墓のこととかいろいろ考えるにあたって、まずは浄土真宗をすこしはかじろうと入門編として。
以下はメモ。
親鸞は京都で九十歳の生涯を終えました。生涯を終える時の言葉として有名なのが「それがし閉眼せば賀茂河にいれて魚に与ふべし」という言葉ですね。
自分が死んだら、遺体は葬式などせずに鴨川の水に流して魚の餌にせよ、というのです。でも実際にはそうはいかなかったことは、御存知の通りです。
親鸞の場合も、やはり川に流してはもらえなかった。遺骨は分配されて、それをもとにやがて大谷に親鸞の墓が作られ、大谷廟堂となり、二代三代と時代が移っていく中でそこに寺ができ、全国の信州の門徒の中心になっていった歴史があります。
その人の心が安らぎ、今日一日を幸せに生きられる、そのために喜捨をする。布施と心の安らぎと、そういうやりとりが寺と人々の本来の関係であり、そこから葬式仏教と呼ばれる現代の寺のあり様への疑問も出てくるのでしょうが、かと言って、ブッダの頃の原点に帰ると、それは大変なことになるでしょう。
原始キリスト教の時代から中世、さらには現代における教会というものを考え併せると、やはり、宗教とはそうして変質していくものなのかもしれません。
親鸞はこう言った、ああ言ったなどとこだわるばかりで、親鸞の思想を固定してしまい、決めてしまうのは大きな間違いだと思います。生きた形で、揺れ動く、そういう親鸞の思想を私たちは捉えなくてはならないと思うのです。
今の寺は自分にとっても他の親戚にとっても信仰の中心でもないところが問題なんだよなぁ。
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