とある在日の大手焼肉店の社長は、戦前・戦中にかけての自分たちが受けた仕打ちに対して、戦後焼肉店を立ち上げる中、「食文化で日本に復讐をしようと考えてます。今に日本の食を変えてみせますよ」と豪語していたそうな。そういうわけでは戦後60年、完全に日本の食文化は見事なしっぺ返しを食らった。赤坂・新大久保・鶴橋・三ツ寺筋はおろか、今や日本中、韓国料理のない街はないのではないか。ターニングポイントとなったのはパルパル(88年)のソウル五輪。焼肉店が増え、すき焼きもステーキも影が薄くなった。今また女性をターゲットにしたホルモン店が巷を賑わせている。
さて、大阪西区で知る人ぞ知る、韓国料理店へ。
ビルの地下、あやしい中華料理店のお隣。本場の匂いぷんぷん・・・。
ちょいと早く着き、とりあえずビールに韓国海苔だい。
ごま油を塗り、塩をパラリとかけてある単純なものだが、美味だよな。
味付け海苔は完全に食われているのではなかろうか。
これがいいツマミになる。邪道だろうが、スライスチーズ挟むと格好の酒肴に。
自家製チャンジャ こんな美味なチャンジャひさびさ!
タモリ倶楽部で、“チャンジャ祭り”って企画やってたな。
チャプチェ よく味がからんでいる。
韓国料理が女性たちに受け入れられたのは、カプサイシン効果と野菜が多いということ。それと医食同源。野菜の取り合わせに陰陽五行思想が反映されている。
キムチ 僕らのガキの頃は朝鮮漬けと言った。今、日本の漬物の中で売上ナンバーワンは、もちろんキムチ。うちらの親父の世代はたぶん口にもしなかっただろうが、過去にこれほど日韓が食を通じて近くなった時代はないはず。恨三百年、一念岩をも通すで、日本人の味覚はこの60年で完全に韓国勢力に浸食された。
新鮮なチョコレート色の生レバー
ナムルはごく当たり前の3種。これも自分で作ってみれば分かるが、いちいち別の鍋で茹でて、少しずつ違う調味料で和える。ひたすら手で。手間かかってんだ。
蒸し豚 脂肪分が落ちていながらも、しっとりと美味。
この唐辛子味噌のタレはうまいが、アタシが楯突くとしたら、刺身までこいつで食べるのはどうかと思う。醤油と山葵とかポン酢とか、素材に応じて、そういうバリエーションを持たせたところは日本人の方が絶対繊細。
センマイ 辛子味噌
朝鮮では千葉、百葉と言われ、江戸時代、朝鮮通信使を迎える時にもメニューに挙げられた由緒正しきパーツ。 失礼ながら東大門市場で見た時にゃバケツに突っ込んである雑巾に見間違った。
チヂミ ネギのチヂミをパジョンなどとも呼ぶ。
お好み焼きの原型説もあり、(ボクはどうも千利休の麩の焼きまで持ち出すのは無理があると思っている)粉を溶いて焼くチヂミやピンデットに馴染みがあるから、日本に渡ってきた朝鮮族の人々はたやすくお好み焼き屋を玄関先でやれたんだと思う。
味付き豚足 手で持ってしゃぶりつく!
同行Y氏は、豚足マニアで、そのまんま塩茹でにしたヤツの方が好みという。
豚足も昔はギョッとしたものだろうが、すっかり市民権を得たといえる。
多松チゲ メウンタンのようですな。手長ダコもいて、可愛いもんでしょ。でも食うぜ。
これだけのインパクトある鍋、日本にはなかった。
これがピリ辛で美味!
鍋の中は渾然一体のカオスとなる。このなんでもピビンして辛味噌系でまとめ上げるのが韓国料理のひとつの特徴である。汗みどろで食べれば、パワーが出る。
また一人頭880円と、安いのなんの!
