花鳥風月

生かされて行くもの達の美しさを見つめて,
ありのままの心で生きている日々の、
ふとした驚き、感動、希望、

答えようがない、、、蚊帳の外。

2017-06-10 04:41:06 | Weblog

 学徒出陣、、、

特攻隊は、栄えある若者の未来を破壊して

生きることより

死に場所を与えてしまっていたと、、、

祖父母は涙ぐむ。

ナチスドイツの「我が闘争」???

ベストセラーになって、狂気の時代を造ってしまった。

経済が絡んでくると政治も人間としての

人間を見失ってゆく可能性が無いとは言えない。

子育てをしていると

男の心は、育児には、ほど遠い「自分が可愛い」心が見える。

束の間の100年に満たない人生を

争わず、幸せにすごせないものであろうか?

日本は老人大国になり、出産されない跡継ぎの空席。

若者の、エネルギーでおぎないきれるのだろううか?

岩山に播かれた一粒の種のように

次世代まで、風に運ばれて、

時が来るまで発芽しないのだろうと、

外野で、蚊帳の外の主婦の私は、

事の重さも認識できないまま

頼まれた実験の結果を出す事だけ考えていた時代だった。

基礎も、臨床も、日本中の学会も承認する中で

北海道で、再び執刀する医師が出現したと

道新では、写真入りで紹介されていた。

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長い、、、長い、、、忍耐であっただろう、、、

北海道内での心臓移植の実現。

先輩も後輩も、行政も、日本中の学会も、

日本の移植手術に待ったをかけたと、

新聞は報じていた。

しかし、このたび、

全日本の学会に認められた、

心臓移植を再開させるに至ったのは、

かなり前の道新に報じられていた。

話は、、、元に戻しますが、

息子よ、これは、医療界の外野の主婦のママが、

君一人の読者を対象に、書いている日記だから、

医師である君が、専門知識を使って、

行間の意味を、自分なりに解釈してほしい。

これは、惚けないうちに、日記に書いておく、

拾うべき何かはあるかもしれないから、書いておく。

臨床と、基礎医学との研究棟が両輪のごとく

医療を進歩させるのでなければ、

命は、救えるのだろうか?

これが、、、ママの疑問です。

ある程度発展すると、行政が働きかけてくる。

そして、個人病院は、法人病院へ、

そして、役割が決められてゆくから、

自治体の旗のもとに、地域に貢献する病院として

地域の医科大学が旗を掲げ、

第二の創世記として

創立期の土台の苦しみや、実態を知らないまま

マネーのシステムの中で、

医療とは深い造詣を持たない権力が

経済を赤字経営から救うという大義の為に

病院は、お土産残業の過剰勤務の医師達で

医療労働の繰り返されるビジョンなき労働者として

酷使されて、年をとってゆく。

全てのシステムから、

静かに、外れて、

医師は本来の、

自分らしさで診療にあたる医師に戻ってゆく。

激動の臨床医としての激務や

、巨大病院になるまでの

草の根の苦労が、

年をとってから、

システムから解き放されて

開花し

、味のある「老医師」の、晩年がある。

 

かって、救急車のサイレンを

4人の医師が、家庭に帰れない状態で担当していた。

 

今や、20人を超える医師が、研修医とともに、

医師らしい学会にも参加しながら、

家にも帰れる時代が来た。

私は、この病院が建つ前の原野の中で

勤めていた会社の社員と、

写真を撮っていた。

主人が、単身赴任で、国立病院に出向していた時である。

会社の社員と、空き地を観に行き写真に収めた。

やがて、主人も札幌に呼び戻された。

 

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個人病院が出来て、

熱ぽくビジョンを語る院長ご夫婦に

外野という側面、または患者という商品として、

 

無力な主婦は

かかわらせてもらいますと言ったら、

 

「主人はオールマイティーで、主人への電話は

私が窓口の携帯電話を預かっていますから、と、、、

極めて、夫唱婦随の院長ご夫妻でいらしゃいました。」

先生が、大きくご婦人を包まれて、素敵でした。

 当時、病院薬剤師として、細かいことに集中していた

私とは、まるでタイプが違って

セレブな御家柄で、優雅というより、さらに厳しさの加わった

競技ダンスなどもカップをゲットされる、貴族?でいらっしゃった。

良く、お電話を下さり、

、聴き手しか勤まりませんでした。

奥様はじめ、先生とは天秤にかかる知りあいを紹介させていただき、

いざというときには

[仲立ちします]と、弟の書いた本をお送りして、

お役に立てるかどうか、お伺いしたりした。

回りの、医師のの意見を借りて

申し上げる以外に、

私の出番はありませんでした。

創立者の院長ご夫妻の

三尺後ろで、影を踏まないようにきをつけていました。

何しろ、、、個人病院だったのですから。

北海道の開拓時代が過ぎて、

このころから、主人と弟は

現代の医療のさまざまな事を

部屋着でソファーに持たれて、

これからの医療の在り方など

話しているのが聴こえてきました。

医療一家の我が家は

華美なものはないが、

話題は

極めて、医師中心の話題に尽きていた。

実弟も、国際的に活動する

がんセンターの研究検査臨床の部門の長だった。

国立がんセンターのスタッフとして

北大の知」人に講演を頼まれた時

前日に突然我が家に友人とともに泊まっていった事もありました。

ホテルは用意されていたのですが、、

ついつい話し込んでしまい

主人が外科医という事で、

気が楽だったのでしょうね!?

