理士と弁護士は同じ「弁」という漢字を使っているけど、旧字体(正字体)では違う漢字で、弁理士は「辨理士」、弁護士は「辯護士」と書くそうです。

弁理士先生曰く、両方とも明治時代からあるしかくだけど弁理士の方が弁護士よりも公的資格としての歴史は古いとか(ちょっと自慢げ)。そういえば弁護士は昔は「代言人」と言ってましたね。


家でもともとの漢字の意味にどういう違いがあるのか調べてみました(以下の記述は「新大字典」によります)。


「辨」の字源は「判じ分けること。ゆえに刀を書く「辛辛」は「ヘン」の音符。転じてわきまえ知る義とする。」、字義は「わかつ、わける、区別する、判別する」。

確かに特許の申請とか侵害の有無などは「判別する」仕事です。


「辯」の字源は「「辛辛」は罪びとが争いあうこと。「辛辛」の間に「言」をかき、両人の論争を弁別して治め正す意。また「辛辛」はまた音符。転じて言説の巧みな義する。」、字義は「わかつ、あらそう、治める、説く」
※ 漢字としては同じ「辛辛」ですが篆字では微妙に違っています。

これも確かに弁護士の仕事をうまく表しています。


明治時代の人の、こういう和製漢語のネーミングのセンスはホント抜群ですね。

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「相互理解と意識改革」が必要

2008-07-27 | 法律・裁判・弁護士

このニュース自体はつまらない言い争いなのですが。

法曹人口増員めぐり舌戦 日弁連会長VS官房長官
(2008年7月26日(土)08:15 産経新聞)

 舌戦勃発の発端は、「法曹人口の急激な増大は、司法制度の健全な発展をゆがめる」とする今月18日の、日弁連の緊急提言だ。
(中略)
 提言発表の当日、町村長官は定例会見で日弁連批判を展開した。  
 法曹の質の維持は重要だとした上で、「自分たちの商売の観点で、急にそういうことを言い出すのは、私は正直言って日弁連の見識を疑う」と批判。日弁連を「今まで司法制度改革に携わってきた立場をかなぐり捨てた」ときって捨てた。  
 これを受け、宮崎会長は25日になって反撃。町村長官の地元でもある札幌市で行った会見で、「官房長官の発言が、やや不見識ではないかと思っている」と“ジャブ”を放ち、続けて「司法改革を後退させる気はなく、提言の趣旨が伝わっていない」と官房長官の理解不足を指摘した。

件の日弁連の提言がこちら法曹人口問題に関する緊急提言(2008年7月18日)

まずは「1.本提言の意味」から

本提言は,(中略)現時点における「新たな法曹養成制度の整備の状況等」に鑑み,目標数値自体にこだわることなく慎重な審議を求め,当面の法曹人口増員のペースダウンを求めるものである。

なぜかというと上で言う「現時点における「新たな法曹養成制度の整備の状況等」」は不十分だと「2.新しい法曹養成制度について」で言っています。

現在,司法研修所における大量の考試(二回試験)不合格者が出ていることを契機として,「法曹の質」の低下が指摘されている。

法科大学院間での教育内容・水準のばらつきはかなり大きく,また,多くの法科大学院の現行カリキュラムと司法修習との連携不足から,プロセスとしての新しい法曹養成制度は,未だシステムとして確立しているとは言い難い。
そもそも,法科大学院修了時及び司法修習終了時に備えるべき「法曹の質」が未だ明確にされてはおらず,このことが法曹養成の現場に混乱をもたらしているとも言われている。法科大学院を修了して司法試験に合格した者の法曹の質の検証は,まさにこれからである(注3)。

また、従来のOJTによる弁護士育成システムについて

ところが,新規登録弁護士の増大に伴う採用問題(法律事務所に勤務弁護士として採用されることが困難な事象を指す-注2)は,OJTによる弁護士育成を困難としつつある。(中略)新規登録弁護士の採用問題が深刻化する今日,勤務弁護士として採用されない新規登録弁護士は,即独(新規登録と同時に独立開業する)弁護士とならざるを得ないが,即独弁護士のかなりの部分は,法曹倫理を含む法実務教育の補完・強化の機能を有するOJTを経ることのないまま単独で実務に当たることとなり,このような即独弁護士が急増した場合,市民,国民の権利擁護に支障が生じないか憂慮されるところである(注3)。

といってます(「即独弁護士」というのは初めて聞きました。「速読」じゃないんですね・・・)。

ただ、「だから合格者を減らせ」ということに直結する理由は私にはよくわかりません。
以前誰かが言っていたのですが、「司法試験は就職試験でなく資格試験なのだから、資格を取っただけで当然に仕事が得られると考える方がおかしい」という考えの方が筋が通っていると思います。


二回試験の不合格者については不合格にしているんだからそこでスクリーニングが効いているという考え方もできますし、不合格者(率)が増えたことがすなわち全体のレベルの低下につながっているとは当然にはいえないと思います(逆に今まであまりに司法試験の合格率が低かったので受験しなかった優秀な人材(弁護士以外でも成功できそうな人)も入ってきているかもしれませんし)。

法科大学院についてはそこまで問題意識が明確で、しかも

当連合会も法科大学院を中核とする新しい法曹養成制度に期待し,実務家教員の派遣やエクスターンシップの受入れなど,法科大学院教育を支援してきたし,その一層の充実を目指して,今後とも支援するものである。

