日本は、「竜の落とし子」の様な形をした島ですよね!
世界地図を、、、逆さまにしてみると
龍のお祭りで盛り上がっていた中国が
太平洋に進出しようとすると、、、龍か竜か、、、?
どちらかが譲らねば、、、
巨大な軍艦は太平洋にすんなりとは出られない、、、よね(^^!
この、、、母なる地球が、
世界の国々という、、、
子供達の席順を考えて、
母の愛を信じて、一つの国が突出して
地球全体のバランスが壊れたり
欲得、損得、、権力、国土独り占めをしない為の
仲良く自立、仲良くキャッチボール
仲良く助け合いの席順だと言われれば、、、
夢の中の「子供の学校」では、
神様の様な、、
声だけが聞こえていた。」
キリストさまでも、、、
アラ―ーのー神様でも、
御釈迦様でもなかったようだ、、、???
地球の神様だった。
目には見えない、、、、
水の神様の、、、様な、、、
氷の冠をしていたようでした。
透明人間のように、、、空気のように、
透き通り、
手で触れても、、、
なんの感触もありませんでした」
地球の神様の頷くたびに
国々がその座布団に座った。
武力でも、権力でも、損得でも、、、
頭脳の良しあしでもなく
母なる地球が、、、考えてくれた席順だから
国々は、、、自分の座布団を大切にして
奪う事も、奪われることも無い
姉弟仲良しの、、、地球家族になりました。
その日から、、、千年単位の月日が流れました。
夜中まで、、、
オリンピックの
いろいろの種目を見続けて
TVボケ、、、してしまったのでしょうか?
TVの前のソファーで、
寝てしまっていました。
習慣というのは、、、頼りになりますね!
明け方、いつもの時間より、、
1時間ほど遅れて
目が覚めました。
早朝TVを観乍ら、
昨日洗っておいた「山芋」の皮を
果物ナイフで、、、
髭根だらけの皮をむきながら、、、
水に放して、、
酒を入れておきました。
今日は、夏場に水不足の便秘にならないように
野菜と繊維の細かな働きを期待して
山芋、ニンジン、豚小間、ゴボウの薄切り
トリの細切れ、、、こんにゃくの細切り
竹輪のスライス、、、
酒と、めんみと、ショウガと、
3オ分ぐらいコトコト煮れば
レンジを通したニンジンなど
甘みを残したまま、、
肉汁を吸収するからね!
煮終わって、後入れ食材として
火を止めてから加えて
蓋をすると出来上がりの材料は
ネギ、ピーマンの極細切り、、、
インスタントラーメンの時に、、
使わずにとっておいた
「食べる直前に入れてください」と書いた
スープで
味を市販の様な、煮物にする。
鍋がに立って火からおろして、
鍋の真ん中に
ヨーグルトの器に卵を入れて、
火を止めてから蓋をする。
主人が、6時30分に起きてくる。
そのころは、すっかり冷めているし、
真ん中に入れた卵には、
硬すぎない黄身が、、、
美味そう!
夏バテの、、続く8月初旬は
豚肉料理って、、、スタミナいただけますよね!!
ウナギは、、、ちょっと、、、我が家には
高値の,、、花かしらね(**
小さめの弁当箱に
山芋の半月を並べ、
人参と、ちくわ、こんにゃく
たまごの黄身、、、
色鮮やかなうちに冷ました
ピーマンやオクラや、、
ゴボウの細切りや薄切り
味は、いつでも、どこでも食べたことのある
インスタントラーメンの仕上げのスープ
、、、我が家には、、、家の味がありません。
料理学校で習った味は、、、役には立ちません。
19歳から下宿や
自炊や、外食、、、インスタント食品で
30歳近くまで過ごしたせいかもしれません。
家庭料理の
繊細な薄味には馴染めないのですよね。
手間をかけても、、、
お皿に纏めて、、、
めんみをかけて食べてる事が、、、救いとなって
我が家の味は、市販の調味料に
せいぜい、、、
ショウガ、、、、ニンニク。。。唐辛子、、、山椒
味塩、ソースに、薄口しょうゆ、、、
ナポリタン用のトマトピューレ、、
主人の舌は、、、これで、、OK
これに、、、
レトルトに入った、、、市販の
「卵豆腐と保冷剤セット」、
チーズに
ヨーグルトと保冷材のセット
ビニール製の柔らかな市販の容器に入れて
北海道限定の
「江戸揚げ」石塚製菓の空き袋を
ひっくり返し、
銀シートの袋にして
保冷材のセットごと入れて、、、
上から
おおきめのハンカチで包んで
弁当が終了。
これは、、、、断っておきますが
「 愛妻弁当ではないのだから、、、
corona時代を生き残るためにも
免疫や体力温存食ですからね、、、
corona対策の免疫を維持する薬膳だからね!!
