枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

明けました。

2010年01月01日 | Weblog
 新しい年。と毎年言いつつ、生活の内容は、同じ事の繰り返し。然し、あまり変化のないのが静かでいい。とも思うのです。歳を重ねるとですねえ。昨日と、今日と明日が、極端に違っていると、その変化についていけない。息切れがするようなことは避ける。まあ、のぉ~んびりと行く。テンポが緩い訳ですよ。

 往き付くところは決まっているのだから、猛スピードでダッシュしなくても、と考えるのね。つまり、のんびりと周りの景色を見ながら歩く。四季折々の草花を眺めつつ、命の恵みを感謝して行きたいのです。立ち止まってもいいし、まわり道に行っても構わない。と思うのね。私は、私の歩調で、ゴールを目指したい。

 人生は、まるでオーケストラです。様々な音色を奏でるシンホニーのように思うよ。ニューイヤー・コンサートを聴いていて、ハッとしたのね。私は、どんな音色を奏でているのかしら?ささやかでも、誰かの心に、染み透ることができたのだろうか?少しは聴いてもらえたのだろうか?自分の拙い演奏でも、耳を傾けてくれたのなら、どんなにかうれしい事だろう。そんな風に思ってしまった。

 年賀状が届いた中に、知らない間に結婚している知人が居た。と言っても、娘くらいの歳だから、以前の勤務先の知人です。祈るのは、あなたらしく。ということでしょうか?誰でもない、自分に自信を持って、家庭を築いていってほしい。何だか写真の笑顔が、緊張の塊のように見えてしまうのです。たおやかになってください。張り詰めた弦は、無理をしていると切れてしまうでしょう?

 あなたは、泣いている人に、どうやって接しますか?五月蝿く言い、泣いている理由を尋ねますか?それとも黙って一緒に居てあげますか?その人の命の危険さえなかったら、私は黙って傍に居てあげようと思います。本人にとって、それが佳いのかはわかりませんが、泣くのを止められるまで、寄り添えたらいいな。

 けれども、それは方法でしかない訳です。具体的な解決ではない。本人には、何が必要で、どうしてあげればいいか?寄り添っている間に、考えておかなければなりませんね。タイミングといいましょうか。絶妙の息の合わせ方ができれば、尚いいのではありませんか。そういった視点を備えた私で居られるよう、努力していこうと思います。

 枇杷葉のパワーを、ほんの僅かでも分けてもらい、自分なりの工夫を惜しまないこと。物言わぬ相手でも、時には風になり、暖かな日の光になって、心に静かに語りかけたい。自然の与えてくれた恵みを、私に触れた人には贈ってあげたい。さり気無く押し付けないで、居られたらいいなあぁ。

 枇杷種茶を新年に淹れたが、我が家のと違うのには、風味が消えている。何故だろうか?杏仁の香りは愚か、味にも何等美味しさがないのです。色は梔子色が出ていますが。何だかがっかりしました。どうしてこんなに違うのでしょう?不思議でなりません。乾燥方法が違うとしか言いようがない。でも、特別なことをした訳ではないよ。こんなことって初めてです。

 長崎茂木も、淡路田中も、我が家のも同じでした。祝島のだけが何故違うのでしょう?異なることは、我が家で乾燥していない。でもそれって変です。はっきりとはわかりませんが、やはり我が家の周りだけ、違う空間が生じているような気がするのです。いやいや漠然とです。私が感じるだけですが・・・。

 2010年は、如何なる年に変じていくのでしょう。幕開けですよぉ~!
コメント
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