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本書は、オガールプロジェクトのけん引役となった紫波町の人々に焦点を当てたオガールプロジェクト立ち上げの記録。
オガールプロジェクトには外部の専門家もアドバイザーとして加わっているし、それぞれの視点から言及した本もあるが、本書は町の人の目線から試行錯誤の過程を追体験できるのがすばらしい。
今でも各自治体からの視察が絶えないようだが、「うちもあんな感じでやろう」というような自治体や「成功例を全国展開」という中央官庁的な発想をする前に読むべきだと思う。
★5
PS
紫波町には昨年12月に盛岡出張のついでに寄りました。
出だしはふわっと始まるのだが、だんだんこれが人類の未来を描いたデストピア小説の様相を呈してくる。
というよりデストピアなのかユートピアなのかの判断を読者にゆだねながら、断片が少しずつ明らかになっていく。
そこでは「人類とは?」「自分とは?」、種の維持・存続のために異なる存在をどこまで許容するか、が常に問いかけられる。
残念なのは、最後の種明かしがちょっと性急だったところ。
確かにずっと宙ぶらりんの状態に置かれたまま読み進めるのは骨が折れる経験であったが、そのまま時間がかかったとしても最後まで物語としてまとめれば(自分も含めて読者がそこまでついていければ)すごいものになったのではないかと思う。
★3
こちらは広島の暴力団抗争を舞台にした刑事の話。
作者得意の「頭は切れるものの態度が下品という年配男」であるベテラン刑事の迫力はこちらの方が上かもしれない。
部下の若手刑事やヤクザとの掛け合いの広島弁も生き生きとしているし、息をつかせない展開も見事。
こちらは第69回日本推理作家協会賞受賞作。納得。
★4.5
『K氏の大阪弁ブンガク論』でセリフの壮絶さを絶賛されていたが、確かにその通り。
「わしはあれを見て、これや、と手を打った。裏の世界でシノギしてるやつから金をとったら、被害届なんか出えへんがな」思わせぶりな笑みを浮かべて、稲垣はつづける。
「――で、わしは極道を誘拐することにした」
「よう考えてみい、極道は金持ってて懐がルーズや。不健康な生活しとるから体力はないし、バッジ見せたら怖いもんはないと思とるから挑発に乗りやすい。おまけにあちこちで恨みを買うてるから、身柄(ガラ)をさらわれても相手のめぼしがつかん。身代金をとるには最高の獲物やで」
という話。
とはいうものの、筋書き通りに話は進まず、主人公たち犯人グループと誘拐された極道達の立ち回りが続くのだが、設定柄、主人公と誘拐・拘束されている極道たその部下とは会話・電話でのやりとりだけになるので、確かに台詞回しがポイントになる。
ストーリー自体もディテールが凝っていてとても面白い。
土地勘がないところで展開される物語なので登場人物が行き来する地名をGoogleMapを横に置きながら読んだらリアリティが出てより楽しめた。
大阪弁で描かれた小説を大阪人が論評するので、東京者としては脇から面白がって眺めているしかない。
読み物としては、著者と津村記久子の対談の『大阪的』の方が腹におちる部分は多い。
あちこちで「大阪弁の身体性」が言及されるにつけ、自分自身の日常で使っている言葉が仕事とTwitter的なノリの言葉に二分されて、つまらなくなっていることに反省しきり。
★3
登場人物の全員が怒りを抱えて生きている、その怒りの中心にある「家族」前作以上に重くのしかかる。こういう重い話は嫌いではない。
大胆な犯罪の構想やスピード感には相変わらずの冴えを見せているが、最後ちょっと辻褄あわせ感が出たのが残念。
★3.5
帯は「決死の潜入ルポ」と煽っているが、暴力団が関与する背景には制度の歪みがあり、特に漁業においてはそれがいたる所にある、というところからしっかり説き起こしているので、読み応えのあるものになっている。
特に問題なのが「漁業権」。この由来について本書から引用すると
文献で漁業権をさかのぼると、大宝律令に行き着くという。(中略)
