風邪が治りました。2晩、風呂には入らず、金柑酒と山女酒、枇杷酒での免疫及び、抗体で快復したようです。36.6℃の時には、立っているのも辛かったのですが、何とか仕事をしまして、晩飯はお粥に梅干での食事にして、胃液が逆流しそうなのを止めました。風邪を引いたのには、寝不足も加わっていたらしく、胃の調子が思わしくなく、母が夢に出てきたり、故郷の夢を頻繁に視ていたから。不安に押し潰されそうに、なっていたから。
それでも、数日で治ったのには、枇杷葉のお蔭が大きい。体の機能を援け、自然治癒能力を促す働きをする。薬に頼りきらないこともあるが、気力の増幅にも役立ってくれる。何故、そういった働きになるのかは、はっきりしないが、余計なものを省くらしいのだ。あれもこれも必要なのではなく、あれもこれも捨ててすっきりすること。体は、その上でのバランスを取り、保っているのだろう。
以前は、風邪を引かないように、ごちゃごちゃとしていたので、引いたが最後、しんどさは半端でなく、寝込んでしまった。熱も、比例制でピークに達していた。扁桃腺が腫れるので、何度もあの世まで往きかけた。肺炎にもなっていたのだろう。その度に、祖母や母のお蔭で、この世に舞い戻ってきていた。その当時では、真実よくわかっていなかったが、今回の快復に関して、殊更にはっきりした。
枇杷葉の効力には、底辺の力が含まれているのだ。それも、個々に違った思いに反応して、程度に併せて出るらしい。傲慢になったり、見下したりすれば、効果は違ってくる。甘えず、媚びず、成すがままにいれば、足りない物へと補う働きをする。とても賢いのです。持ってあるものを生かす。一つあれば充分な働きをさせる。その力を、最大限に高めて、活用させるのだ。
同時に、どんなにしても取れなかった、肩凝りが消えた。息苦しかったのが、普通に呼吸できるようになった。お腹にも力が戻った。枇杷葉に委ねるのには代わりないが、気力では、任せてしまわなかった。仕事があるんだ。安易には休めない。という責任もあった。何よりも仕事に対しての誇りが、しっかりと踏み止まらせた。こんな想いは初めてだった。
枇杷葉に感謝し、枇杷葉を伝えてくれた祖母に、枇杷葉の樹を伐らせてくれた両親、亡き母に、お礼を言います。認知症を早める薬はあるかもしれませんが、治したり、加速を止めたりできるのは、枇杷葉だけです。ちょっとした歯車の歪みを修正して、知らず気づかぬ間に、元に戻していくのでしょう。そこが枇杷葉の不思議なところです。但し、信じる人にしか効きません。
枇杷葉。硬い花芽がついた状態。花が咲くのは、もっと先になります。
それでも、数日で治ったのには、枇杷葉のお蔭が大きい。体の機能を援け、自然治癒能力を促す働きをする。薬に頼りきらないこともあるが、気力の増幅にも役立ってくれる。何故、そういった働きになるのかは、はっきりしないが、余計なものを省くらしいのだ。あれもこれも必要なのではなく、あれもこれも捨ててすっきりすること。体は、その上でのバランスを取り、保っているのだろう。
以前は、風邪を引かないように、ごちゃごちゃとしていたので、引いたが最後、しんどさは半端でなく、寝込んでしまった。熱も、比例制でピークに達していた。扁桃腺が腫れるので、何度もあの世まで往きかけた。肺炎にもなっていたのだろう。その度に、祖母や母のお蔭で、この世に舞い戻ってきていた。その当時では、真実よくわかっていなかったが、今回の快復に関して、殊更にはっきりした。
枇杷葉の効力には、底辺の力が含まれているのだ。それも、個々に違った思いに反応して、程度に併せて出るらしい。傲慢になったり、見下したりすれば、効果は違ってくる。甘えず、媚びず、成すがままにいれば、足りない物へと補う働きをする。とても賢いのです。持ってあるものを生かす。一つあれば充分な働きをさせる。その力を、最大限に高めて、活用させるのだ。
同時に、どんなにしても取れなかった、肩凝りが消えた。息苦しかったのが、普通に呼吸できるようになった。お腹にも力が戻った。枇杷葉に委ねるのには代わりないが、気力では、任せてしまわなかった。仕事があるんだ。安易には休めない。という責任もあった。何よりも仕事に対しての誇りが、しっかりと踏み止まらせた。こんな想いは初めてだった。
枇杷葉に感謝し、枇杷葉を伝えてくれた祖母に、枇杷葉の樹を伐らせてくれた両親、亡き母に、お礼を言います。認知症を早める薬はあるかもしれませんが、治したり、加速を止めたりできるのは、枇杷葉だけです。ちょっとした歯車の歪みを修正して、知らず気づかぬ間に、元に戻していくのでしょう。そこが枇杷葉の不思議なところです。但し、信じる人にしか効きません。
枇杷葉。硬い花芽がついた状態。花が咲くのは、もっと先になります。