枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

うさぎのダンス・47

2023年04月04日 | Weblog
 ふみこは、リョウの声を聴いていれば心が弾んだ。時を刻む中で、離れていても通じることには愛しさが沸き上がる。あの時に、何も要らぬと約束した。リョウの心を奪えるものでもなく、静観だけが赦されているのだ。それには姿や形を代えて、リョウの傍に居たいとの想いだけだから届いたのかもしれない。

 願えば必ず、何かを差し出し引き換えて新たな路に進む。ふみこは今のままを不足なく過せることに、これ以上も以下もないと知り得た。祖母の謂った意味も解け、時空を旅していた不安定な異世界には戻りたくない。リョウの、ふみこを呼ぶ声にうれしさがこみ上げる。リョウは、そのことには気づかぬが…。

 漆黒の闇に、白龍の背にいてもそれは揺ぎ無い。ふみこは希ことよりも、与えてくれることに感謝をした。生かされてのことへの祈りさえ怠らねばよいのだと、森羅万象へ捧ぐ。生きている、それは何というありがたさであろう。ふみこは宙を観あげながら昴に瞳を向け、あそこに居たのよねリョウさんの故郷。

 ふみこが感じさえすれば、リョウは傍に居る。この先の移りを知らせる手立ては、気づいてくれてのことしかない。ふみこは直感を信じ邪念を持たずに、明日へと向かう。何がそうさせるのかは判っており、思念が直に伝わる。その日が来るのは近いとも覚悟し、最後の日までを生かせてくれてを強く潮に乗る。

 ふみこが切羽詰まる時には、救いの手が差し伸べてきて解決に至る。それは宇宙そのものだと思え、受け入れることの容易さも甘んじていくのだ。自然に、瞳を向けて祈りと感謝であれば佳とする天啓なのだ。リョウさんが居る、それだけでふみこは歓びに満ちて逝ける。座する弥勒菩薩の道標まで漸くに来た。
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