枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

卯月、上弦・小潮

2020年05月01日 | Weblog
 素晴らしく天気の、気温も高い朝です。直ぐに蒲団を干す段取りをして、洗濯に掛かる。少ないのでシーツを剥がして洗う。衣類も種類別にするので、3杯になった。風も多少あるので乾きも早い。パンを食べていたら、すばるの好物なので催促をされる。珈琲もおちおち飲めない。誰かのようには優雅な生活は出来ない。それにしても無理な施策。

 昨夕連絡があり、足湯に来るとのことで、段取りをすることに。枇杷葉の袋掛けもあるが、明後日にしよう。取敢えずは毛布も干しておくことにして、天気を幸いに外に出す。花も切っておこうと、木香バラやシラン、姫金魚草も活ける。水遣りもしなければと、ペットボトルでの補給をしておく。気づけば早昼が近い。宅配も届いており安堵する。

 八十八夜 メーデーでもある。例年なら、気分的にも鬱陶しい時期だが、辞めるこちらとしては爽快でもある。食事がどうなろうとも知ったことではない。予測のつく分気の毒な思いもあるが、案じていても仕方がない。料理の苦手な者が工夫して、どうすればいいかを考えたことには、大いに意味がある。高齢者への提供には何よりも配慮が要る。

 尤も、誰かに強制されてではなく、試行錯誤した結果として、個々への対応へとしていったことが大きいのだ。好みの問題もあり、同じ食材を使う工夫も大切で、金額の限度が出て来る。捨てないで使い切ることも大切だが、何でも皮を剥いてしまう。家庭では塵を出さない工夫をしない?テレビは何のために観てるのか、疑問も多く課題でも有る。

 施設の方々を看るのは、一日の体調管理もあるし、異変を素早く察知することにも繋がる。何の為のカウンセリングか分からない。薬を出して飲ませばいいのではなく、本人にとって生活し易い環境を保持することに有る。体調の異変は、身体の隅々に表れるので早く気づいて対応したい。トイレ誘導や入浴介助だけが優先でもない。生きることに。

 自然を大切にしようと言いながら、森や林は荒れ放題だし、海も宇宙も汚し放題を遣る。これでは生き物は棲めないのを隠しての、人間優先の生活でもある。今回のコロナで明らかになった。支援支給するのも、政府寄りの者へのことで、住所もない者や、言えない者には届かない。してやるんだという傲慢さに憤りを感じる。給料返上で遣れば!

 猫の習性だろう。でも、腹がくちくならないと、のんびりとはしないのである。鳴かないすばるだが。

 

 
コメント
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