水分が多めのおかずで、、、便秘予防です。
豚小間を入れたのは、、、
スタミナ、、、
夏バテ予防です。
coronaの感染流行が終ったら、、、
バランスのとれた
外食をして、
仕事の仲間の所に戻って行ってくださいね。
話しながら、、、
ランチしながら、、、
お仲間と、、、
楽しく生きてくださいね。
corona感染拡大防止の仕事と割り切って
今は、、、市販のインスタント味付けの
どこにでもある、、、
肉野菜の煮物や卵で
我慢してくださいね、、、と
弁当箱に、、、話しかけてから、、、
今だけの、、、
「生き残り弁当」だから、、、
外食は、しないようにしてください。
出がけには、
弁当持った?。。。と
確認する、、、押しつけランチです。
昼時間に、、、若者の行き交う通りに出ないように、、、
弁当作戦です。
押し付けている弁当です。
今は、、、1人でも、、、
医師は、、元気でいてくれないと
、一日中、、、ワクチン予防の注射の
問診を
大学関連病院で、、、次男も
へとへとになりながら
真夏の、夏バテと格闘しているそうですが、、、
大学関連病院というのは
地域への貢献が大きなテーマでもあるそうで、、、
自分も、感染しないようにと
なかば、、義務に近いニュアンスの
corona予防注射の2回目も済ましてからの
勤務だそうです。
疲れさしても悪いので、暑中見舞いの電話にして
すぐに、、、切りました。
どこに、、感染者がいるかわからないので
マスクをかけっぱなしで
マスク湿疹に悩まされているようですよ。
木綿のオオバ―マスクをして
その間に
がーぜのポケットを造って、、、
私は、、、、、私的外出の時は
サージカルマスクと、、、
オーバーマスクの間の
がーぜのポケットに
薄い、、保冷剤を入れておくのですよ。
首には、、5個の保冷材の入るレースのタイを造って
薄手のタオル手ぬぐいで巻いて、、、
首に巻いて、、、
ブラのポケットにも保冷剤を入れて
庭の水撒き仕事や、、、買い物に出かけています。
垂乳根の婆ちゃんも、、、
バストだけは30代になりますよね
coronaはともかく、、、
熱中症は、、、防げるので、、、
炎天下の札幌では、、、ミニ保冷剤が
命を守ってくれていますよネ、、、
主人は、corona対策には万全を期していますが、、、
月末の土曜日は、、、
どこで買うのか???
レストラン味の、、
軽く揚がった,、、
かつ弁当を「二人分、購入して、、、」
タクシーで帰ってきます。
「人生,、、一か月に一回!!かつ弁当が食べられれば、、、
幸せだと、、、子供のころから、、、思っていた。」
主人と息子の信条らしく、、、しばしば飛び出す言葉です。
昭和あたりまで、総合病院の院長だった父は
お寿司が大好きでした。
赤坂のお寿司屋さんに連れて行ってもらったことがあります。
せっかくの、、、玄人の寿司店なのに
私は、、、かっぱ巻きばかり頼んで
父は、がっかりしていました。
値段の木札には、、、かっぱ巻きでも、、、
子供にとったら、、
、眼球が飛び出すような値段らしい数字が
注文する気になりませんでした。
晩年の疎開先での
苦難の父の働きぶりを知っているせいか
40過ぎて、、、初めての開業で
多くの従業員や、、、戦争で仕事を失った親戚を
家族ごと引き取って、、、
大学まで出している父の激務に
子供のくせに、、、
カウンターで、注文する気が起きなかった。
開業医の家で育った私は
世間の人から見ると
お金が動いている、、、お金持ちに見えるかもしれませんね?
