マーベラスS

King Of Western-Swing!!
歌と食と酒、それに声のページ。

変わらないねぇ~バリー

2012-02-09 01:16:27 | 音楽

かつてSkylineというブルーグラス・バンドがあった。
特に思い入れがあるのは、MAPSが一番最初に招聘したミュージシャンだからだ。
MAPSは、かつて一緒に70年代、ブルーグラスバンドを組んで遊んでいた仲間の一人、佐竹晃が米国に渡り、ニューヨークでトニー・トリシュカの知遇を得て、彼らが日本に来たがっていると聞き、もう一人の仲間、藤井祟志が起こしたプロモート会社だった。

かつて私の弱小劇団、ハウディハウスもMAPSの手で大阪公演させてもらっていた。
逆から読むとSPAM。 安価なポーク缶詰になり、SMAPは我々が育てた歌い手でもなんでもない。
Music Amusement Performance Serviceの略なのだと藤井氏は力説した。
その一発目がトニートリシュカとスカイラインだったのだ。




Tony Trischka (Bj) Dede Wyland (Vo&Gt)  Larry Cohen(E・Bs)
Danny Weiss (Gt) Barry Mitterhoff (Md)
 

初来日は1983年。ガチガチの南部のブルーグラッサーと違い、
東海岸の彼らは柔軟で、やっぱり今思ってもスマートだったな。

トリシュカは箕面の藤井氏のマンションで、部屋閉め切って何時間もバンジョーを弾いていた。
やっぱりグラミーにノミネートされるような人は練習が苦にならないのである。

このあとMAPSは、ボブペイズリー、ジム&ジェシー、カントリーガゼット、セルダムシーン、ニューグラスリバイバル、ラルフスタンレー、ピーターローワン、デルマッカリー、ホットライズ、トラペゾイド などを呼び、
ひとつのムーブメントを作り上げた。 

劇団員からコントグループ、放送作家への過渡期にあり、時間が作れたボクも、毎回のように手伝った。
ミュージシャンを成田に迎えに行き、そのまま大阪へ走ったりもした。ほとんど日ごろ運転していないボクがである。お~こわ。

でも、ブルーグラスで客を呼び続けるのは難しい。一度も左団扇で笑いが止まらないことはなかった気がする。好きだからなんとか続けられた主宰の藤井氏も、しだいに懐具合は火の車となり、しまいにゃ満映の甘粕正彦が最期に残した“狂歌”のごとき有様になった。


  大ばくち 身ぐるみぬいで すってんてん


その後、リッキースキャッグスがカントリーで成功して、ブルーグラスにUターンしたり、アリソンクラウス、ロンダヴィンセントなどの人気。映画「オー・ブラザー」が当たったのを機に、ラルフスタンレーやデルマッカリーが人気を博し、ブルーグラスが全米で認められるにつけ、ブルーグラッサーたちのギャラもはね上がり、皮肉なことに向こうの暮らし向きがよくなると、こっちは途端に呼べなくなった。 だって支える観客数が全然ちがうんだから。Tom's CabinやBOMやPick Oneなどの踏ん張りは称賛に値する。

Skylineに戻ると、12年続いたという。
その後、90年代になるとトニーはさらにバンジョー音楽に深く入り込んでいく。
ベラフレックとやったり、バンジョーアルバムをプロデュースなどもする。





その後のラリー、バリー、そしてダニー。人懐っこい童顔は変わらず。

今回、盟友秋元慎から声掛けがあり、ホントに久しぶりにバリーと会うことができた。





ビルボードで、ヨーマ・コーコネンのコンサートで来日。 彼を囲んで西宮、阿留酎でpickin'Party。
ヨーマ・コーコネンはジェファーソン・エアプレイン~ホット・ツナのロックギターの大物。
今はアコースティックに持ち替え、自分のルーツであるブルースやフォークをしているご様子。

笑うとなんともいえない笑顔は変わらないが、髪に白いものも目立つようになった。
そりゃそうさ、あれからおよそ30年だもの。
こちらにも等しく時間が経ち、髪に薄いものが目立つように。
いや、髪そのものが目立たぬように…やかましわ。





スカイラインで一番年下だから、MCもさせられていた、とバリー。
ちょいと吃りながら話す感じが少年っぽくて、なんともよかった。
「強いばかりが男ぢゃないと、いつか教えてくれた人…」と、浅草の歌をうたいたくなる。

初めて訊いたら、ぼくより5歳も年上だったんだ。
優しいタッチのマンドリンは30年前とちっとも変っていない。

バリーとやるのだ、と勇躍歌った藤井氏は、まぁ、スッパリと歌詞が抜けまくっていた。
ボクもバリーと一緒にやったショーロのコードが出てこない。
土台、やってないとこんなもんである。 バリー達者でね!


http://mandozine.com/resources/CGOW/mitterhoff.php

 

