田植えの準備にてんてこ舞いであった子どもの頃、村中総出の溝攫え行事。忍冬や野苺の繁りを切り、用水路の落ち葉を漉くい片付ける。当時は池の水と天水頼り、流れも滞ると厄介から朝早くから起こされ手伝いに駆り出された。
祖母は実が熟れてのこと、子ども等の楽しみとそこだけを誰よりも早く刈り込んでくれた。草刈り機は無く手作業は、有に2時間は要したと今更ながら思える。天が白み懸かる時刻、手早く着替えてのことに孫等への想いを深め感謝とも。
5月の時期は、稲籾を湯に浸し苗代に撒き発芽を焼きすくもにて促せる。霜が下りてもあるから夜空に問い、毎朝見回る。月の状態欠かせず、異変を察知して対策をしていた。孫の中で鮮明と記憶は濃くなのを、不思議に想えるこの頃。
座して覚る行為は、何も大勢の中に行くことではなく自らの心得かと。他人の気配察し、邪悪さ感じるのは宜しくないと殊更に想える。与えられた場所は、森羅万象に亘り白龍守るを覚えれば佳。多くを望まず願わないこと、適えられし。
明るさに立てば暗闇を視るもの、反対に居るなら隅々まで照らされてが判る。心に生じた懸念、急かず思考してのこと転じてと思う也。個人差は否めずも、自らへの問いかけを忘れない。