人間は本当に不可解な生き物。だと言う認識を改めてする。テレビの報道が今日も賑やかである。芸能界の話など、私には無関係だが、暇な人間には恰好の話題。指名手配の顔写真よろしく、何度も写し出される。ああだこうだと姦しい。ここでちょっと私の見解を挿んでしまった。が、直ぐに後悔した。視えないことがわかるのには、一種の不気味さがあることに舌打ちする。
好奇心に満ちた目が殺到する。で。其々の性格を分析してあげた。確率はよかったみたい。あたっている!らしい。ふ~ん、この程度なら直ぐにわかる。でも皆には、何故?わかるの???異様な眼差しを向けられた。それはね、アナタノココロヲヨンダカラヨ。っても、わからないだろうけれど。じっとその人を見ていたら、あるイメージが浮かんできて、心に入ってくるの。それでその人の考えていることがわかって、こういう人なんだな?と探りを入れればいいだけ。後は、顔の表情を見ていればわかってくるのです。
祖母は、そういう事のできる人でした。でも、私が気づいたのは、極最近です。というのも、私自身がそういうことができだして、ひどく不安定になり、居場所をなくしてしまったからです。彷徨うのが、不思議と異世界でした。あらゆる生命の生まれるところで、戦慄さえ覚えましたね。あれはこの世でも、あの世でもなかったです。そういうところに居る自分が、とても不思議でした。存在することの意味が検討もつきません。あの一瞬に、祖母や他の意識が伝わってきて、バラバラに、粉々になった。形がないのに、居ることの実感がある。阿修羅王のように、百億の昼、千億の夜を翔けていたような想いでした。
師の、光瀬龍。没後10年経った。そういう年に、阿修羅像が奈良の興福寺を、初めて出た。東京の国立博物館に現れた。展示中には、普段は見られない、後姿が見えたようです。上京はできませんでしたが、阿修羅像は、奈良の興福寺でお目にかかれるのが最高です。私が出かけるのは、興福寺南三大門である、御薪能観賞ですが、今年は行きませんでした。主の居ない興福寺は淋しいだけです。況してや、光瀬龍が亡くなって早、10年が経っていることには、深い驚きと広がる虚無があります。偉大な師でしたね。慈愛に満ちた眼差しを忘れることができません。
昨晩からの雨に、複雑な思いです。旧暦では、真夏の最中ですが、暦では立秋なのですね。閏年の暦の見方がわからない。枇杷葉を育てていくには必要だわ。年末には購入しなくては。一考ありです。月の満ち欠けや、満潮と干潮も知っておけば役立つというもの。古の人々は、こういうめんどくささを厭わずに、記録したり、伝えたりしてきたのですね。ほんとうにすごい!頭が下がります。
里の春。年老いた両親の住んで居る家から、東側の山を望んで。兎を追いかけたことはなかったが、故郷の山々の景色は、一変してしまった。今は主の居ない空き家に、飼い猫の物悲しい声がするだけである。
好奇心に満ちた目が殺到する。で。其々の性格を分析してあげた。確率はよかったみたい。あたっている!らしい。ふ~ん、この程度なら直ぐにわかる。でも皆には、何故?わかるの???異様な眼差しを向けられた。それはね、アナタノココロヲヨンダカラヨ。っても、わからないだろうけれど。じっとその人を見ていたら、あるイメージが浮かんできて、心に入ってくるの。それでその人の考えていることがわかって、こういう人なんだな?と探りを入れればいいだけ。後は、顔の表情を見ていればわかってくるのです。
祖母は、そういう事のできる人でした。でも、私が気づいたのは、極最近です。というのも、私自身がそういうことができだして、ひどく不安定になり、居場所をなくしてしまったからです。彷徨うのが、不思議と異世界でした。あらゆる生命の生まれるところで、戦慄さえ覚えましたね。あれはこの世でも、あの世でもなかったです。そういうところに居る自分が、とても不思議でした。存在することの意味が検討もつきません。あの一瞬に、祖母や他の意識が伝わってきて、バラバラに、粉々になった。形がないのに、居ることの実感がある。阿修羅王のように、百億の昼、千億の夜を翔けていたような想いでした。
師の、光瀬龍。没後10年経った。そういう年に、阿修羅像が奈良の興福寺を、初めて出た。東京の国立博物館に現れた。展示中には、普段は見られない、後姿が見えたようです。上京はできませんでしたが、阿修羅像は、奈良の興福寺でお目にかかれるのが最高です。私が出かけるのは、興福寺南三大門である、御薪能観賞ですが、今年は行きませんでした。主の居ない興福寺は淋しいだけです。況してや、光瀬龍が亡くなって早、10年が経っていることには、深い驚きと広がる虚無があります。偉大な師でしたね。慈愛に満ちた眼差しを忘れることができません。
昨晩からの雨に、複雑な思いです。旧暦では、真夏の最中ですが、暦では立秋なのですね。閏年の暦の見方がわからない。枇杷葉を育てていくには必要だわ。年末には購入しなくては。一考ありです。月の満ち欠けや、満潮と干潮も知っておけば役立つというもの。古の人々は、こういうめんどくささを厭わずに、記録したり、伝えたりしてきたのですね。ほんとうにすごい!頭が下がります。
里の春。年老いた両親の住んで居る家から、東側の山を望んで。兎を追いかけたことはなかったが、故郷の山々の景色は、一変してしまった。今は主の居ない空き家に、飼い猫の物悲しい声がするだけである。