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Jazz Fiddleやるべよ

2012-02-06 14:35:52 | 音楽

たまには音楽のこと。

関西でジャズバイオリンで頑張ってるyu-maや大矢貞男には悪いけど、
なんか日本のジャズバイオリンって、おもろない。

寺井尚子とかさ、なんか美人でなけりゃいけないっていう売り方も大いに問題で、
売る方が悪いのか買う方が悪いのか。非常に底の浅いリスナーしか育っていない気がする。ちがうか?
ジャズボーカリストも大いにその傾向ある。 キレイにゃこしたことないがそうでなくても
ひとの心を揺さぶることができる。浅川マキのようなジャズの歌い手出てくりゃいいのに。
日本にはエラやサラみたいなボーカリストは育たぬ訳です。そんなに見た目重視必要かね。

しゅっとしたスマートで神経質でか細い存在より、弦から人間が立ち昇ってくるような、
人間臭いフィドラー見たい。
バイオリン、フィドル語句入り乱れるが、フィドルとはもっと民族音楽に近いというニュアンスですな。

英才教育に始まり、アカデミックな道を歩み、遅まきにアイデンティティを持ち、あるいは
クラシックで全く食えなくて、ひょいと道逸れてジャズへ入ってくるバイオリン弾きがいるけど、
そりゃ指は動くし音はキレイやけど、so what…? で、なに? 感銘につながるかというと、そうでもない。
まぁ、別にあってもええんちゃうってな感じばっかりで。

暮らしの中から出て来たフィドルをよ。
つぶやきのような、鼻歌のような、呻きのような、さけびのような。
喜びにつけ悲しみにつけ、気持ちの伝わる、セリフを超えるような、歌を超えるような。
例えば、もっと方言のフィドルがあってもいいだろう。

クラシックの勘違いは高価なバイオリンにも表れていると思う。
ストラディバリウスかミソラヒバリウスか知らんが、銭持ってんだぁという特権意識。
ぐちゃ!とつぶれて、「おじゃましました~」と横山東六のように引っ込んでもらいたい。
所詮はバイオリンだかフィドルだか、お道具に過ぎない。
要は道具を縦横に使いこなせるようになればいいのだ。

ジャズバイオリン(フィドル)上達の第一歩は、いちいちバイオリンをケースに仕舞いこまないこと。
すぐ手の届くところに置き、TVでもなんでも気になるメロディはすぐに弾いてみること。
思いつくメロディを次々弾けないところに、日本のクラシック奏者の限界がある。
それと当然、ジャズを好きになり、聴き込むことにある。

ジャズだって、スイングもあればデキシーも、バップ、モダン、すべての時代を聞いてみることだ。
まずは耳学問っていうだろ。
ジャズフィドルにこだわることはないが、スタッフ・スミス、ジョー・ベヌーティ、ステファン・グラッペリ、
ジャン・リュック・ポンティ、コメディアンでもあるスヴェンド・アスムッセン。
ブルーグラス出身のマーク・オコナーだっていいだろう。



それから、カッコイイと思ったものをコピーしてみることだ。
繰り返し繰り返し、我慢して地味に音を取る。それが自分の筋肉を作っていく。
マークオコナーだって10歳に満たない時から、チャーリーパーカーの録音を何度も聞いて
コピーしていた姿を思い出す。

私だってフィドラーのはしくれであるから、怠け者ながらそうしてきた。
コツコツと取った音は今やほぼ全部忘れた。それでもいいぢゃないか。
何かカスみたいなものが残っている。そいつをいくばくかのセンスというのかもしれない。

それと引きこもってコツコツやってるだけじゃ不十分で、
ひとと一緒にやってみること。音楽でぶつかってみること。
そうして音でコミュニケーションすることを覚えて行く。
この楽しみを知らない人生は不幸である(でもないか)。
ジャムセッションはフィドルにとって至極大事なことなのである。

おっと、書き忘れた。 フィドルの上達には家族の大いなる協力が必要だ。
経済的な問題ではない。
日本の住環境では防音の部屋をひとつ貰えるほどの家庭はそうはなかろう。
したがって、家族のガマン。 ドアを何重に閉めても洩れる音。
ポジションも定まらない音階で弾くバイオリンの音を
我慢強く聞き逃してくれる家族の理解と辛抱が、何よりも重要になってくる。
家族に、いいな?覚悟せよ、の気持ちを込めてハッキリと表明してから始めよう。
「オレ、今日から、フィドルするよ!!」と。

まもなくやってくる、グラミーにもノミネートされたフィドラー ケイシー・ドリーセン。
こう見えて若いんだぜ。赤いクツ穿いた超絶技巧のフィドラーを見逃す手はない!  



2月10日(金) 大阪フィドル倶楽部にてワークショップ&ジャム
2月11日(土) 大阪アートエリアB1 グラスルーツ・ワークショップ(12名古屋、19東京)


「環太平洋生音楽団」でツアーも始まるのだ!

2月14日(火) 神戸James Blues Land
2月15日(水) 大阪 音楽学校MI JAPAN
2月16日(木) 京都 磔磔
(その後、17金沢・18名古屋・21新潟・23横浜・24鎌倉・25浅草)


お問い合わせは info@ann-grassroots.com

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さぁ、パーッといきますか、パーッと

2011-10-31 00:08:40 | 音楽

ちょいと、そこのダンナ! 大きな声では言えないけれど、小さな声では聴こえません。

今年ゃ、あと2つステージを残すのみ。 そ~なんすよ。 急がなきゃね!




