マーベラスS

King Of Western-Swing!!
歌と食と酒、それに声のページ。

銭湯・地ソース・粉もん

2011-09-12 19:17:52 | 

過日、長田で行ったお好み焼店「青森」。 細身のオヤジさんは3年前に亡くなった。
真ん前に銭湯があり、風呂あがりにちょっと立ち寄って、ビールに小腹をふくらませるために
お好み焼を焼かせた。長田のこの辺り、震災前までは小さな民家が肩を寄せるようにあったが、
今やみんな新しく建て替わっている。





蛸のぶつ切り。蛸はタウリン豊富で、疲労回復にきくスタミナ食である。
神戸の人は、だいたい蛸にはうるさいよ。





おやじさんの息子さんの代になっていた。





神戸スタイルは薄焼きの生地の上にキャベツ、葱などを重ねていく広島式。





すじ煮込みを長田では「ぼっかけ」と呼び、こいつを何にでもぶっかてて食べた。
ご飯よく、うどんよろしく。 すじはかつては潜行艇と呼ばれ、並みの牛肉よりも下。
…波の下…というシャレ言葉で呼ばれた。
間で焼かれるのは、皮である。単なる牛皮ではなく、たぶん内臓の皮。





すじ・皮焼き。こういうのは、なかなか巡り合えない、ローカル色の強いお好み焼だ。

いまどきのお好み焼みたいにでかすぎないのがいい。粉もんに矜持があるとしたら、
今みたいに食事にしないところだ。 虫やしない、腹っぷさぎであった。
こういうおやつみたいなもんで、子供はサイダーなんぞを飲み、大人はビールを飲んだ。





外がパリッとして美味。 美味いといっても、美味すぎない辺りがいい。





ここへ来たら、やはり、そばめしと行こう。

一説に、ここが元祖ともいわれる。

長田はケミカルシューズの故郷であり、工場で働く女工さんが、冷えた弁当を持ちこみ、
そばと一緒に焼いて・・・ということになり、できたのがそばめし。





細かく刻まれたそばの食感、それとはちがうご飯の弾力。 これをコテで食べるのがいい。




港神戸とはまた違う、下町の顔がいい。

       
                       お好み焼&そばめし 青森   神戸市長田区久保町4 



  

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モダン大阪大洋食

2011-08-24 01:49:47 | 




1933(昭和8)年、御堂筋に忽然と現れたガスビル。安井武雄の設計。
角のアールが珍しい。流線形ということばが時代の先端だった時代。
地下鉄御堂筋線が開通する直前のこと。(2003年有形文化財に)





ガスビルは大阪瓦斯本社であり、ガスによる、よりよき現代的生活を提示するのが目的でもあった。
ほとんどの家庭はまだ炭をおこして飯を炊いていた時代だったのである。
8階には、ガスを有効利用すると、こんな夢のような洋食もできるようになる、とレストランが開店。
それが「ガスビル食堂」である。

庶民垂涎の的だった、白亜の殿堂のレストランは、今も盛業中である。




アミューズ 人参のジュレ 名物ハートセルリーも注文

ハートセルリーはセロリの中の柔らかい部分。
片岡直方会長が肝入りで、西洋料理には西洋野菜だと、種を取り寄せ、
自分の畑で作らせたのが最初。

これをただ塩ふりかけてかじるだけ。いたってシンプル。





ボケてしまったが、紅茶にあらず。コンソメスープ。
脂を徹底的に除いた、オールドファッションな味わい。そのコクの深さ。
手間暇を食べる。しかるに今、ここまできちんとコンソメをひく店がどれほど残っているのだろうか。





冷製コンソメ。 ただ上のコンソメを冷やしただけで、このプルプルのジュレのようになる。
どれだけコラーゲンが含まれているかが分かる。





パン。バターの容器もオールドファッション。





ハンバーグステーキ  丁寧なガルニもすばらしい。




律儀なデミグラスソース。
「伝統を守ることが一番大事」という9代目、河上シェフの思い入れにあふれたソース。
もう、旨くないわけがない。ソースはパンで拭き取っていただいた。

ガスビル食堂でめしが食えるようになりたい・・・そう思ってガスビル食堂を見上げた
大阪商人たちがどれほどいたことだろう。 羨望の食堂だった。




エスコフィエだったかが、歌手メルバのために考案したデザート。
ピーチメルバ。 もう涙もんです。





これも昔ながらのアップルパイ。いい味出してます。





コーヒー。 ああ、大大阪の夢は今いずこ。

大大阪っつったって、関東大震災の避難民たちが流入して、人口が増えただけの話に
すぎないんだけど。下駄履きの下町洋食けっこうだが、こういうビルの中の高貴さをたたえた
純潔を守る洋食ってのも、スペシャルな感じが嬉しい。 いつまでも残してほしい味わいなり。



