一寸の虫に五寸釘

だから一言余計なんだって・・・

宮古市中心部

2011-08-08 | 東日本大震災
田老町の被害を目の当たりにしたあと宮古市の中心部にはいると、被害の程度の差に驚きます。(Googleマップ参照)

宮古港は入り口に閉伊崎があり、防波堤の役割を果たしたのかもしれません。
それでも港周辺はかなりの被害がありますが、駅や市街地は浸水はあったようですが、日常を取り戻しているように見えました。


宮古漁港。
やはり港は被害を受けている。
後背地の水産加工会社があったらしき周辺は被害にあった建物が撤去されているが漁港の建屋自体は一部損壊で片づけが行なわれていました。






平成7年にできた宮古市の魚市場はほとんどダメージがなかったらしく、トラックが出入りして普通に営業を行なっているように見えました。



宮古市魚市場の詳細については公式サイト参照



港から河口付近は大きな被害を受けた建物も見られます。


ガソリンスタンドの看板が折れ曲がっていることに注目



ただ、市街地では地震の被害が大きく解体した建物の跡地と思われるものはありましたが、おおむね普通の日常を取り戻しているようでした。





海水に浸かって枯れてしまった道路の植栽を撤去している人々。
そこまで手が回るということは、比較的復旧が進んでいる証拠のように感じました。




ちなみに、ラサ工業の巨大煙突(参照)は無事でした。



※ 関連エントリはこちらから被災地に行ってきました。
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宮古市田老町

2011-08-08 | 東日本大震災
つぎは宮古市田老町(Googleマップ参照)

吉村昭の『三陸海岸大津波』でも取り上げられていたように、明治29年、昭和8年の津波でも大きな被害があった町で、その教訓から、高さ10.6m総延長2.4kmの巨大な防潮堤を設置していた町です。

しかし今回の津波はその防潮堤を越えて町に壊滅的な打撃を与えました。



港の近くの崖に過去2回の大津波の到達点を示したプレートが取り付けられていますが、今回の津波はそれらのプレートを壊してその上まで到達したことが伺えます。



下のプレートが昭和8年の10m、上が15mと書いてあります。



国道を通ると市街地への入り口には昭和8年の津波の遡上地点を示す標識があります。
(この写真は市街地側から撮ったもの)
今回の被害はそれよりはるかに陸側まで広がっています。





これが防潮堤。陸側からの写真ですが、津波に乗り越えられて手摺が曲がっています。





防潮堤の上から。
左が海側で右が陸側ですが、ともに建物が撤去されてなにもない状態です。





港。瓦礫撤去はほぼ終わってますが、鉄骨類の分別集積をやっているところです。





港から市街地を見る。

手前の防波堤は完全に破壊されています。
建物も残っておらず、奥に見えるたろう観光ホテルくらいです。(地図を見ていただくとそこまでけっこう距離があることがわかると思います。)





漁港にある冷蔵倉庫。写真で見ると冷蔵倉庫の裏の崖に過去2回の大津波の到達点を示したプレートがあります。





たろう観光ホテル。この場所で3階の高さまですごい勢いで津波が襲ったことがわかります。





おまけですが、携帯電話の基地局(ドコモ?)

かなり海に近い場所にあるのですが、基礎がしっかりしていてしかも地上部が細かったので押し波引き波による被害を逃れたようです。(根元のところに何かがぶつかった跡があります。)





防潮堤は津波を完全に防ぐことはできませんでしたが、防潮堤がどれだけ津波の被害を減少させることができたのかを検証して、今後の防災対策に生かしてほしいものです。



※ 関連エントリはこちらから被災地に行ってきました。
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