もともとは、

外科の医局に在籍して居たが。

先輩の市川先生の御誘いで、

がんセンター立ち上げグループに貢献できた

がん回廊の朝 明日への挑戦 、、、等々に

黎明期の国立がんセンターのスタッフと

東芝技術陣

某国立大学理学部系の大学人の

ご苦労がうかがい知れる分が続く。

医療は、臨床家以外にも

多くの知識人の学識と協力で発展してゆく。

皆で勝ちに行くチームプレーを観ているようである。

政治の協力も命運を分ける人事異動を余儀なくされるようである。

経営陣が「マネーファースト」であれば

患者様と呼んで

商品化のような、イメージになって

医師のやる気も、プライドも、お金ファーストになるほど

簡単な権力社会とは思えない。

命の前には

お土産残業どころではなく

金銭云々言ってはいられない

命が左右される責任を考えると、

お金はかけるべきところにかけることがわかるのは、

医療と心中する医療関係者出逢って、

外野が、予算云々削れるものではないという性質上、

何処の病院も、命の重さの前には

赤字になっていくのかもしれません。

民主党が政権をとったとき、

がんセンターも独立法人になるからと、

50年来の学術的創世記の歴史となる資料も

実績記録も、、、、どうなったのでしょうね?????

丁度定年と重なった弟は、組織が変わる以上

過去の貴重な記録も、50年史の歴史にと

細かいヨーロッパでの活動も、

違う組織になるから、意味が無くなるよね、、、

、、、、*******、、、、、

それから、どうなったか?

弟は、がんセンターを定年退職しましたから、

創立期、がん研究や、CT開発の50年の記録は

どうなったのか?、、、

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主人とは

義兄弟になる、弟は

勝手知ったるリラックスできる家で

明日の緊張をほぐしたかったのだと、、、?

「蚊帳の外の主婦である姉の私」は、

勝手に解釈して、

弟の友人とも、夜更かしの談義をしている主人達を

そのままにして、こどもと先に寝てしまいました。

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「まだ?生きてる?。。。あなたはほっかいどうじんになるつもりなの?」

「北海道は。自治体や、町内会が、地元の言葉がつかえないせいか?

お客様や、商品としてなら、歓迎してくれますが、主人の付属物として

主人の背広のポケットぐらいの立場かもしれません。」

医師ばかりに囲まれた人生でしたが、皆、

お金儲けの方のジャンルと違い

家族は、一生、受験生を抱えたように

主人中心の、不規則な家庭生活に、

とんでもない時間に、爆睡しながら、

家事も、義務もこなしている、孤独な人生登山の

ご来光をみれるのでしょうか?

研究者には、スポンサーが要りますね。

「私のスポンサー力」は、強いて言うならば

家事や、整理整頓

洗濯ですから、

薬剤師免許も、高校中学の教員免許も、諸々の師範も

わずか5年しか勤務に使ていない。

 

年金も、国民年金である。

あの世に行ってから、

、自分自身の為には頑張ろうと、

この世では、

周りの医師が、患者さんや、地域の役に立てる間は

舞台裏の点灯鬼のごとく

医師をするという難しい総合力の一部分を荷なって、

鬼よりも強く、

主人が診療に出かけるまでの

玄関先までの足元を照らさねば、

経営陣の方針に答え続けるには

診療以外の事を用意する時間を造れないのが実態である。

                       朝になったから、、、、又ね、、、

あくまで、「蚊帳の外の、素人の主婦の視点の日記だから。。。ね。」

国全体の評価というよりも

自治体あっての地域に根ざした医療が行えるのだから、

第二の創世記に自治体の創立した医科大学のエースが、

大きな役割を果たすのが

地域に根差した病院だろうね。

北大は全日本の評価は10の指に入っている。

国際的にも、リサーチフェローの他に

実際の臨床で指導者的な実績を認められている

ごく自然に、優秀な医師の実績が患者さんに口コミで広がり

今日の巨大な規模の地域に貢献できる病院になった。

理事長や、院長は札幌の自治体の影響力を

円満に運営に方向を示せる医大が旗を掲げて、

皆で勝ちに行くサッカーの試合や、野球を観ているように、

皆が創り上げた、地域丸ごと、連携で、

北海道全土から必要とされる病院である現実に

敬意を表したい気持ちです。