最後は“辛ラーメン”を入れて、この乾麺がなかなかいい。
完全においしい韓流にやられておりまする・・・。
後ろを見たら、ABC朝日放送の女子アナが。声をかけようとしたが、こっちは知っていても向こうはこっちのことなど知らない訳で、笑顔で慇懃にあしらわれたら嫌なので、やめた。
多松(タソン) 大阪市 西区 江之子島1丁目
わが師、滝澤一は・・・などと書くと、お前なんか弟子に持った覚えはない、と言下に叱られるだろうが、出来そこないでも門下なのでこの際、師匠である。何を教わったかというと、伊丹万作という映画作家と酒の飲み方ぐらいなのだが。師は、映画評論に健筆奮いながら、「読み捨て、書き捨て」を旨とした。グレアム・グリーンに詳しく、満映のことを調べながらも、今から書くだけの体力ないわ、とうそぶいて、文字になったものへの執着はなかった。ドタバタ喜劇をやってる頃に、一度だけ新聞で褒めていただいた。
今日もまた、師に連れて行ってもらった酒場へ。
かつては松竹海老という銘柄だったが、今は梅乃宿(奈良)の酒を使っている。
いいぢゃないの、梅乃宿。酒の変化はほとんど感じない。
昔の方がもう気持ち甘かったかもしれぬ。
日頃は酒の2,3本もやって、小鉢の2つも突けば退散するのだが、
この日は気のおけぬ同級生、男ばかりが数名。無粋な長っ尻に及んだ。
まず、居酒屋三大つまみの一つに挙げたい、ぬた。
酢味噌と甘口の酒があう。
ギュッと噛むとネギの芯がひゅるり飛び出してくる辺りも、味のうち。
これも三大メニューに挙げたい、こちらのベストセラーの一つ、きずし。
東西のハーフ(言い方だね、ったく)である私には、きずしという言い方が馴染めず、
ずっと締めさばで来てしまった。店の壁に「さばきずし」なんて書いてあると、「手こね・ずし」みたいに
「さばき・ずし」に感じ、不思議な気がした。
ああ、これも忘れ難い、焼売。 ちょっと一芳亭風だが、もう少しぽってりとしている。
ヘタすりゃ三個を三口で終わってしまうので、自然、下に敷いたキャベツを辛子醤油で食うことになる。
これがつまみになる。貧乏くさいと笑わば笑え。
こういう酒亭でつまみを次々に頼むヤツはバカである。
酒を飲みに来たのであって、腹が減ってるならおまんまを食いねぇという訳だ。
だが、この夜は複数いたのでついついやってしまった。ここからは、バカのお披露目のようで、
耳ヘンに心やわぁ(鳳啓介)の心境。
よこわ造り 酒肴の黒板で一番高価なものだ。といっても700円ぐらいかな。
東京ぢゃあり得ない値段。
かますご お祖母ちゃんが練炭で炙って、食わされた覚えがある懐かしき一品。
カマスの子ではなく、いかなご、新子。このサイズになると、ふるせ、になるのかな。
カキフライがあった頃だな、行ったのは。
大体、どのくらい遅れているかがバレる。
10個は食いたいが、いい年さらして、それはぐっと我慢。
小いわし ちゃんと炙ってある。こいつを噛み締める感じがいい。
わたの苦み相まって、人生のほろにがさを酒で洗い流す感じがまたよき哉。
熱燗に酔うていよいよ小心な 高野素十
亡師は短歌俳句に親しみ、読み捨て書き捨てと言いながらも、晩年、周りの強い勧めで毎日新聞の連載「映画歳時記」をまとめ、上梓。俳句をリードに、映画作品を鮮やかな語り口で描いた。自作の句を一編も載せないあたり、さすが奥床しい。
コロッケ こういうのは、ここで頼むのは憚られてずっとスルーしてきた。
ソースがかかり、ポテサラも付いてきて、泣かせる。
千枚漬け ちょっとこうした京都っぽいものがあるのも愉し。
BGMなどなし。酒客の話し声のみ。
ときどき思い出したように、ちんちん電車が走る音が聞こえる。
変貌を遂げる阿倍野で、ここだけが奇跡のように残っていてほしいが、
どうやらそういう訳にもいかないところまで来ているようだ。
この上質なアトモスフィアを失うことは、大阪の損失である。飲み助はそう断言する。
明治屋 大阪市阿倍野区阿倍野筋2