というのであれば、まずは法科大学院に対して「緊急提言」をしたほうがより効果的だと思います。

また「法曹の質」について

日弁連法務研究財団と当連合会の研究チームは,法曹の質の要素として,人格識見,法実務能力,法創造能力,事務所経営能力,公益活動意欲の5つを掲げ,その検証を実施している(注1)。

とありますが、注1を見ると「どんな能力が必要か」の検証作業にとどまっています。
これについては、ぜひ法科大学院卒業生だけでなく、既存の弁護士全員の質の検証を行なうのがフェアではないかと思います(特にご高齢の方の問題など)。

「即独」問題についてはそれこそ日弁連の仕事じゃないか、と突っ込まれることは当然予測してかそのあとで言い訳めいたことを書いています。

また,即独弁護士に関しては,開業支援プロジェクトチームを新たに設置し,即独弁護士に対し,OJTに近づくべくe-ラーニングの研修(注4)を立ち上げるなどの努力を続けてはいるものの,OJTの代替としては限度がある。いずれにせよ,これらの新規登録弁護士の法曹倫理を含む法実務教育を補完・強化するOJTに近づける研修制度,態勢の構築・整備には,なお相当程度の時間的猶予が必要である。

ということは、人口の高齢化で年金問題が顕在化することは人口統計を見れば昔からわかっていたじゃないか、と厚生労働省を批判したりはしない、ということでしょう。

最後に

3.司法改革の統一的な実現を目指して
本提言は,司法改革全体の統一的な実現を目指すという視点から,法曹人口とりわけ司法試験合格者の約90%が登録する弁護士人口の急増ペースについて,再検討を求めるものである。法曹人口の増加は,司法制度改革審議会等が提言した諸般の基盤整備と一体となって有機的関連性をもって統一的に行われなければならない。(下線、太字は筆者)

町村官房長官は(この提言をきちんと読んだうえでの批判だとすれば)ここのところ(特に「も」)に引っかかったんじゃないでしょうか。
「結局、弁護士が増えて困る、ということかい」と。

この基盤整備の状況についての分析を読むと、けっこう他人任せの印象がしてしまいます。
たとえば

⑤ 国選弁護報酬は,法テラス設立以降成果主義を加味するとはいえ,平均的に低減化している(資料11)。日弁連は全力を挙げて回復と増額に向けて働きかけをしているものの,未だ実現されていない。国選弁護報酬適正化は,裁判員制度の実施や被疑者国選弁護制度の拡大にあたっても不可欠である。

と大上段に構えているので「低減化」の度合いはいかばかりかと「資料11」を見ると、



これが制度に影響を与えるレベルの「低減化」だといわれたら、民間人としては「呑気な商売ですなぁ」と言うしかないですね。
絶対額が問題なのかもしれませんが、10年前よりは高い(ということはそれ以前よりはもっと高い)ですし、そうだとするなら以前は本気で国選弁護に取り組む人はほとんどいなかったのでしょうか。

あと、

一般企業における組織内弁護士の活用についても,徐々に増加しているものの,当初の想定とはほど遠い状況にあり,弁護士側・企業側双方の相互理解と意識改革を含めた努力が求められる。

これについては東京など個別の弁護士会レベルの動きは若干あるものの、日弁連はアンケートとか以外に今まで企業側に積極的に働きかけたということ自体がないように思います。
特に企業側としては何を理解してどこを意識改革すればいいのかご教示いただければと思います。

結局今回の舌戦も「相互理解の不足」が原因ですよね。
そしてお互いに相手を非難するのでなく、司法制度改革に向けて建設的な議論をするべく「意識改革」も必要なように思います。


最後に

人的基盤整備と司法改革全体の統一的かつ調和のとれた実現を図るために,当連合会は・・・関係者に対して,改めて強くその実現に向けた具体的取組みを求めるとともに,自らも全力を挙げてその実現に取り組む所存であることを述べ,結語とする。

とあります。


ホント、政治家にくさされたりしないように、全力を挙げて取り組んでいただければと思います。

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国籍法に関する最高裁判決の判決文

2008-06-06 | 法律・裁判・弁護士
昨日のエントリでとりあげた国籍法の違憲判決が早速最高裁のサイトに出ていました(こちら

反対意見が5人(3人と2人に分けて2種類)、補足意見6人、意見1人とかなり議論になったことがうかがえます。

反対意見はざくっと言えば実質論(国籍法3条1項の規定は国の内外における社会的環境の変化等によって失われている、という点への反対や無国籍になるわけではない)と違憲立法審査権の範囲についてのいわば形式論(国籍法は,憲法10条の規定を受けどのような要件を満たす場合に日本国籍を付与するかということを定めた創設的・授権的法律であり、非準正子の届出による国籍取得との関係では,立法不存在ないし立法不作為の状態が存在するにすぎないので非準正子に国籍を与えるのは法解釈の限界を超えている)という二つです。

おそらく国側もこの二つの論点を中心に主張したものと思われ、そちらはそちらで説得力があります。

また、補足意見については結論に至るまでの裁判官各様の考え方がわかってなかなか興味深いものがあります。
裁判官の親子関係と国籍についての価値観が現れているものや、反対意見の形式論に対する法的救済のあり方についての立論などもあり、なかなか読ませます。


また、判決では非嫡出子への差別的取り扱い一般を問題にしているのではなく、国籍を与えるという法的救済をするのが妥当かに絞って議論されているので、昨日書いたように相続分の規定への影響が当然に出るというのでもなさそうです。


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