、公的なぜいきんと、、、見えないぜいきんと
開業医だからと、、、親戚縁者の居候と、
地域の見えないサポートの寄付や
従業員の雇用の度に、専門業者への支払いとか、、
内側から見ると、、、
お父さんは、、、自分の為に生きてほしいと
哀しくなることがあった。
しかし、、、良い面も多く在った。
、従業員家族とともに生きていたので
皆が持ち寄る食堂は、定食のほかに
川越で買ってきた蒸かし芋とか、、、
長野で実家の鯉を届けてくれたとか、、、
めいめいが故郷のものを持ってきたりするので
食堂では、子供の口には、、、
どうかな?と思うような
塩辛とかも、、、
皆で、入れ替わり、たちかわり
差し入れて在り
15分ぐらいで早飯をしていた事を、、、思い出す。
自分だけの
スペシャルな
「トロなどを駅前で買って」きていたりすると
ひんしゅくの眼差しで、、結局は、、、本人は
一切れしか食べられないという、、、
傑作な場面もあった。
戦後の、疎開から、40歳を過ぎてからの
東京に開業した父の、、、大変さが、、、
77歳になろうとする、、、今になって
ありがとう、、、、お父さん、、、
長生きできるワケガ無かったよね、、、
戦後の日本復興期の昭和30年ごろ
開業は、従業員の家族ごと、、、
養っているのと同じこと。
疎開地の田舎で育った子供たちに
世の中から、必要とされる力を付けさせないと
アメリカの教育が入ってきていた当時は
疎開地には、
村の掟のような…見えない規律が合って
生きてゆく居場所は、
七カ村無医村というところで
唯一の、、、医師だった父のおかげで
子供たちは、、、皆
寄生木のように
「 父が受け入れられていることで
村には、受け入れられていた」 事を
振り返る時、、
、医者の子供が、生きる場所は、、、、、、
東京で、戦後の教育を受けて
社会から必要な人としての
能力を求められないと
「居場所すらないこと」が
戦後の、、、日本全員、、、貧乏時代だった。
coronaの、、、
感染拡大を防止する日々が
かれこれ、、、2年、、、外出もしていない。
多くの失業者も、、、
閉店も出ているのは
戦後の、、、日本を
思い出させられて
緊張が続いている、、、
知人の電話の代わりに
知らない電話番号からの着信に
詐欺の横行を感じるとき
オリンピックのTVの前に、、、
NHKは、撮影技術の駆使によって
あの、、、昭和の、、、
「皇太子殿下と美智子妃殿下」の
パレードの時のように、、、
TVに家族ごと、、、集める日々を
成功できれば、、、
オリンピックによって、、、日本のcorona感染は
収束に向かうことだって、、、夢ではありません。
会の後のイベントは、、、
映像ですることが、、、収束への道だと
思うのですよね。
NHKも民放も
技術を、、、corona3蜜は家族のみ!!
秋にパニックが来ないように、、、corona退治に!!!
世界の心をTVに釘づけしてくださいね!!
夏休みは、、、TVでオリンピックの
考察を宿題に選んでくださいね(^^👆
こんな夢をみていて、今日は やっぱりTVに漬かっています。
洗濯機が仕事をしてくれて
お日様が、、、乾かしてくれて、、、
TVを観乍ら、
ツギあて代わりの刺繍をしてゆく。
手だけ動いているが
頭はTVに向いています。
「フェルマーの最終理論」という番組が
たまたま、、、放送されていたので
「何のこっちゃいな?、、、」と終わりまで見たのが
昨日だったのか?、、、今日だったのか?
2進法のパソコンや、アンドロイドや、アップル社のCPUや
歳よりは、、、死なず、、、
ただ、、、社会から置き去りになるのみ、、、かな?
「コノもんどころが、、見えぬか?」、、、
水戸黄門様の、、
印籠が在った時代は、、、確かにあったのだよね!!
オリンピックを観乍ら
世界一の金メダルを目指すという
アスリートの魂は、、、全てを乗り越えて
「(金)メダルを目指して、あきらめない!!
順天堂の体操の金メダル!!、、、
美しい体操は世代を超えて引き継がれ、、、発展している!
そして、あん馬の萱選手、、、
オリンピック会場に潜む怪獣もどきの魔物に惑わされずに
メダルを目指して、、、
銅メダル獲得!!
心は、、、頑張った心の強さは
お茶の間に、、、
心の金メダルを感じさせてくれた。
東京オリンピックで、
初種目の
「BMXフリースタイル」では
可愛らしいイギリス美人の
シャーロットさんが
自転車と一体感のある
見事な美しい
自転車のアクロバット演技を
TV画面狭しと御披露して
自転車を、、ボードのように操り、
身体の延長戦のように
安定した安心感で、
ETのように空中を飛ぶ自転車!!
