暑中見舞いが書けない。人間が古いのか、考えが律儀すぎるのか、梅雨の明けきらぬ天気には、なんとも気が向かぬ。然も、早々と買い込んでいた手前、引っ込みがつかない。どうしよう。返却しようか?普通葉書なら、使うこともできるが、これはいけません。困ったなぁ・・・。先月の20日くらいから書きたかったんだが、大幅にずれ込んでいる。結局は無駄使い、もったいないことである。
計画性があるのも、時によりけり。天気に関係なく行う行事ならいいが、夏のイベントの殆どが、野外のことが多いね。花火も、雨で湿れば、打上げられない。見物人も、雨に濡れれば、避難場所に殺到する。こうなると関係者は、冷や汗の連続で、階段でもあろうものなら祟られる。怪我人が出る。迷子も続出する。踏んだり蹴ったりである。出不精のわたくしとしては、家内安全を優先します。
田螺を最近、頓に見かけない。子どもの頃には、川に行けば、ぞろぞろ出くわした。味噌汁にも入っていた。夜尿症に効く、とか言っていた。田螺は、火伏せの守りとか言い、夜中に失敗してしまうことにかけた、迷信でもあろう。従って、田螺は火で焼いては成らず、味噌汁か澄ましにして飲んだ。実際は、年齢と共に失敗をしなくなるが、精神的な影響は大きかったようだ。信じ込む、ということは、それだけでも効果がある。川には、田螺は愚か、螺も蛍の幼虫もいなくなって久しい。
明日は、墓掃除に行って来よう。墓参りは、いつでもできるが、掃除となるとなかなか出来ない。春と秋の彼岸の前には、墓石を磨きに行ってはいるが、ご先祖の眠られる周りがなかなかできない。盆と暮れも、お盆は特にきれいにしておかないと、還るに帰れない。母は、祭りをしているものの、独りでは思うに任せまい。況してや、迎え火は愚か、迎える準備など一切、できないらしい。母の淋しそうな姿と、亡くなった祖母への想いが交差する。できる者が、できるようにすればいい。それに心がこもっていれば、沙羅なりと思う。
夏休みと言うに、子どもの姿が見えない。蝉は五月蝿いほどにがなり立てる。公演にも、木陰にもさっぱりいない。無論、大人もいないのね。高齢者も見えませんね。さてさて、何処に消えちゃったのかしら?なんだかなぁ・・、介護という言葉の隠れ蓑に、潜んでいる危うさを思うな。施設の中で、冷房を寒いほど効かせて、テレビをただじっと見ているか、幼稚園か保育所の大人版擬をしている風景。何か間違っているよ。地域密着型とかいうのもしたり。
自然でいいんだよ。お互い様なんだから、持ちつ持たれつでいいじゃない?医療連携とかのやり方も間違いではない。でも何だか違う気がする。ちょっとしたことも、直ぐ医者にかかる。のでなく、家庭の医学的知識で充分でしょう。普段から、普通の様子を見ていれば、異変には気がつく。無農薬栽培をし、自分でできる範囲の生活をし、地域で見守ることに意義があるように思う。とても大切なことを置き忘れて、理論ばかりが先行してるみたい。
突然、根元の脇から発芽した。日に々大きくなっています。枇杷葉の未知なる部分ですね。説明できない不可解さがあります。それだからこそ、研究している価値も大きいのです。最近は、データの更新をさぼっています。
計画性があるのも、時によりけり。天気に関係なく行う行事ならいいが、夏のイベントの殆どが、野外のことが多いね。花火も、雨で湿れば、打上げられない。見物人も、雨に濡れれば、避難場所に殺到する。こうなると関係者は、冷や汗の連続で、階段でもあろうものなら祟られる。怪我人が出る。迷子も続出する。踏んだり蹴ったりである。出不精のわたくしとしては、家内安全を優先します。
田螺を最近、頓に見かけない。子どもの頃には、川に行けば、ぞろぞろ出くわした。味噌汁にも入っていた。夜尿症に効く、とか言っていた。田螺は、火伏せの守りとか言い、夜中に失敗してしまうことにかけた、迷信でもあろう。従って、田螺は火で焼いては成らず、味噌汁か澄ましにして飲んだ。実際は、年齢と共に失敗をしなくなるが、精神的な影響は大きかったようだ。信じ込む、ということは、それだけでも効果がある。川には、田螺は愚か、螺も蛍の幼虫もいなくなって久しい。
明日は、墓掃除に行って来よう。墓参りは、いつでもできるが、掃除となるとなかなか出来ない。春と秋の彼岸の前には、墓石を磨きに行ってはいるが、ご先祖の眠られる周りがなかなかできない。盆と暮れも、お盆は特にきれいにしておかないと、還るに帰れない。母は、祭りをしているものの、独りでは思うに任せまい。況してや、迎え火は愚か、迎える準備など一切、できないらしい。母の淋しそうな姿と、亡くなった祖母への想いが交差する。できる者が、できるようにすればいい。それに心がこもっていれば、沙羅なりと思う。
夏休みと言うに、子どもの姿が見えない。蝉は五月蝿いほどにがなり立てる。公演にも、木陰にもさっぱりいない。無論、大人もいないのね。高齢者も見えませんね。さてさて、何処に消えちゃったのかしら?なんだかなぁ・・、介護という言葉の隠れ蓑に、潜んでいる危うさを思うな。施設の中で、冷房を寒いほど効かせて、テレビをただじっと見ているか、幼稚園か保育所の大人版擬をしている風景。何か間違っているよ。地域密着型とかいうのもしたり。
自然でいいんだよ。お互い様なんだから、持ちつ持たれつでいいじゃない?医療連携とかのやり方も間違いではない。でも何だか違う気がする。ちょっとしたことも、直ぐ医者にかかる。のでなく、家庭の医学的知識で充分でしょう。普段から、普通の様子を見ていれば、異変には気がつく。無農薬栽培をし、自分でできる範囲の生活をし、地域で見守ることに意義があるように思う。とても大切なことを置き忘れて、理論ばかりが先行してるみたい。
突然、根元の脇から発芽した。日に々大きくなっています。枇杷葉の未知なる部分ですね。説明できない不可解さがあります。それだからこそ、研究している価値も大きいのです。最近は、データの更新をさぼっています。