閑居シニアの写真館

リタイヤして30年、いろいろと写真を写し続けています。最近は身近な風景を見たまま気ままに写真を楽しんでいます。

吉祥寺秋祭り 3

2016-09-16 09:24:41 | 

お寺の思い出

JR中央線には高円寺、吉祥寺、国分寺と寺の名が付く駅があるが、吉祥寺だけが同じ名の付くお寺が無い。

何故なのか?簡単に言うと、吉祥寺と云うお寺は紆余曲折があり、元々今の水道橋近くにあった。

1657年に明暦の大火(振袖火事)で類焼、本駒込に移築された。

寺は本駒込に移ったが焼け出された門前町の人たちは住む所が無くなり、寺町を離れ、現在の武蔵野市に移り住んだ。

以前住んでいた吉祥寺門前町が忘れられずこの武蔵野の地を吉祥寺と名付けた。

そのために吉祥寺と云う寺は存在しないと云われている。

月窓禅寺。

子供の頃は木造の質素な門構えの寺だったが、今はこのような立派な門構えになっている。

 

月窓禅寺の丁度後ろ側に当たる所、井の頭通りに面して蓮乗寺がある。

この寺の門構えは昔と変わらず質素なものだ。

本堂前に大銀杏の木がある。

私が小学校5年生頃(1941年)には、お菓子屋さんや駄菓子屋さんから菓子の類が消えかけていた。

秋になると学校帰りに遠回りをして、この蓮乗寺の銀杏になる銀杏の実を拾いに寄ったものだ。

学帽の中にあの匂いが強烈な実を入れて家に持ち帰り、中身を取り出して干し、後日それを炒っておやつ代わりにしたものだ。

この蓮乗寺と月窓禅寺は毎月4の付く日と8の付く日が縁日で、朝から夜10時頃まで屋台が出て賑わった。

例によってこの日は母にねだって小使いをせびったものだ。

確か月窓禅寺が4の付く日で、蓮乗寺が8の付く日だったと記憶している。

八幡神社近くに安養寺と云う寺があり、蓮乗寺、月窓禅寺の3寺が吉祥寺駅を中心に南北に広大な土地を所有していると言われていた。

私の友人宅の土地も月窓禅寺からの借地だった。

八幡様と、この3寺は子供の頃の遊び場だった。

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吉祥寺秋祭り 2

2016-09-15 09:51:00 | 日常

神輿と八幡神社

御幣をもった人を先頭に神輿が来た。

この神輿も女性が担いでいた。

神輿はダイヤ街に入ってきた。

神輿を担ぐ人、手拍子をとる人、スマホで撮影する人など女性が目立つ。

五日市通りに面した八幡神社。

「武蔵野八幡宮例大祭」9月15日と書いた幟りが立っている。

吉祥寺の氏神様としての八幡様の例大祭は15日なのだ。

参道の両側には露店が並び、大勢の参拝客で賑わっていた。

子供の頃このお祭りが楽しみで、待ち遠しかったものだ。

普段は小使いとして10銭貰うのがせいいぱいだったが、このお祭りの日には、母にせがんで50銭を貰い、出店で物を買うのが最高の楽しみであり、贅沢だった。

{昭和十五年、(1940年頃)10銭は現在の1円の1/10、当時の屋台で食べる「支那そば」が一杯10銭、銭湯の子供料金が10銭だった}

社殿は作り変えられたのだろうか、真新しく立派になっていた。

境内にしばし佇み、子供の頃の思い出に浸っていた。

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吉祥寺秋祭り 1

2016-09-14 09:44:57 | 

第44回吉祥寺秋祭り

9月11.12日に第44回吉祥寺秋祭りが開催された。

吉祥寺は、私が5歳(1936年)から27歳(1958年)までを過した故郷でもある。

戦前戦後の吉祥寺を知る数少ない生き残りだと思っている。

11日に、ただ一人残った幼馴染の友人を訪ねながら久し振りに吉祥寺に出かけた。

サンロードには、秋祭りの垂れ幕が下げられ、祭りの雰囲気を盛り上げていた。

平和通では、太鼓が打ち鳴らされ、いやがうえにも祭りの気分が盛り上がり、観客を祭り気分に誘い込んでいた。

午後の3時頃にはこの平和通りに各町会の神輿が勢ぞろいすると云う事だった。

2時過ぎに一基の神輿が平和通に入ってきた。

最近は何処の祭りの神輿でも、担ぎ手に女性の姿が目立つようになった。

女性の中には結構なお歳な人もいて女性の活力の凄さを見せつけられる思いだった。

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夏の名残

2016-09-13 09:20:17 | 日常