シヤ―ロットさん!!、、、
さすが、、、女王陛下の御国ですね、、、敬服です、
以前までは
男尊女卑と言われていた日本からも、、、
BMXに参加していた。
男女同権!!、、、
共通の種目で、、、頑張る日本女性。
そしてバスケット、、、強いね、、、世界は。。。でも
さいこーに喜んだ
午後からは、、NHKが
他局が、、、
辛抱強く、
美智子様の
ご結婚パレードを、記録映画に残していた、、
NHKを応援したくなる理由の一つは
映像一つにしても、、、国を救ったご成婚の記録が
国民の心の現れた、お馬車を見つめる群衆によって
その表情が、、、時代の証言になっているという事です。
ミッチ―ブームが来て、、
暗く貧乏だった戦後は
復興してきていたんだという事が、、、世の中を
明るくさせました。
「戦後の、、、アンナに厳しい、、貧乏時代に、、、
これほどの女性を育てられている日本は
、、、復興していたことが
国民全体に、、認識できる出来事でした。
皇室の、ご苦労のご苦労を重ねられた
昭和天皇陛下も、、、
本当のお姿に接した全国民は
陛下自らの、、全国を巡られた
戦後の復興へのエネルギーの光を感じさせてくれました。
ニッポン!日本は、、、300年の鎖国の後の開国、、、明治維新!
あっという間に、、、戦争に巻き込まれるほど
開国の歴史は浅く、、、戦後は
パイプを咥えて、、マッカーサー元帥は
日本人は12歳という、、、痛烈な言葉を残した。
追いつき、、追い越さねば、、、
原子爆弾という、、、禁じ手とも思える人間の元素化に
玉音放送は、、、戦争の終結を
涙でひれ伏す国民の皆に宣言っされた。
これは配線では無かった、、、終戦だった。
最後の一人までたたく性質の日本人
万歳岬から、、、日本、、バンザイ、、、と叫んで
捕虜になるくらいならと、、、死を選んだ日本女性。
このまま戦争が、、、原子爆弾や、、、水素爆弾で
人間が人間で無くなる、、、元素になるという、、、
科学の間違った戦争を、、、終結させたのは
人間が人間であり、、、人間として死んで行ける
基本を無視した、、、原子爆弾や、
水素爆弾の存在だったお思うのです。
玉音放送は、、、「耐えがたきを耐え、、、忍び難きを忍び、、、」とあります。
昭和天皇陛下のご苦労と、、、
鎖国と、開国のクレパスが
戦争を吹きだしてきて
12歳の日本人が戦争に巻き込まれて行って、、、
最後は、、、原子爆弾使用という
人間の心の終結を観た時、、、
世界で、、、唯一、、、この、、、
ありえない、、原子爆弾の、、、人間そのもの破壊
広島、長崎、、、街ごと破壊、、、の戦争なんて
地球破壊が実現してしまう化学兵器であるだけに
もう、、、戦争は、、、
禁じ手になる出来事だったと思います。
日本から、、、戦争の無い、、、世界平和と
太陽のエネルギーの貯蔵タンクである森の碧や
大自然の破壊を中止して、、、
地球のエネルギーが太陽から、、、無限に与えられるような
緑を守り、、、ややもすると、、、巨大な墓地に見えるような
緑の無い、、、自然の循環の無い町おこしは
未来の人類の心の豊かさを失わせないような
経済と切り離した設計で、、、
人間の心の温もりごと、、、街づくりをしてほしいと願いながら
観客の居ない「東京オリンピック」だからこそ
研ぎ澄まされた、、、アスリートの心が
素敵に思えたいくつかの場面が、、、宝物になりそうです。
オリンピックを、、、
東京オリンピックを、、
観れました!!TVでね!
ラッキーな事です。
世界の平和のスポーツの祭典
ブルーインパルスの大空の五輪、、、!
感謝の心のまま
もうすぐ77歳を迎えたいと、、、思って、、、
日記を書いています。
NHK,実況中継の民放さん、、、
感謝でTVを観ています。
世界のアスリートが日本に集まってくれた、、、
オリンピック期間中の{TV漬けは、、、まだまだ続く、、、」
TV漬けの、、、婆ちゃんでした