雨が降らずで、晴天続き、花木の撓れた姿に、水を遣る。鉢物が多いため、往復していたら、意外と時が経つもの。夕ご飯を戴き、パソコンの前に座れば眠気が襲う。体の疲れが溜まるのも、勤務の激務から来るが、これは性格の現われか。
新月が近く、Aさん家に水をもらいに寄る。その途端、息子さんの右足が痛いので、治療できないか。と頼まれる。患部に触ると、火がついたように熱い。聴けば、枇杷湯をしたらしいが、刺激したと話す。愕然としつつ、生葉を採ってきてもらう。
満身の力を注ぐこと、数十分。痛みが残っている、と言っていたのが、次第に消え、起き上がった時には、首を傾げる有様。一旦、自宅に帰り、数日後に来ると言われる。生葉を患部に貼るよう伝え、手当てを促し、水を持って早々お暇する。
旧暦の用い方を知っている方には、どうということもないが、西洋暦のままに、一週間で事を運ぶと、様々に障りの出ることがあるのだ。ところが、気づかないことが多く、自然の警告には無頓着である。それにしても、波動に惹かれてしまう。
簡単で、便利なものほど怖い。空気の流れや澱みは、実際には眼に見えず、わかり難いと思われるが、見ようとすればわかることだ。信じることが、視えさせてくれ、真実を映し出す。或いは、正しい姿を視させることに、良心の呵責を来たす。
キリストを信じる者ではなく、ブラフマンであり、宇宙そのものが存在することに意味がある。神は、森羅万象に通じる。ありとあらゆる信仰の元に還る。人間の心に宿る、一種の崇拝ではなく、全ての源だ。全知全能の神・即ち宇宙に値する。
其処に、往ったことのあるものにしか、知ることができない。また、それを知っているからと、無闇に話すことも、伝えることも憚る。どのように謂わしめようと、理解の度合いを超え、説明できる事柄でもない。体に直接、感じるためでもある。
咲き始めたクリスマスローズ。満開を過ぎ、種を落としてはいるが、初夏まで咲き続ける。たくさんになった。