枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

きれいに痩せるには・・・

2010年01月08日 | Weblog
 今昔問わず、綺麗になりたい。というのは何時の世も変わらない。でも、痩せたい。というのにはかなりな変化があるようですね。まあ、千年前は存じませんが、暮らしと密着していたとなると、百姓は、痩せていたでしょうね。食べる物も腹一杯ではなかったし、遊んでいるという事態は、死に繋がっていましたから。

 平民以外は、押並べてふっくらしていたように思います。でも、それだって。食べ物との関連が深いでしょう。肉ばっかりを食べていたとは思えない。魚とて同じでしょう。野菜中心が多い生活です。長生きが出来なかったのは、病気に対する知識に乏しく、自分で考えて行動。というパターンはできなかったと感じます。

 人間の身分を決められていて、生まれた時から、一生がわかっているのに、どんな努力がいっただろうか?偶然からわかったことも、自分の周りから数メートルくらいの範囲でしょう。伝える手段も限られている。記録することよりも、口頭での教えだけでは困難を極めたことだろう。

 美しさを武器にしようにも、それを認めてくれる相手が限られていた。ちょっと間違えば、この世から抹消される。危険な賭けです。然も、命を懸けた博打。そういったことに、真の賢さはない。何時の時代にも、自分を大切にする者は、美しさを表に出さないのではないか。美しさの原点が違うようです。

 美しいとか綺麗さは、心の在り方にも依るのではないかしら?教養を深め、努力を重ね、立ち居振る舞いを優雅に徹する。心根がやさしかったら、自然と態度に現れるから、美しさに磨きがかかって、誰にも好感が持たれる。言葉も、目上を敬いつつ、控えめであり、機転が利くこと。

 立てば芍薬、座れば牡丹。歩く姿は百合の花。そういう心がけが、自分自身を美しくさせていくのではないかしら?
 ああ、そうだ。その根本には、辛いことを率先して行なう。というおまけがあります。言うは易く、行うは難しです。こういった難点を乗り切らなくては、綺麗さも美しさも手には入りませんです。
コメント
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