花鳥風月

生かされて行くもの達の美しさを見つめて,
ありのままの心で生きている日々の、
ふとした驚き、感動、希望、

昭和44年から49年目の北海道の暮らし

2017-06-28 17:16:04 | Weblog

昨日の事のようです。

色々思い出す事が多すぎて

言葉にも、詩にも、文にも出来ない、

大きな文化の違いがありました。

東京からの、突然の移住者と解る、言葉の壁がありました。

「よそ者」、、という感じがしたでしょうね、、、

50年まであと一年、、、

相変わらず、言葉はアクセントが、昔の儘ですが

「特に親しい人も居ないし、

近所の家にも、遊びに行くことも、めったにないし

話しかけられると、親しく立ち話もするが、、、

我が家には、人をお招きしたことはありません。

万一誤解があって、

うまくいかなくなる事があっては、面倒だと

転ばぬ先の杖、、、と、引っ込んでしまったコミュニケーションセンスでした。

隣は何をする人ぞ?、、、と、

他人の事に興味を持たない文化の東京から、

ベランダから「奥さん居る~~~?」と

サンダルで入ってくる文化の所に来たのですから、、、

ほとんど、「相槌専門で、話を合わしていたのが、、、間違いだった。」

いろんな町内の人の事を、瓦版のように知らせてくれる人もいた。

長い間に、

皆引越してしまい。昔の隣人は世代交代してしまった今、

思い出話をしても、傷つく人は居ないはずだから、、、日記にも書けるのです。

一方的に、

朝晩毎日ピンポンして、友達になろうとしてくれていることが

はっきりとわかる、、、ある、、、奥さん。

突然、この頃姿が見えない。

3か月たったころ、

ある奥さんが、瓦版よろしく、教えてくれた。

彼女、、、骨折して入院した、、、という耳打ちニュースを話してくれた。

50年前の私なら、

別の奥さんに「あの人最近見えないね?奥さんなんか知ってる?」

と、、、聞かれると、

「聞いた話だけど?骨折したとか?入院したとか?聴いたわよ。」

バカ正直に言ってしまったかもしれない。

しかし、、、50年の間には、

地方の習慣や

馴れ合いの

多くの仲良し集団になっていることも知った。

私は、「さ~~~ぁ、ここんとこ、私もあってないから?」

事実だけを答えた。

翌日になって、長い間、姿を消していた奥さんが

突然我が家に来た。

長い、、、~~~旅行中だったという

良かった、瓦版的に聞いたことを、

噂をそのまま言ったり、

真に受けて、、、御見舞いに行ったりしなくて、

50年前の私なら、

仲良しグループが、あちこちにあることを知らなかったから、

わざわざ自宅に遊びに来てくれたPTAの奥さんが、

「奥さん知ってる?町内会では、ああで、こうで、こうなのよ!」

瓦版ニュースのように、身振り手振りで話すから、

つい、つい、うなづきながら、「そんなことが有ったの、、、」

翌日、別の奥さんから、

「あの人、、こんなことあったってしってた?」

つい、うっかり、、、「そうだってね?聞いたわよ」、、、と答えてしまった。

そのことが、本人の耳に入って

私が、、、言っていた。、、、、と。!!!!????

結局、東京から入ってきた「よそ者」時代の苦い世間知らずの時代の落とし穴に

ドボン!

正直言って、こうした文化の違いを上手に泳げるほど

私はしたたかな性格を持ち合わせていないから、

めんどくさくなって、

言われるままに、ほーっておいた。

ひとりで時間を使う事になれていた理科系の大学時代に戻り

庭に野草を集めて、

誘われるままに、本州の山を登った。

長野県の山々。

済州島のおなじみのお盆のような山頂で

韓国の生薬学会で知り合った先生方と植物探索をした。

又、本州の薬科大の主宰の北京の万里の長城から

仙人の住んでいた秘境にまで、同行できた。

金沢大学の大学院生の方たちと

白山の登山をしたことが、人生を振り返ると

思い出される絶景でした。

あの時は、

恩師の日大の生薬学会の会長をされていた先生も一緒でした。

日大の植物園長になられた先生もご一緒だった。

何よりも、白山の山頂に登頂成功した事は

金沢大学の先生方が、ヒマラヤなど、世界の巨峰を歩いていられる

山のベテランだったことが、大きな心の支えであったと振り返る。

この、愛すべき羊が丘のふもとの集落も

入植され、開拓されたお爺さんたちも、世代交代して

孫の時代に入っている。

私は、いつしか、、、古株になっていた。

住人も、すっかり入れ替わり、

時代も、バルブを過ぎて、中流の人たちの住む

穏やかな、住みやすい、良い街になった。

家も、リホームや、新築ラッシュが続き

瀟洒な家々が目立ち始めた。

住めば都!、今は、どこを歩いても、

挨拶してくれる。

御誘いもしてくれる。

しかし、、、

不規則な時間に、

不規則な、食事や、風呂や、出勤の主人も

根が、「もっとも、医師らしい医師」つまり、、、

つまり{良医」と言えると思う。

年がら年中「患者さんの事を考えている。」

町内会には知りあいも出来る機会もなく、

ひたすら、病院で、患者さんに向き有っている。

「私は医師として患者さんを診ている限りにおいては

社会に還元しているという実感があるから、生涯医師として

人生を全うしたい。」

雨が降ろうが、、、槍が降ろうが、、、主人は天職として

医療に従事している。

町内には、これからも、私が、頑張って、

廻ってくる班長も、副班長も

ひとりで頑張ってゆくと思いますが、

多くの事を、貢献したかった心とは別に

本州の山登りで人生を過ごしたことには

地球の雄大さ、地球の美しさ、厳しさ、そして

地球を汚してはならないという、地球の恵みが痛感された。

地球の一部の高山と遊べて人生の恵みに感謝している。

そういう意味で考えてゆくと、

自治体や、町内会が、他所から来た者の

発言や、行動を、転ばぬ先の杖のように

蚊帳の外に区切るかのような、小さな集団の

ややこしい、

派閥があった50年前を振り返りながら

こうした連絡網が、

地球の破壊的発展をくいとめていたのかもしれないと

思う反面、東京の文京区の町内会などの

インターナショナルな知恵が、時代の要求でもあるような気がする。

札幌市の羊が丘周辺や、ドームや、空港までの発展が

世界とどうかかわってゆくかを握る

未来の生き残りになると感じている。

新幹線がつながったからと、

本州からの受験生を相手の戦略を考えるよりも

問題そのものを、北海道の発展に必要な

地元育ちでなければ、解けない問題を、いくつか出題すると

本州の知恵を持ち

北海道に貢献で来る、北海道を好きな

未来の牽引する人材が、北海道に大学生と相手登場するのではないか?

私と、町内会との接点は、「ゴミ出し」と「草刈り」ぐらいであったが、

主人が、札幌市の医療面に貢献できている現状を

私は支えることで、主人を通して、

医療にかかわってきたと、考えるようにしています。

薬剤師の私は、薬剤師と、医師の母でもあるから、

息子たちが、社会に貢献できるように

足を引っ張らない老後を維持するように

人を頼らない老後を、自作自演で運動に、趣味に、家事に全力を尽くす

73歳です。

これは、、、日記帳です。

惚けないように、ありのままを、日記に書くことで、指と脳をつなげて

リフレッシュしています。

本日は、、、独りよがりの、文となりました。

お付き合いくださってありがとうm(^^m