枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

季節は初夏へと

2022年04月15日 | Weblog
 今朝も寒い。一昨日までの気温を思うが、出かけるので少し薄着にしたらくしゃみが出た。帰宅してカーディガンの分厚いのと替える。スカートを穿き替えロングにしたが、ウエストがすんなり入った。59㎝なのよ。ちょっと痩せ過ぎのきらいもあるが、以前の体形に戻ったので箪笥の衣類が着られるのはうれしい。ある意味安堵であるが、流行の服とはいかないまでも。

 今朝は、雨こそ止んでいるが曇空。図書館に寄った時点では小雨になり、月こそないと濡れて帰ったがこれもくしゃみの原因かな?それでも風邪は引かないし、発熱さえしないという健康体です。頭脳明晰とはいかぬし、性格も悪い。素直で正直って、思っていることを云うので毛嫌いさせるのか?愛は平等等とも誰もが幸せであり、健やかであれと思わないのです。

 それって無理じゃない?誰もが皆、平等であり自由な社会は未来永劫成り立たない。小さな親切も、大きなお世話となって嫌われるのが落ちです。最初は良いことばかりを並べ、結果的には自分にとっての価値観で決まる。この手で何度も騙されるが懲りないばかりか、ハードルを上げる。内心では立ち上がれない程傷ついていても、云わないから分からないでしょ。

 旧暦での暮らしで、便利さも快適さも程好く感じれるのが好い。火力発電は半分での電力供給で済んでいたりを、値上げや原発再稼働へと舵を切る。それは言わずもがな、戦争への加担に他ならないのです。ウランを採掘するのには、機械では掘れません。放射線量も半端ではありませんが、現地の者が従事し低賃金での止む無く働く。事故が起きれば未来永劫解決なく。

 今日の予定では、枇杷葉の袋掛けをと思っていたが寒くもあって止めた。すばるも、指定の箱で丸くなっており敷物は片付かない。バスタオルに換えたら、寒いとそっぽを向かれたので再度敷いた。でもさ、あの気温上昇では暑かったのよ、毛皮装着だから気になるじゃない?あ・自由に何処でも行くから好いんだ。これも小さな親切なのね。飼い主の反省は続くの。

 藤の季節になり、山を覆うように紫の花房が長く垂れている。風に揺れると、紫の水が流れているかと思う景観に圧倒される。それが南と西の斜面、木に纏わりついて咲いているのが素晴らしい。何処に行くでもなく、居ながらにして眺めてのことに自然の有難さを想う。横着者には気づかせて貰えることがうれしく、あるが儘を堪能しておりこれも心の持ち方か?
コメント (4)
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