風鈴とアイスクリーム

夏の風物詩「風鈴」。

我が家では毎年風鈴を吊るす。

そよ風に揺られてチリンチリンと澄んだ音色を聴くと何となく涼しさを感じる。

子供の頃には、屋台?に風鈴を吊るして売り歩く風鈴売りがいた。

その風鈴たちの音色の合唱が涼しさを振りまいていた。

最近はこの「風鈴を」買い求めるのもなかなか難しいので、秋になると取り外し保管して置く。

ここの所、秋の気配が忍び寄り、心なしか風鈴の音色が涼しさを通り越して肌寒さを感じるようになって来た。

そろそろ片付ける時期になったようだ。

この所、暑い日にはお世話になったアイスクリームやかき氷もあまり口にしなくなった。

色々な銘柄のアイスクリームやかき氷を食べたが、写真の白熊と云う名のかき氷は蓋を撮った時にすごく楽しい。

色とりどりの果物やゼリーのトッピングが美しい。

九州名物で白熊と云うネーミングも面白い。

夏の冷菓にも随分お世話になった。

ようやく秋の気配が漂う季節になってきたことは老骨にとっては何より嬉しい。

これからは外出も楽しい季節になる。

暑さで外出する機会が殆ど無く、運動不足になると云う脅迫観念からも開放されそうだ。

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銀塩ミニカメラ 2

2016-09-11 10:12:00 | カメラ

超ミニカメラ「ミノックス」

「ミノックス」カメラは、戦前ドイツでスパイ用カメラとして開発された高性能超ミニカメラだ。

戦後から現在まで改良を重ねながら製造されて来た。

最新型カメラはボデーの長さが多少長くなり、より高性能になり、価格も20万円を越えるような価格になっている。

箱の蓋を開けると、右下にカメラ本体、その左にフラッシュバルブ発光器、上左にバッテリー、その右にネックチエーン、フイルムが入っている。

このカメラは「ミノックス」社とミノルタカメラが提携して作ったミノックスの中では最も小さいカメラだ。

価格は30年以上前で4万円位だったと思う。

カメラ中央の四角い部分がレンズ、左の四角い部分はファインダーだ。

フイルムはカメラボデーを引き出してセットするマガジン方式だ。

フイルムをセットしたらボデーケースの中に押し込む。

すべてを格納した状態。

撮影は、ボデーをカチッと止まるまで引き出す。

シャッターを切った後、引きだした部分をボデーケースに収めると、フイルムが一枚送られるようになっている。

左上の黄色い丸いものがシャッターボタン、小型ながら撮影はオート、絞り優先、手動でピント合わせをすることが出来る。

特に接写が得意だ。

つまりスパイ活動向きに出来ているのだ。

フイルムは16ミリフイルムを使う。

フイルムは「ミノックス」はまだ現役で活躍しているので、カメラ量販店に行けば手に入れるこが出来る。

現像も一部のラボでは出来るのだろうと思う。

現在でも「ミノックス」愛好者が多くいる。

私の友人で、「ミノックス」クラブと云う「ミノックス」愛好者のグループに加入している人がいて、毎年写真展を行っている。

このように小さなフイルムだが、A3位までは引き伸ばすことが出来る。

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銀塩ミニカメラ 1

2016-09-09 09:42:18 | カメラ

ライター型カメラ

私の現役時代には銀塩カメラのコンパクトカメラ、一眼レフカメラ、大型組み立てカメラ、ミニカメラ、そして一眼レフカメラ用交換レンズ等、100種以上のカメラを保有していた。

今やデジタルカメラ時代となり、昔の銀塩カメラを使う事が殆ど無くなってしまった。

時代の流れに沿ってデジタルカメラを保有することになった。

従って、昔のカメラの保管場所にも困るようになり、すべて処分してしまった。

愛着のあるカメラを手放すことは断腸の思いだった。

しかし、どうしても手放せなかったカメラに特殊なキャノンカメラ、ミニカメラ「ミノックス」、ライター型ミニカメラは保管している。

その中のライター型カメラを紹介しよう。

このライター型カメラはジッポーライターと同じ形と大きさだ。

外箱にはカメラ&シガレットライターとなっている。

このカメラは皆さんご存知の映画、「ローマの休日」の中で、グレゴリーペックの新聞記者の相棒のカメラマンが、オードリーヘップバーンの王妃を盗み撮りする時に使われたライター型カメラだ。