歴代、漁業権は村の有力者に与えられ、網元や庄屋が独占していた。かつての鰊粕のように、魚は田畑の肥料でもあり、漁業権は漁村のみならず、農村にとっても重要な資源だったため、たびたび争いが起きた。(中略)そこで権力は、基本的に村の前の海は住人のものという漁業権を定めたわけだ。
(中略)明治8年、政府は日本の海を官有化しようと試みるも、各地の強硬な反対にあって頓挫した。憲法や他の法律同様、諸外国の法律を参考にしようとしたが、前述したように漁業権は日本独自の概念であり、該当する法律がなかった。そのため政府は漁師町の慣習・掟を丹念に調べ上げて明文化し、明治38年、ようやく日本初の漁業法が完成した。
敗戦後、GHQは農地改革に準じた改革を漁業にも当てはめようとした。ところが、長年漁業権が慣習として定着していたため、各地の上位階層が占有していた既得権を開放することは出来ても、日本独自のシステムを撤廃することはできなかった。
漁業の民主化を目的とした昭和漁業法が公布されたのは・・・昭和24年12月15日である。漁業権を引き継ぐ受け皿として生まれたのがいまの漁業協同組合で、都道府県知事から与えられた漁業権を一括管理する。恩恵にあずかれるのは、ここに加入した組合員だけだ。
漁業法成立までの経緯については「わが国の沿岸漁業の制度と漁業の民主化」などに詳しい。
ちなみにこの論文では「漁業制度の設計時において注目すべき3つの視点」として、①「立体重複的であり,また技術的にも分割するのは不可能である」という漁場の特性をふまえること、②人間の社会性を利己的なものとだけ捉えるのでなく、互恵性・公正性に重きを置く存在としても捉えるべき、③漁民の制度設計への参加、を指摘している。
①については密漁がなくならない(取り締まりが難しい)原因であり、本書でも指摘されている。②については本書の立場は反対である(自分もそちらに与する)。③は既得権の保護から不合理な仕組みが温存される可能性や、水産資源の保護・乱獲の防止の観点との利害調整がポイントだと思う。
さらに、海の利用は漁師だけでなく他の利害もからんでくるし、外国ともつながっていることから、制度の歪みがいたる所にあることを指摘している。
たとえば、発電所の建設に当たって電力会社は補償金を払って漁業組合に漁業権を放棄させるため、そこで何を獲っても(漁法などの規制に反しないかぎりは)密漁にはならないこと。
北方領土は日本としては自国領土であるため、そこでの漁には漁業法の適用ができないため「密漁」にはならず、検疫法や関税法違反で摘発するしかなかった(これは昭和42年12月19日の札幌高裁判決で漁業法の適用が認められるまで続いた)。
最終章はウナギについて書かれているが、これはもっと掘り下げてこれだけで一冊の本にしてほしいくらい面白い。
曰く、シラスウナギはいたるところで取れるので、密漁・流通の規制が厳しい宮崎県でも、許可された10倍の量が養鰻業者に池入れされている。
台湾はシラスウナギの輸出を禁止しているが香港経由で密輸され、元来シラスウナギがとれないはずの香港が日本へのウナギ稚魚の輸入先の8割を占めている(これには関税逃れのための中国から香港経由のものも含まれる)。
特に、土用の丑の日の日本での大量消費が、加温ハウス養鰻での早期肥育やと漁の早い台湾産の密輸シラスウナギに支えられているというあたり、そろそろ平賀源内の口車から降りた方がいいと考えさせられる。
★4
この手の解説書は、網羅的・体系的にしようとして大部になってしまったり、書きやすいAだけまとめたQ&A本だったりすることが多いが、本書は中小規模の企業買収にしぼったうえで、さらに「事業承継型M&A」と「ベンチャー企業M&A」に分けて法務上の論点を実戦的に解説している。
論点も実務で直面するポイントについて具体的な対応策まで含めて解説するとともに、法律論だけでなく当事者の意思決定プロセスの与える影響まで言及があり、法務部員の実務書としてとても有益だと思う。
また、参考文献が豊富に紹介されているとともにけっこう踏み込んでいる解説や、「あるある」話のコラムなども面白い。
法務を離れた身にとっても、昔を思い出しつつ、読み物としても面白かった。
(知り合いバイアス抜きにしても)良書だと思うし、ここまで手の内を見せていいのかと逆に心配なくらいである。
★5