だいたいがクソ忙しいシーズンなんだからね、無理にとは申しませんや。

でもね、ウェスタンスイング聴かずに、今年を終わらせちゃう気ですかい…? そりゃないですぜ。


★12月10日は堺FUZZ渾身の年末企画、「わが名はムッシュ」。

ムッシュかまやつを迎えて、彼の出発点であるカントリーからロカビリー、

グループサウンズ、フォーク、ロックの足跡をたどるライブ。

サキタハヂメ(妖怪人間ベム音楽監督)や、和製ジャニス・金子マリ、その他ロック系の方々も出演。

よのすけ&ホームランボーイズっていう可笑しいバンドや、ピチカートファイブの小西氏DJとか。

我々はウェスタンスイングで参戦。もちろん、ムッシューもゲストで。

詳細はFUZZのHPで。  http://www.mikunigaoka-fuzz.com/top.html


    




★12月18日は西や南でやるのに、なんで東でやんない?の声をいただき、

地元高槻、western bar171(ここに日本Western Swing普及協会を勝手に

置いている)の協力のもと、OARS(オールズ)というお店で昼間っから。

白昼スイング聴きながらベロベロになれる。昼酒はまわるかんね。

こちらはムッシュ抜き。そないに大阪にいられるほど暇ではない。

大掃除もあるらしいので。

なりふり構わず、うちの集合住宅の住人なんかにも売りさばいており。 ぜひお越し願います。

会場いっぱいにして、年越しの餅を買うんだい。 

志が高い。




76年も前の米国退役軍人の援助ダンスパーティーのチケット。
この日の出演は、ボブウイルス&テキサス・プレイボーイズ !!

ちょいと生まれるのが遅かった・・・。

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いざ夙川

2011-09-24 08:13:39 | 音楽

本日、さくら夙川 Fortworth



タイニーのエレキマンドリン。

弦も張り替えた、パンツも穿きかえた。

シャツもバリッとクリーニングしたて。

天気もよさそうだ。

フィドルも忘れるな。

秋の日、ライブとは生きてるってことなんだなぁ。みつを

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いやはや高槻ジャズスト・裏街道

2011-05-12 04:50:09 | 音楽
高槻ジャズストリートは今年も裏エントリーをして、ぶっ通しで17曲ほど演奏させてもらった。

           (バンマス手描きのポスター。ヒマなくレタリングは断念)

ジャズのコンボぐらいならばセッティングは簡単。だが、うちのバンドは11人もいて、ホーンもあればフィドルもある、スチールギターもあって、セッティングには時間がかかる。

しかも表エントリーすると、きっちりと時間通りに初めて終わらなければならない。そいつはちょいと窮屈である。よって我々みたいなグループには高槻裏街道にてアングラに音出しているのが気分よろしい。

ただ、もっとダラダラとゆるふんでやるつもりだった。一杯機嫌でMCもそこそこにやるつもりだったが、リハからお客さんが入り、そうもいかなくなって、なんかマジメにいつもよりキツイライブをやってしまう羽目になった。

でも大半の人が初めて見る音楽だったわけで、ちゃんとスタイルの整ったウェスタンスイングを見てもらえたというだけで、甲斐があったというものだろう。

ホルモン食堂で打ち上げ。 城陽市や堺の友人も駆けつけてくれた。
  
  


家へ引き上げて小仕事をかたづけていると、夜半携帯が鳴り、「アラベスクが来てるから早く来たまへ」との報せ。オーストラリアのアフロジプシージャズコンボ。みんな酔って大ジャム大会を繰り広げていた。

店の主人は「早く日本人を代表して参戦して下さい」と言いよるが、E♭のチュニジアの夜とか、ドラムの刻むリズムでコード一発でフリージャズのジャムになっておる。これはおいそれと入れるものか。「ウェスタンスイングやってください!」とムチャ振りされるが、ケツにも心臓にも毛が生えてる割には頭の薄い私でも、さすがに空気は考える。

   

それでも不服そうな店主の姿に、「SanAntonio Rose知ってる?」とベースに耳打ちするも知ってる訳おまへんでした。夜中3時ぐらいから初めて、白々明けた朝5時半ぐらいまでぶっ通し。海外勢とジャムしてわかるのは「音楽は体力だ」ということ。日本のミュージシャンは巧いが何処か弱っちい。

   

オーストリア出身のフィドル弾きがピアノやバイオリンを自由自在に操る。上手いというんぢゃない。完全におもちゃにできる。これはまともな音楽教育を受けたものはできないだろうというプレイ。やれるのは赤ん坊かこのオッサンか。自由でムチャクチャに聴こえる弾き方、こんな使い方してもバイオリンって壊れへんのや…ある種のカルチャーショックを受けた。

   


というわけで、いまだこのカオスのごときジャムセッションの後遺症に苦しんでおるのです。

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