枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

災い転じて・・・

2010年01月28日 | Weblog
 人生を長く生きていると、何が幸いするか、災いになるかはわからない。その人なりの価値観も左右して、大きく違ってくる。日本人とか外国人とかでなく、人間性の問題でしょうか。加えて、お国柄もあったり、宗教の違いもあって、様々な展開になっていく。でも、相手の立場になって考えて、必要な時に必要なだけ援けられる人が、一体何人居るのでしょうか?甚だ疑問です。

 小さな親切、大きなお世話。と言いますが、自己愛で満足して、自分は何という佳いことをしたのだろう。と、思っていても、相手にとっては、大変な迷惑でしかない場合もある。心に寄り添うことの難しさですね。またこういった行為には、資金の豊富さがあるかもしれないが、唯単に、恵みさえすればいいのではない。生きるというエネルギーに、繋がっていかせなければ何等意味がないだろう。

 同時に、人間性で欠かせないのが、感謝する行為でしょう。私は、そういった人との繋がりが、たくさんではないけれど、居てくれることの有難さを痛切しました。ありがとうと言う言葉を、百万回言ってもらうより、1回でいいから、心のこもった方がいい。何度も繰り返して言わなくても、そういった想いは、自然と伝わってくるのです。

 不思議でもなんでもなく、至極当たり前のことが、素直に伝えられることは、凄くうれしいものですね。枇杷葉も、我が家でなくっても、云わば何処にでもあります。自然の資源を利用してのやり方も、私でなくってもされている。というものです。できることなんです。もしかしたらば、我が家の枇杷葉よりも、素晴らしい物があるかもしれない。

 信じてもらえる。って、すごくうれしいよね。その誠意に応えていけるように、精神を高める努力をしていきませんか?門前の小僧、習わぬ経をよむ。の例えではないけれど、或る日急に、悟れることだってあるかもしれない。ほんとうに様々な角度から、枇杷葉を観察していけば、必ずやその極意がわかるかも。何年かかるかは不明ですが・・・

 人生が80年とすれば、悠に研究できる。然し、地球がそこまで持つかどうかは不明。地球滅亡のその日まで、枇杷葉への想いで満たしていきたい。自然に任せることができればいいなぁ。明日は、もう一度、糠と塩を入れておこう。枇杷葉エキスもかけておこう。1月も過ぎて早2月の訪れです。大宰府の梅がそろそろでしょうか。

 枇杷茶を作っておかなくては。乾燥してからでは葉が切り難いのです。これがなかなか進みません。AIちゃんのお祖母ちゃん。いっその事、枇杷湯に使われてはいかがでしょう?お茶にされるのなら、今年の生葉をお送りしましょうか?こういう時の不便さを思うと、近くがいいです。採ってきて直ぐに渡せるからね。

 今日、一日を無事に終えられる幸せを感謝して。
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