             ガスビル食堂    大阪市中央区平野町


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プリンセス・タコヤキ

2011-06-22 14:55:22 | 

    


小説読んだ時から、これ映画化したら面白かろうが、スケールがでかすぎて映画化は困難だろうと
思ってたら、すんなりできてロードショー中。CGの力を借りたら、きょうび何だって可能になる。おそろしや。

会計検査院が、大阪のOJO(大阪城址整備機構)なる団体への不明瞭な税金の支出にメスを入れるべく、
大阪へよこした敏腕査察官3名。リーダーの松平役に堤真一。外人モデルに間違われる才媛、旭ゲーンズブールに誰を持ってくるかと思っていたら、男性にして、岡田将生。ずんぐり太ったおたくタイプの鳥居には、
綾瀬はるか。この逆転のキャスティングは見事だった。





作者の万城目学は、この辺の子だったらしく、街の匂いがぷんぷん。
空堀商店街界隈は、焼け残った家屋も少なくなく、歴史ミステリーの舞台になりそうな気配あり。
豊臣の末裔が買い物してても、別に不思議と思わないだろう。

からほり商店街界隈長屋再生プロジェクトの「萌・練・惣」の3つの複合施設があり、
その一つ、「惣」の中にはワインバーやカフェ、寿司屋、ドーナツ屋などがある。
こういう地道な活動により、朽ち果てて行くばかりの長屋は残り、街は息を吹き返し、ひとがやってくる。

その隣に小洒落た、たこ焼き屋が去年の暮れにできた。





オーナーは高津のワインとお好み焼きの店「Butatama」の今吉さん。





昼間っから大手を振ってビールやワインが飲めるたこ焼き屋は、そうそうない。
名物ポテサラ 250円

店前に「ちょっと高いです!」の表示があり。
開店に際して、からほり商店街にある「こんぶの土居」に相談したらしく、
道南の川汲(かっくみ)の真昆布でとった昆布だしを使う、ぜいたくなたこ焼きなのだ。





たこ焼き7個 350円   14個 650円  一部をソースにした。   

ふむふむ、いいね。大人のたこ焼き。

今ドキのでかいばかりのたこ焼きは品性に欠ける。 昔ながらの小ぶりなタイプに程の良さを感じる。






ワインにして、赤キャベツの酢漬けをたのむ。 150円





キリッと冷やしたイタリアワインにたこ焼き。  こいつぁゴクラクですぞ。


この辺のガキたちがいい味を出す。近所の小学生たちが「ただいま!」と前を通り過ぎる。
街で子供を育ててる感じが残っている。

よそから転入してきたモノにもまったく物怖じなどしない。
学友に「この店な、ちょっと高いねん」てなことを平気で言う。

店長が焼いているのをじっと見て、
「ふ~ん、もう一人のおっちゃんの方が上手いな・・・」
と言われたという。
アンファン・テリブル…恐るべきガキどもだ。



フランスのオイルサーディン。その缶詰用の洋皿。
洒落ている。気持ちは宮津の竹中製缶を応援したいところだが。
料理系の展開を考えているとのことだったので、
今頃は、夜は会員制のイタリアンだかになっているかもしれない。

昼は善良な、街のたこ焼き屋さん。
夜は会員制にして、はかりごとを。

やっぱり、どこか怪しい、ただの下町ではないのである。


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海の神さん、たのんます

2011-06-10 10:41:24 | 


私の高校は神道系であった。
伊勢神宮の五十鈴川にずぶずぶ入って行って、
禊(みそぎ)をした経験を持つものはそう多くはないだろう。

さて、ここ大阪は住吉大社。
全国二千からなる住吉神社の総本山になる。

この5月で、始まって1800年を迎えた。
1800年だぜ!
奈良も京都もかなわない、とんでもない歴史を持つ。





奈良にも京都にもないものというと、海であり港である。
(日本海側の京都もあるけど)
古代、住吉はすみのえ、アジアに向けて開かれた港だった。





太鼓橋。 別名を反橋。
この神池は港の入り江の名残、という説がある。





婚礼が行われてやがらぁ。 玉砂利鳴らして・・・ちょっといいもんである。


神道系の高校だから、なんぞのお祭りの時に、
待者として行列に参加するバイトをした記憶がうっすらある。


伊勢神宮や出雲大社、明治神宮のような凛とした空気があんまり感じられないのは
私だけではなかろう。畏れ敬うというより、心安くポンポンと手を合わせ
「ホンマに、あんじょうたのんまっせ」と拝んだ、大阪人の気質を反映してるのかもしれない。





