日頃、めしばっか食い散らかしているが、実はめし食い人間である前に、偏向音楽愛好家なのである。
現在、バンドでフィドルを担当しているがその以前から、マンドリンというものを触っていた。
現在はエレクトリック・マンドリンを弾くことが多い。これがなかなかに難しいので悔しい。
ご覧頂きたい。 これがBob Wills & The Texas Playboysのほぼ1950年の陣営である。
まん中に立つのが、バンドリーダーのBob Wills。 最下手はギターのEldon Shamblin。
オクラホマ州の名ギタリストで、チャーリー・クリスチャンとはぶいぶいいわした間柄。
ウエスタンスイングのあのリズムは、エルドンのパッシングギターが生み出したと言ってもいい。
といっても、誰も知らんか?
最上手にHerb Remington。スチールギターの名手である。Bobには「ハービー!」と呼ばれていた。
この時代にはペダルスチールなんてのがなく、左手で握ったバーをたて横に駆使しなくてはならず、かなりテクニックが必要とみる。でもこのノンペダルだから、雰囲気が出るのだ。
左から2番3番で抱えるのがエレクトリックマンドリンである。下手側がTiny Moore、上手がJohnnie Gimble。スイング史に大きな足跡を残したプレイヤーである。
それ以前は、ツインギターがハーモニーでリックを演奏することが多かったが、徐々にコンパクトなバンドが必要とされてきたのか知らないが、タイニーとジョニーはそのままフィドルに持ち替えて、ボブとトリプルフィドルに変わることができる。
さて、今日はそんなタイニームーアだ。 な?メシのことばかりぢゃなかろう。
1917年、テキサス州ハミルトン郡生まれ。
でっかい身体の「栄養ちゃん」だったことから、Tiny(小っちゃい)と逆説的なあだ名がついた。
1946年にBob WillsのTexas Playboysへ。
専属歌手だったマッキンニーシスターズのどっちかを妻にして、3人の子供に恵まれた。
ツアー中、前座バンドを務めたジョニーギンブルに声をかけたのはタイニーだった。
それをきっかけにツインマンドリンが誕生した。
その後、ボブの弟 Billy Jack Wills, Moon Mulligan などスイング界で活躍。
1956~62年 TV番組「レンジャー・ロイ&アンナ・バナナショー」のホストに。子供番組かな。
Merle Haggard のバンドに13年間在籍。
その後、カリフォルニア州サクラメントで「Tiny Moore Music」という楽器屋さんを始めた。
5弦エレクトリックマンドリンを開発。
1980年台にその卓越したテクニックと、スインギ―なソロを再発見され、
Jethro Burnsや、Johnnie Gimble, David Grismanなどと共演。
ジェスロやレイブラウン、シュリーマン、エルドンシャンブリンらと「Back To Back」などをリリース。
大学教育にカントリーミュージックを持ち込んだ先駆者で、ワークショップやコンサートを次々に開催。
サウスプレーンズ大学には“タイニームーア・ウエスタンスイング・メモリアル・スカラシップ”という
奨学制度(?)を創設した。いかなる名人上手も一代限り。最後は後輩作りを考えていたということだろう。
バークリー音大かどこかの録音を聴いたが、才人Matt Glaserとのジョイントで、
息子ほどの連中を向こうにバリバリにスイングを奏でていた。マネのできない人物である。
1987年、ネバダ州ジャックポットで演奏中、心臓発作で急逝。まだ67歳の若さだった。
彼が盟友Robertsと開発した、エレキマンドリンがうちにも一本生き残っている。
ホントは上のミッキーマウスの耳タイプが欲しかったが、もうRobertsの元に上のモデルは
残っていなかった。
ときどきネットで驚くほどの値で出ることはあるらしい。
Tinyモデルを持つ東京のアシュラさんが羨ましい。一度弾かせてもらったが、すんごく弾きにくかった。
ボクにはこっちの方がお似合いかもしれん。
2月4日(金)のライブでも、もちろん弾きます。聴きにおいで下さい。