1975年頃の新宿界隈
京王プラザ、三井ビル辺りには外国の観光客の姿などが見られるようになった。
車の横転事故が有り、白バイ警官が到着。
白バイも今の車種とは全く違う。
排気量も小さかったのではないかと思う。
西口公園に通ずる歩道だったと思うが・・・オフィスガールだろうか?
肩を組んで歩く若い人たちの姿をあちこちで見かけるようになった。
新宿駅西口広場の排気塔の近くのバス停でバスを待つ人達。
バス乗り場は現在のように整備されておらず、排気塔周辺にバス停が作られていた。
休日、若い人たちのデートの待ち合わせ場所だったのだろうか。
あるビルの前に置かれた車。
多分外車?だと思う。
この頃の車のバックミラーはすべてボンネットの両側についていた。
現在の歌舞伎町近辺だと思うが記憶が定かではない。
新宿高野フルーツパーラー。
新宿で果物を買うならば高野フルーツと云われたほど、おいてあるフルーツの種類の多さと高級品の品揃えで有名だった。
中には我々庶民の手の届かないほど高価なものもあった。
この並びに「帝都座」と云う映画館があった。
戦後すぐにオープン、最初に見たアメリカ映画はアカデミー賞受賞の「わが生涯の最良の年」だった。
当時老骨は16歳。
戦後20年位は娯楽と云えば映画だけだった。
昭和23年頃には「新宿武蔵野館」がオープンしていた。
客席は3階まであり、2階3階に至る階段は空爆を受けて崩れたままだった。
そんな中、映画は入れ替え制で、入館を待つ人々が映画館の周りを二回りも三周りもする位並んでいた。
老骨も休日ともなれば新宿に出かけ映画見物の梯子をして歩いたものだ。