枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

墓掃除にて・・・

2010年01月24日 | Weblog
 快晴で、小春日和です。布団を干して、洗濯も済ませて、息子と実家へ墓掃除に行きました。路が猪にほじくられている。石がごろごろ出ているのを鍬で均す。鎌で笹を刈り取っていった。茨が軍手に刺さる。息子は墓石を磨きたてている。笹を刈った後に、万年青や千両の苗が見えてきた。祖母が大事にしていたのを思い出す。シキミも小さな苗がたくさん見える。昔は、仏様にお供えをするのに、買ったり、遠くまで採りに行っていた。

 祖母は、シキミの在るところを心得ていた。然も、いい木を知ってもいた。祖母にくっついていると退屈しなかったし、思わぬご馳走にもありつけた。冬の山には蜂蜜があるのだ。あの蕩けるような旨さは、市販品にはない。蜂には災難であるが、この時期、じっとして動けない。祖母も蜂に刺されるのはごめんらしかった。

 枯野に見える所にも、確実に春を待つ木々の声がしていた。炭焼きをしている小父さんも居て、消し炭でない上等の炭を分けてくれた。祖母は、籠を編んであげたり、俵を作ってあげていた。祖母の編んだ俵は、炭の粉さえ零れなかった。しゃっきっと立っていて、へなちょこに倒れることがなかったのだ。また、炭焼きのしなくなった窯跡には、蕨が手品のように生えていた。親指くらいの太さの柔かく美味しい蕨だった。

 蕗の薹が、根雪の残った所から、頭を擡げてくると、祖母は鎌でチョチョッと堀り、鍋に井戸水を汲んで七輪にかけ、塩で湯がいて味噌をつけて食べていた。好奇心でかじってみたが、苦いばかりで辟易したが、体にとっては薬だと言っていた。なるほどと、今なら理解できるが、小学校の1年生では、食べる気力は失せていた。

 小一時間もしたら、見違えるほどきれいになり、視界も開けて見晴らしがいい。菊を供え枇杷茶をあげて手を合わせた。お彼岸までは大丈夫かな?坂を下りながら、黄はだがあったのを思い出して、鎌で幹を削ってみた。黄色の皮が剥けた。少しばかりもらって帰る。腹痛に効きます。獣医さんがいなかった時代、これを煎じて丑に飲ませていた。苦い!!

 実家の前の家のお兄さん。枇杷葉を採っていてくれた。お兄さんには枇杷苗も育ててもらっているので、糠と塩の混ぜたのを渡す。樹医さんの資格があると言う、偏屈者のお兄さんです。昨年は12月に採ってもらっていたのですが、実家のは寒中でないと花芽が咲いていない。今年は、そこを見計らって、採ってもらいました。無農薬なので安心して飲めます。

 花芽だけをもらう訳にもいかず、かと言って全部は車に乗らない。天気はいいし、時間も早いので、せっせと仕分けをして車に積みました。45ℓのゴミ袋に2杯はありましたよ。花芽は帰宅してしているところです。(今、休憩中)桃の箱に一杯はあるでしょう。お茶にするのに節分までに間に合うかな?自分でしてみよう。という奇特な方は居られませんか?

 明日は雨らしいです。クリスマス・ローズの蕾が膨らんできていた。この時期、日中でないと水遣りができないので、明日の雨は有難いです。月末にもう一度枇杷葉エキスをしておこう。これをかけたら、艶が全然違ってきた。バラには特に効いたようです。天道虫も増えるかな?何だかわくわくしちゃうね。

 
コメント
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