蓋を開けると左側にフイルム、隣にケースに入ったライターが見える。

左がライターカメラ、フイルムマガジン、密着写真、引き伸ばした写真が入っている。

フイルムの大きさは幅8ミリのフイルムで、撮影面積は小指の爪の1/2位だ。

写真は私が撮影したもの。

 

前面の中ほどに見えるのがレンズ。

 

撮影する時は蓋を開き、ライターの火をつけ、タバコに火をつける振りをしながらシャッターを切ると云う仕掛けになっている。

     

ライターケースの中は左がライター、右がカメラと云う2個のブロックから出来ている。

この二つがケースの中に入っている。

こんなおもちゃのようなカメラだが、結構写る。

ただ現像は写真屋さんでは出来ず、自分でするしかなかった。

アマチュアでは一寸使いずらかったかも知れない。

このように外国映画の中で使われたカメラとして愛着があり、手元に置いている。

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見慣れない花

2016-09-07 09:53:36 | 

見たことが無い花

父母の三十三回忌に仏前に供えた花の中に見慣れない花があった。

名前は分からない。

花屋さんに聞けば分かるかも知れない。

多分洋種の園芸種なのだろう。

私は今までに見たことが無く、珍しかったので一枚パチリ。

今日はまたまた台風13号が関東地方に向かってくると云う予報が出ている。

もし上陸した場合には、なんとか被害が少なくて済むようにと祈る。

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法事

2016-09-06 10:05:07 | 日常

父母の三十三回忌

一昨日、父母の三十三回忌の法要を行った。

父母が他界して早や三十三回忌とは感無量であった。

通常は浄土真宗の寺で行うのだが、ご住職の話で、三十三回忌はには高齢者が多く、寺まで来てもらうのは大変だからご自宅で法要を行いましょう。

と云う事で、自宅で行うことにした。

私の五人兄弟夫婦共に健在で、正月以来全員が集まった。

そして私の子供夫婦と孫夫婦、兄弟たちの子供たちと大勢になり、部屋いっぱいになってしまった。

法要の後、ご住職の有意義な話を聞く。

三十三回忌に子供夫婦が全員健在で、しかもこのように大勢の人が集まることは近年稀で、珍しい事ですと言われた。

法要が終わり、子供の頃の話に花咲いた。

全員戦争体験者で、一番下だけが昭和19年生まれだ。

戦後の苦しい時代に五人の子供を育てた親の苦労は如何ばかりだったか、自分たちは子供の頃より如何に良く働いたか、食料の調達に苦労したことなど、同席した孫たちに聞かせたりして、過ぎ去った昔を語り合った。

一族全員が集まった三十三回忌、泉下の父母もさぞ喜んでくれたことだろう。

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秋海棠

2016-09-05 09:43:22 | 日常

国分寺内万葉百花園の秋海棠

ふれあい広場もこの日は人影は全く無かった。

こんな静かな広場に来たのは初めての事だ。

広場を抜けて、国分寺本堂前の万葉百花園に出る。

湧水が流れ落ちる石樋、周囲の葉が雨に濡れてしっとりと落ち着いた感じになっていた。

境内の万葉百花園には今の季節咲く花が無い。

そんな中、秋海棠の花が雨に濡れてしっとりとした美しさを見せていた。

あれこれと何枚か撮影する。

水滴が付いているもの、付いていないもの色々だった。

花の撮影には曇天から雨天にかけてが色合いも美しく、良い感じの写真になる。

但し、色温度が高くなり青みがかった写真になるので、色温度の補正が必要かも知れない。

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公園内の花壇

2016-09-04 09:00:19 | 都立武蔵国分寺公園

園内の花壇

公園正面入り口近くに花壇がある。

今の時期咲く花は幾らも無い。

花壇一面に咲く黄色い小さな花、花名は不明。

黄色い絨毯のように広がっていた。

こんな花もあった。

紅色と白の球状の花だ。

遠くにサルビアの赤い花が見える。

これも季節はずれかなと思うが、ダリアが一輪咲き残っていた。

コスモス。秋の訪れを感じさせるが、まだ数輪しか咲いていなかった。

萩の花を見ると秋十五夜の月を思い浮かべる。

萩、桔梗・・・・・から始まる秋の七草の筆頭に挙げられている花、涼しい秋が待ち遠しい。

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