枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

季節は往くもの

2020年05月25日 | Weblog
 一年は過ぎて来るが、再びと同じことは無い。季節の移ろいにも、昨年と一緒ということも無ければ、全く違うと言うことでもない。自分の存在を何処に置くかでも異なる。個人的には、コロナであるからと言うことでなく、普通の暮しをしているだけだ。自分のことをとやかく言われるのも厭で、兄妹や子ども等にも言われる筋はない。

 他人を当てにしないことも、生きていく上では大事なことだ。肝心な事は、非力であっても頼らない事に通じる。スマホに替えれば、と言われても大金である。況してや諸経費を誰が払うのか?自分である。高額な金額であるなら契約しないのが得策。隔離されているのではなく、人付き合いが厭なだけであり、自分の思うようにしたい。

 今迄、散々に騙されもし、嘘を吐かれてきたことにも疲れた。そうでない人とだけ付き合えばいいのであって、我慢して迄することでもない。出費も少ない。自分で納得してのことなら、大抵のことは我慢できるものだ。他人を羨まず、清貧の暮しで好い。これが幸せでなくて何であろう?逢いたい人は既に亡く、そこに向かうだけでも。

 天気に蒲団を干す。昨日は、出掛けることでしていなかった。洗濯はある程度溜まるので、水量を加減してする。ここを訪れてくれる方がいても、時折覗きには行くが読むだけである。あちこちアクセスするとパソコンの調子が狂う。体質かも知れないが、遠出は禁物である。リエさんからの情報には、大いに納得できることも。観てます。

 そろそろ火星が際立つ。反対に金星が観えなくなる。月は、変わらず廻って来るが、最近は夕方になったら雲が厚くなり閉ざされる。宇宙の事情にも由ろうが、人類が管理する問題ではない。天は人間の創ったものではない。其処に棲むあらゆる生命への育みである。時を超えて、命を変えていく。新人類は特殊能力を持ってくるのか疑問。 

 勤務中も、そうでなくっても、月曜日はのんびりと出来る。図書館が休みであり、出掛けることも無く過ごせるからだ。そういったことに弁当が加わったものの、休みにして身体を休める。然し庭の見守りは手抜きできない。油断大敵とも言うが、毛虫の成長が著しい。芍薬の咲いて終わったのを摘んだら、蕾が大きくなって開花してきた。

 沢田研二さんのDVDが高額になったので、買うのを諦めている。俄かファンでもあり、完売となっても仕方ない。心は何時でも翔けて往けるので、拘りは無い。それでも、コロナの関係でコンサートが全て中止になったのは淋しい。地元での開催がなく、リエさんと東京公演に行くのを心待ちにしていた。当分は上京の機会も怪しくなった。

 首輪がきつくなってきたようで、ネットで新しいのを買ったが、今度は大き過ぎて抜けることもある。
 

 
コメント
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