枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

鬼に想う

2010年01月21日 | Weblog
 鬼は何時から、人間の心に住むようになったのであろうか?小姑鬼千匹とか、鬼の撹乱とか言うが、そういった格言は誰が言い始めたのか。案外、悪者にされていて、立つ瀬がないのが鬼ではないか?夜叉とも言われるが、男性よりも女性の恨み辛みが化けるらしい。そこも不思議なことです。絵本の中に、『オニタのぼうし』というのがあります。節分の日に、帽子を被って来た児が、鬼の子どもだった。という話。

 『ソメコと鬼』では、ひっさらってきた女の子のソメコに、鬼が振り回されて、鬼ごっこやかくれんぼをしながら、見つからないように、ソメコの親に手紙を書きます。ハヤクツレニキテクレ。オレイニコバンヲヤルカラ・・・。ソメコの天真爛漫な姿と、怖い筈の鬼に親近感を持ちました。斉藤隆介の文と滝平二郎の切り絵が、鮮やかに浮かびます。

 鬼は、見かけよりも心が純粋なんだという発見です。でも、人間は見かけで判断するからいただけない。鬼だって、そういう偏見は直ぐにわかる。坂田靖子の描く鬼。風呂が大好きという小鬼。土産に風呂桶を担いで還る。何ともいじらしい。芥川龍之介の『羅生門』これは心底怖かった。平安時代でなくたって怖いよ。迫力があったよな。

 鬼は、鰯の臭いと、柊が苦手だと言う。ちょっと疑問。でも、そういう隠れ蓑が愉快ですが・・・。人間の嫉妬心が鬼に変じる『葵の上』これはお能で演じられています。こっちもある意味怖いです。人間の怨念がその相手を憑き殺す。源氏物語を読んでいて、身震いしました。まあ、色恋のお話ですから仕方ありません。

 日本では、鬼にも般若、夜叉に山姥、鬼婆とあります。西洋ではさしずめ魔女でしょうかね。イメージがちょっと違うようにも感じますが。思うに、そういった言われ方が決して悪ではないということ。見解の違いからくる思い込みかしらね。ちょっと他人よりも違う、という能力が生んだ悲劇のようにも思える。単に自然を愛し、自然との共生を貫いたようにも思えるのです。

 枇杷葉の花芽が、少しばかり暖かいと咲いています。蜜蜂は流石にいません。充分に香りを楽しんで、花芽茶に採りました。今年は、我が家での初めての花芽茶です。只今、乾燥中です。

 
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