枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

恵みの雨・・・

2014年04月28日 | Weblog

 やっと降った雨ではあるが、風が次第に強くなり、吹き降りである。勤務を終えて、駐車場までの距離が、濡れてしまう。帰宅して、薄着をしていたが、クシャミで上着を羽織り、ストーブを点けた。寝込んではいられない。何しろ四連休は仕事である。

 あまりのハードな勤務に、有給を使うことにする。幾らなんでも、体が持たない。若い時ならいざ知らず、還暦を過ぎると思うに任せない。実際には、その年齢にならぬとわからないもの。しんどさが違うことに、今更ながら驚いてしまう。歳を重ねていく。

 フェンスの向うの草抜きをしなくては、と気にはなっていたが、湿りが少なくては、と待っていた。連休なので、枇杷の袋かけや、初夏への対策もある。薔薇の蕾がたくさん付いているのがうれしい。白色の木香バラは、フェンスを覆い隠して溢れている。

 あちこちの片付をしなくてならず、横着をしていたのが悔やまれる。風は山河より、全巻読破。図書館には、ナルニア国ものがたりを全巻読んでから。どのみち連休中は閉まっている。田舎の事情ではこれが限度。休みでは利用度合いが低いのだ。

 山が緑に染まり、川面は太陽を受けてきらめくばかり。自然の移ろいには、時間を要することと同時に、変わらず流れていくものとがある。その帳合いに、不思議と気づく時、微妙なる変化がわかる。耳を澄ませば、田園交響曲の奏が風に乗って聴こゆ。

 病み上がりの体には、高々3連勤が堪える。気儘に過ごしていることには、体は疲れないものだが、お金をもらってとあれば、中々そうもいかない。そういったことを割り切って働ければ、巧く立ち回りができて、適当なさぼりもできるんだが、否である。

 介護の仕事は、考え方や行動で、負担にもなるし、気負いもなくなる。然し、親身にならなければできないこともある。相手の気持ちに添う、ということも限度も出て来るし、当たり前だが受け入れる度合いに差もある。その許容範囲が何処までか?

 節分の時の金星。この後は、内合に転じ、明けの明星となる。別名、一番星と呼ばれ、一際明るい惑星。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする