花鳥風月

生かされて行くもの達の美しさを見つめて,
ありのままの心で生きている日々の、
ふとした驚き、感動、希望、

宗教だけは難しすぎて、、、永遠の謎

2021-08-24 05:00:30 | Weblog

中東で、、、問題が起きていますね、、、

世の中には

キリスト教のように

布教をというタイギメイブンを持って

東方見聞録を成功させていたㇼ、、、

ポルトガルとスペインのように

日本の歴史上は、宗教布教の意図のある国より

ポルトガルの、武力に×日本、、、秀吉さんにしたら

スペインの侵略モードの布教より

「商売」,、大阪、、、みたいな、、、

 

山の神 ,海の神、川の神、

           巨大樹木の神、、、、岩の神、、、

 

日本には神様だらけで、、、

宗教というモノが理解できない。

 

歴史上、、、士農工商の教育程度や、

身分によって、

宗教も違うし、、、信じる教祖様も違ってくる。

 

私自身、父は代々東京の市ヶ谷界隈、文京界隈

早稲田中学、と、

牛込あたりや、飯田橋の毘沙門天が

かくれんぼの、、、遊び場だったそうです。

 

維新後は

イギリスと国交をはじめて

牛肉のステーキを食べるようになった

明治維新のモダン文化は

日本に、多くの考え方をばらまき始めました。

 

明治20年代に生れている母方の祖父は

 

筑波大学の前身の教育大学の

    そのまた前身の

       東京の師範学校を卒業して

28歳の時、アメリカに渡っています。

 

祖父の兄さんという方は

    戦争のとき日本に引き上げることが出来なくて

 

アメリカで亡くなっています。

 

戦争中に生れた私は、

祖父に抱かれて、

従軍していた父の職場が大陸だったころ

   最後の連絡船で

     日本に帰って来れたそうです。

実家のある東京は爆撃で、跡形も無く

祖父の実家のある南紀の串本から

   疎開地へと、川を上って山奥の診療所に赴任した父でした。

産めや増やせの富国強兵策の真っただ中で

    年子の兄は大切にされたようですが、

     女の子は要らないという日本の国の風潮の中

母は5人の男子を出産しましたが、

      戦地の近くまで、父を訪ねて住んでいたこともあり

        生き残ったのは長男1人と、

          新しく生まれた4男にあたる兄と

           臨月まじかの私を抱えて、

 

        本土引き上げの知らせをもって

         祖父が、捨て身で、

戦場まで迎えに来てくれたと聞いております。

 

日本に着いて、爆撃の始まっていた東京を後にして

祖父の実家に導かれてゆきました。

串本までたどり着いたとき、

祖父の家は串本に有ったらしく

  私は、祖父に抱かれて出生届、、、

    戸籍を申請していただきました。

年子の兄を抱いた母は産まれたばかりの私を

祖父にゆだねたようでした。

引き上げが早かった祖父の家は

南紀の山奥に、、、

ありえないような洋館で

地下室が有って、裏は山の斜面に面していて

鉱山の掘りかけのような洞穴が在った。

祖父は「防空壕じゃよ、、、今は使っていないよ」

、、、と教えてくれた。

祖父が師範学校に入学して東京での学生の頃に

すでに、、、

世界を見つめる人たちが出てきましたから

娘にあたる、、、私の母は、、、

南紀の山奥から

新宮女学校を卒業して

東京の国立の音楽大学に進学しています。

母の入学の頃

日本に初めて「クラシックの譜面」が届きました。

近衛さんがドイツにて音楽活動をしていた事も

  ヒットラーの時代であった事も

日本にはクラシック音楽の楽譜が紹介されることも

全て、戦争の影響が多いと思われますが

同盟国であったドイツの音楽は

  ベートーベンの運命などが

     母の音楽大学時代に日本に紹介されていたそうです。

運命の楽譜などは、出だしの,、、ジャジャジャジャ ̄~~~ン

楽譜が一つ、

日本に伝えられた「運命」の出だしは、

ジャージャジヤジャーンが、少ないとか、、、?

母はオーストリアの音楽や、

モーツアルトの「アイネ クライネ ナハト 、、ミュージック」

リストの曲

ショパン、

ファンタージ アンプロンプチュー

よく演奏添ていましたよね。

 

 

           

母は、山本直純さんのTV番組で

             直純さんのお母さんの親友、、、というか

         大学時代の同室の同級生という事で

      話していました。

オペラの舞台で共演している写真なども

懐かしそうに、、、見せてくれました。

        夢を持って、働いていたようでした。

  結婚して家を出なくてはいけないという、、、

男尊女卑の文化に、、、

贖う事の出来ない、

昭和戦中生まれの女性の立場でした。

     神様、、、神様、、、と口で、、、つぶやく癖がつきました。

   何の神様でも良かったのです。

    何の神様かしらねども、、、

       振り返れば

   ありがたさに、、、黙して、、、祈って、、、

 感謝をささげています。

           

 

、、、祖父母も、母も、、、父も、、、

校長先生とか、日本で初期の東京の女学校に教師とか

白い手袋で、

   朝礼で

「朕、、、おもに、、、」と

      朗読をするのが

         朝の始まりだっただけに、、、

並々ならない、、、敬意が有りました、

 

「皇室は、千年単位の文化を継承してきた、日本の始まりだ、」

 

