東京の街が、BSでTV放送されるたびに、、、思うのですよね。
小学校から24歳まで、、、東京に住んでいたことが、、、
幻のようだったと、、、
小学校の時の、戦後の東京は、極端な高層住宅や
六本木ヒルズのような、、、地域全体がビルになったような
巨大なショッピングゾーンも無かった。
東京タワーが出現して、、、戦後の復活の勢いがついた感じがしていた。
中学校に通う頃は、江戸川で遊ぶ少年たちは
「四つ手」を担いで、ザリガニなどをゲットしていた。
不揃いな大自然の雑草が、土手の周りには、ぼうぼうとしていて
「イタドリ」なんかも見られていた。月見草がなんとも言えない
郷愁が感じられた。
高校には小松川橋が混雑するので、
電車で、、、平井駅まで行って、15分ぐらいかけて
荒川べりにある、、、小松川高校に通った。
土手を背に、、、高校は荒川のすぐ近くで
ボートなどが結構な数が有り、、、
放課後は、ボートを漕ぎに同級生と道草を食いながら
楽しいひと時だった。
自然が、、、残っていて、、、雑然とした空間が
無意識に、リラックスさせてくれた。
小岩駅には、ヨーカ堂も無くて
北口にはほとんど、、、行く用事がなかった。
買い物できるアーケードも無くて、、、食堂なども無かった。
少々雑然としていて、道草をする雰囲気ではなかった。
栃錦の象銅が、有ったのですよね!
栃若時代に、、、少女時代、、、だった。
スモウバカ、、、で、力士の名前と位は皆、、、そらんじていた。
実家の裏が、、、栃錦の家だった。
千葉街道から一本奥だった。
まだ、、、名物のドブも、コンクリートの板の蓋の下を流れていた。
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大學に通う頃にも、中央線と京王帝都線を乗り換えて
下高井道に通うのですが
三井牧場が有り、、、牛が居たりして、、、
芝生の上に座って、一休みしてから、
文理学部の校舎に向かった。
教養課程には、、、高橋さんとか、、、映画スターの人気者も
カッコよく目立っていた。
大自然が、鉄道沿線にも残っていた。
、、、、、あれから50年以上の年月が過ぎて
東京の航空写真を観ても、、、
コンクリーの街になっています。
せめて、、、ビルの屋上には、、、庭園を造るとか、、、
道路の半分が緑化されていたら、、、
セットバックを緑化地帯にしたら、、、
虫の声が、、夏を奏でるかもね!
皇居の周りが、、、人間には優しい緑が有るように
緑化することの大切さを、
最近では強く感じるのですよね。
コンクリートだけの街は、これぐらいでやめておいて
緑化することで、人の心は、大切な感性や、ひらめきを
続けられるのでは、、ないのだろうか??