一寸の虫に五寸釘

だから一言余計なんだって・・・

ヒトラー ~最期の12日間

2005-08-14 | キネマ
久しぶりに映画館に行きました。観たのは「ヒトラー ~最期の12日間」

ヒトラーの秘書をしていた女性の著書を基にした映画です。
※以下、ネタバレ注意です。

映画としての完成度はかなり高いと思います。
ただ「ヒトラーを描く」ことを期待していると、ちょっと期待はずれかもしれません。


ヒトラーの実像に迫る、というような映画かな、と思っていたのですが、ヒトラーについて何らかの評価or再評価を下すというものではなく、陥落直前のベルリンの地下壕内に設けられた指令本部での、ヒトラー(もちろん彼が中心なのですが)を含めたドイツ軍幹部たちを群像劇として描いた映画でした。
とはいっても、多分上の著書にあった事実をベースにしたものなので、現実にも近いのだと思います。
(秘書がヒトラーの遺言をタイプしているときに、ゲッペルスが自らの遺言の口述筆記を依頼しに来て「今、総統の遺言をタイプしてますから」「あ、そう・・・。後で来るわ」などというやり取りなど、妙にリアルでした。)


現実を認識すること
現状認識から敗北を内心で認めること
それを他人に対しても認めること
どういう敗北の仕方、終結の仕方をさせるかを考えること
そして戦争を終わらせる最終的な意思決定をすること
動いてしまっている現場を実際に終わらせること

そして、こういう状況の中で、自らの身の処し方を決めること

これらのことは(特に追い詰められた)人間にとっては難しいことで、その結果、組織としての意思決定が遅れて結局事態がより混迷し、個人にはますます逃げ場がなくなってしまいます。


ヒトラーが(自らの夢破れ、後は野となれと)自殺したあとも、将軍たちの意見が対立してすぐには降伏を決断できないところや、降伏の過程で予想外の人まで自決してしまうところ、市民兵の暴走などは、個人個人が大きな状況の中に置かれたときにいかに善悪、正邪の判断を維持するのが難しいかを考えさせられました。


理念とか理想とかは強い精神の支えにはなりますが、それが否定されたときのダメージは大きいです。また、ダメージが大きいからこそ、否定されたこと自体を認めない、という精神状態になりがちです。
多分、追い詰められた状況でも強いのは「死んだらあかん」とか「命あっての物種」とか非常にシンプルな考えなんじゃないかと思いました。


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