自民党の圧勝という選挙結果をうけて安倍内閣発足ということになるわけですが、引き続き、本書の「新政権の外交課題」という前回の安倍内閣の発足時に書かれた評論(2006年10月8日 読売新聞掲載)から。
・・・(安倍)首相が祖父を深く尊敬していることは、よく知られている。安部外交が、どの程度、岸外交をモデルにしているのかまだわからないが、今後の安倍外交を考えるうえで、岸外交の出発を振り返ることは意義のあることだと考える。
(中略)
岸には、一方でタカ派のイメージがあり、他方で、「両岸」という言葉があるように、曖昧な態度で様子を見る日和見主義者というイメージがあったが、実際の行動から見る岸は、明確なヴィジョンをもち、実務的にこれを実行に移す、きわめて有能なリーダーだった。
岸の行動から、どういう教訓が読み取れるだろうか。時代も環境も違うので、自明の教訓が出てくるわけではない。しかし、私は次の点に注目したいと思う。
第一は、その実務的性格である。岸はイデオロギー的な主張を声高に叫ぶのではなく、必要な政策を迅速に実施し、外遊などの行動によって、その方向を示した。第二に、防衛力整備と対米協力が不可分であることを理解し、これを推進したことである。第三に、対米協調とアジアとの協調の関係である。アジアとの関係の強化が、対米関係強化につながり、また日本の独自性を維持するに資すること、そして対米関係の強化が対アジア関係の強化につながることを、岸は理解し、実践した。第四に、国連の重視である。アメリカとの関係を強化しつつ、独自性を維持するために、岸は国連に注目した。これらはいまなお注目するに足るポイントであるように思われる。
安倍首相は所信表明演説で、アインシュタインの言葉を引用して、「日本人が本来もっていた、個人に必要な謙虚さと質素さ、日本人の純粋で静かな心」を二一世紀に維持したいと述べた。結構なことである。よき伝統を維持することが保守の本質である。
しかし、安倍首相に対して寄せられている懸念は、保守でなくて、復古反動ではないかというものである。そういう人たちに取り囲まれているではないかという懸念である。アインシュタインの言葉は、1922年のものである。しかし、満州事変以後の日本人が、そして日中戦争以後の日本人が、いわんや日米戦争期の日本人が、それほど「謙虚」で「静か」だったろうか。
安倍首相の課題は、こうした懸念に応えて、彼が保守しようとしているものが、こうした時期の日本ではないこと、そして複雑な国際協調であることを示すことではないだろうか。その要素は、すでに所信表明演説の中にある。あとはこれを静かで着実な行動で示すことである。
最後の「しかし」以降は今回の選挙のときの安倍総裁に対しても妥当する指摘のように思います。
前回の首相だった2006年に比べ、外交では中国の存在感がより強まり、経済・財政問題もより厳しさを増し、さらに原発・エネルギー政策が加わる中では、謙虚で静かな心を持って「イデオロギー的な主張を声高に叫ぶのではなく、必要な政策を迅速に実施」することを期待したいと思います。