どんな時代にも、、天皇様がおられたし、、、

武家が

文化の象徴のように敬意を払って、、、時代時代に

天皇様の後ろ盾になって、

武士の中で

権力と尊敬を手に入れようとした歴史があるんじゃよ。

 

平家は、天皇の外戚になり、

安徳天皇は平家から生まれたのじゃよ。」

お爺ちゃんは、

天皇様の話をよく聞かせてくれました。

 

 

お爺ちゃんの言っていることを、

子供の短絡した頭で

勝手に、想像して、、、

日本の伝統と、心と、光を

     神様とした、、、

神官のようなお方だと

長い間、、、勘違いしていた、

 

日本で一番、、、偉い人じゃよ、、、て。

爺ちゃんは、、いつも言っていました。

丁髷、刀、、髷、裾を引きずって歩く女性たち、、、

士農工商という、、、身分制度。

刀狩り、、、鎖国。。。

   300年も、、、世界の流れから断絶

明治維新、、、、

いつの時代にも、、、

別格な存在感で、、、

日本の文化とともに

ともに生きていてくださった

      天皇様はいらっしゃった。

 

             

 

このような、、、人の力では考えられない、、、

 何千年も生き続ける御神木のような存在が

いつしか、、、

天皇様が神様として、

周りが接するようになったから

日本の神様は、、、

 

光を御神体とする、、、

    地球に降り注ぐ、

       光のエネルギーが

          日本の神様として、

            根っこの考え方にあるから、、、

         大木が、、、

   神様になっていることもあるんですよね。

 

皇室を大切にしてきた時代は

明治神宮を造ることによって

大湿地帯だった関東平野に「神宮の杜」を誕生させた。

 

そこには、、、生き物が

     絶滅しないで、、、

       東京都の中で、共存している!!

 

光を御神体として、

    自然の恵みを継受する教えの

         日本の神様は、、、

       「神社」という形になって

森や池や、植物や、動物のエリアを保護して

 

住み分けを,

意識することなく、、、日本は守られてきました。

 

軍部が、、、戦争に、、、

    天皇様を関わらせるという

      権力の世界とは、、、全く違う、、、お方が、、、

        何故、、、戦争に 関係していったか、、、?

 

未だに解らないまま、、、

ご苦労された昭和天皇様と、、、

戦争に絡まされた先代の天皇様の

、いつの世にも、、、

ともに生きてくださりながら、、、

 

美智子様のような、、、

私たち庶民の中から

     皇太子さまのお心を、

       受け止められるような、、、

 

才色兼備で、国際感覚がおありで

音楽も、ピアノも、たしなまれる日本女性

 

戦後の、、

   、ドサクサと、、、

        思われた日本国内に

ゆるぎなく、、育っておいでだったという

、、天の光の柱の中で

、、神様が守られた

「米」のように

銀色の稲穂の稔りが、、、

     日本を覆い始めた。

 

美智子様のお馬車のTV映像から

     日本中の戦後の荒れ果てた土地に

       豊作になってゆく、、、光が舞い降りてきた。

 

銀色のお米の穂波が見えるような、、、

人の波でした。

神様が居たのだと思います、。。。

何の神様か、、、???

解りませんが、、、

 

お馬車を見ている沿道の国民の幸せな顔!!!

   私には、

     宗教の事が解りませんが。

原子爆弾で吹っ飛んだ、、、人間の心が

 皇太子殿下のご成婚のお馬車をTVで観た時

   日本は復活する!!と

  信じられました。

公的な立場に居る自分には

   皇太子妃になる方の身を守れないかもしれない、、、というような

   意味の事を、、、美智子様におっしゃられたと聞きました。

   美智子妃殿下は、、、その、、孤独でいらっしゃった殿下の

   戦後のお立場を、国民とともにあり続けて、

 歴史の大河の激流で、

      戦争という渦に巻き込まれた

              昭和天皇のご苦労を、

 

    そのまま引き継がれ

       孤独でいらっしゃった皇太子に

 

   庶民から皇室にあがられた

            皇太子妃という

    全国民の復興と未来と、信頼の光の中で

      皇室のお立場を、、、言葉ではなくて

       ご努力で、、、

       国民に解らせてくださった美智子様は

     昭和を生きた者の

          気持の上では

            日本を復興させた、、、

               国のお母さまだと思っています。

         

   優秀な才色兼備なあたたかな女性が、

          心を

       皆の為に生きてくださると

      国民には

     お母さまが居てくださるように

         力が湧いてきました。

    国という、、、大家族の、、、存続の女神さまです。

 

    団塊の世代の、、、日本の男性が頑張れたのも

      日本の女性のすばらしさを象徴する

   内助の功を信じられたから、、、

            頑張れたのかもしれません(^^!

 

      内助の功というのは、、

 

    、糠味噌付けが美味いという事とは違うのだと 

      目から鱗ですよね。

 

    女性の教育がいかに大切かという事ですよね。

    

     

      子供たちは、、

未来に放たれた

矢のようなものであるだけに 

国家全体のバランスと、

日本の独特の立場の役割を

 

学門と、自然と環境を尊重しながら

 

    心と実践を養って行かねば、、、

      

   日本の神様は,、、どこにおいでなのでしょう?

       

         

     

     

       急いで、、、弁当詰めなくっちゃ、、、(^^

          

 

 

 

光を神様にすると言う事は、

地球そのものが、光の子供じゃという事?

単純わかりやすい、、、自然の大好きな、家族です。