ボクらガキの時分は縁日、夜店の楽しさである。
化けもの屋敷に見世物、サーカス。
境内で巨大なカゴの中をバイクがグルグル回っていたという。


片隅に、五大力と書かれた砂利を見つけたら、ご利益ありという。
今どきのパワースポットがある。
若い女性が一人で来てたり、不思議な光景だ。

どうぞ、東北の復興に力をお貸しください。





池田味噌本舗。 19代目主人がまだまだ意気軒昂。
UFOから陽明学までとび出す、85歳。
奥で鍋ひとつで名物住乃江味噌が作られる。 


この界隈というと、ちんちん電車が風景の一部。


線路を撮ろうと構えると、ぴょこんと可愛い男の子が入ってきた。
未来の住吉はキミに託した。





住吉大社を西へ、南海電車を越えて、住吉公園を横切ると
26号線沿い(だったかな)にそびえ立つ、大灯篭。
昔はもう少し海側に立ち、航行する船の灯台の役目を担った。


南へ少し下るってぇと、細井川。 
昔から細かったんだろうが、ここまでぢゃないだろう。

住吉界隈はサツマイモの名産地で、刈り取られた作物は船に積まれて





そのまま川下へ降り、住之江を北上し、淀川から京都へと向かった。

数多くの和歌が詠まれた風光明媚なる地で、
この住之江から遣隋使、遣唐使の船が出て行った。

すっかり海は遠くなってしまった。





もう記憶から消えつつあるが、私も住吉っ子だった。

昭和30年代、住吉の地に住んでいた。  語源通り、すみよし…住みやすかったような気がする。

そこら中、地道で埃っぽかった。 ロバのパン屋やチンドン屋が来た。

畑にいくつも風車が回ってたなんていっても

もはや誰も信じてくれやしないだろう。

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園田穴場カフェ  スパイシーな親族関係

2011-05-30 00:21:41 | 

阪急園田。梅田から4駅、わずか9分で来れる。

来れるくせになかなか用事がないと、神崎川を越えることがなく。 

神戸に用事のある時は寄りたいと思うのだが、今度は途中下車がなかなかしにくく。

だが、久々にやってきた。 駅ウラで知る人ぞ知る、超穴場「Cafe SINRA」。

静かな店で、のんびりできる。 何より気を使わないで済む。 なんせ主人は従兄なんだから。





スパゲッティ・メランザーネ  

いつもは珈琲やビールなのだが、ちょっと小腹がすいていた。うん、美味いではないか。

優しいトマトソース。 もっと早くに気がついて、食っときゃよかった。

ここから、7日経過して・・・





今度はカレーにしてみた。 チキンカレー。

インデアンカレーが好きという主人。 

カフェなのに、スパイスをあれこれゴリゴリ調合して作るソースがいい味を出している。

第一、メシに合う。 ごはんに合わないカレーは私にとってカレーではなく、インド料理だ。

人気のキーマカレーもあると言われては、食っておくしかないではないか。








カレーソースを客の手前に向けるのは、主人のこだわり。 

合挽きミンチを使い、普通のカレーソースよりスパイシーにしてある。

どちらも美味かったが、日にちがたつにつれ、このキーマカレーの方が印象に残る。

なるほど、これ一辺倒の老婦人がいるというのもわかる。 この老婦人も実は親戚なのであって・・・。







皿を舐めたい衝動に駆られたが、さすがに親族でもそれははばかられ。

野菜も伯母が畑で作ったり、有機野菜を使ったり、なかなかこだわりの人なのである。

思えば祖父が器用な人で、薬剤師をしたり、箱寿司の職人をしていたこともあるので、

その血をひく伯父はもちろん、手先が器用。 孫のシンラ主人も器用というわけ。

そっちの遺伝子はどうもこっちには流れていないようであり・・・。





彼は一時バンジョーを弾いていた。 最後の日も楽器が店内においてあったから、また始めるかな。

この日、5月24日が7年間続いた最終日となった。

撮り忘れたが、珈琲もむろん、よござんした。 カレーもパスタも、大袈裟だがもはや幻の味となり。

今月忙しいというので、西天満の靴屋みたいに、閉店セールをずっと続けるか・・・などと言いながら。

親族といっても、そうそう彼のカレーを食べるチャンスなどない。 法事の時にたのむかな。



          Cafe・SINRA     尼崎市東園田町9丁目  ファミリー家具のウラあたり(にあった)



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