枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

贈り物

2010年11月18日 | Weblog
 人間の思考や、価値観にも依るが、人は一体にして、何を贈られれば満足するのだろうか。魔法の壷があって、願い事を云えば、叶えてくれるなら、何を頼むのだろう。私が願うのは、母と一緒に亡くなる寸前まで過ごしたい事と、父を看取りたい事。最後にこの世に産んでもらいながら、何もできなかったことを詫びたい。その願いが叶うなら枇杷葉での生活を、心置きなくさせてあげられるんだが。

 薬で、精神を破壊するのではなく、枇杷葉で痛みを和らげ、心を平らにして、平安を保たせて送ってあげたかったのだ。枇杷葉が、無憂扇と云われるには、自律神経の回復を促し、精神力を増幅させるからですが、これらは医者が行なうのではなく、自分の持ち得る力を、最大限に使うことになるのです。つまりは、自然治癒能力を復活させることです。来る日も来る日も、枇杷葉茶を飲みながら、じっと耐えて待ちます。

 辛抱強い、気長、我慢強いこと、耐える。どれ一つも諦めない思いばかりです。実に根気を必要とするもので、並みの努力では続きません。毎日、毎日同じ事を繰り返し、1ヶ月が、3ヶ月になり、半年が過ぎ、1年が経つ。自分自身でも、莫迦ではないか?と自問自答しながらやるのは、一縷の望みにかけているから。万に一つの奇跡の起こるのを信じながら・・・。

 それでいて不思議なのは、枇杷葉の悪口や、私に対する悪意には、枇杷葉のしっぺ返しがいくのです。どんな凶器よりも確実に、相手の息の根を止めるのです。若しくは、病に憑かされてしまう。これだけは、私の預かり知らぬ事ゆえ、どんなに私を、陥れようとしてもだめです。逆効果です。以前には、こういった一連の出来事は、見てみぬ振りで過ごしてきました。最近の変化には、眼を瞠る事件がありますね。

 休みの日には、天気が良ければ布団干し。洗濯はむろんのこと、掃除は玄関に限り。拭き掃除はしますが、以前よりも横着になっている。今年も僅かだが、大掃除の手抜きを思案中だ。今から毎日、ガラス戸のパッキンを、歯ブラシで磨いておれば、結露があっても大丈夫かな?我が家は、湿度が多いので、除湿してはいるのですが。

 木星。マイナス2.9等星の輝き。これがダイアモンドなら、って、思いますか?重くて指に嵌められませんよ。(木星の比重では)遠くから眺めてこそです。
コメント
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