幸か不幸か、私を育ててくれた町、大阪堺。
実家に居る頃はバイトぐらいしかしていない訳で、ろくに銭持っていないので
ま、ろくなものを喰っていない。 そんな中、ここは思い出深い一軒。
近所のホールでバレエを見た帰り、バレエの余韻のまま焼鳥ってのもどうかと思うけど、
折角近くに居るので、行ってみた。
ここには35年ほど前、音楽関係の先輩N氏に連れてきてもらった。
宮園団地の前にある、「焼鳥 石樽」。
店構えは小ぎれいになっている。
昔はなかば倉庫みたいなところで、平生でもシャッターを半分閉めたまま営業していた。
メニューはあまりにシンプル。
昔はカウンターの中の親爺に、「固いのと軟らかいのがある。どっちにする?」と聞かれ、
「柔らかいの!」と答えると、とたんに機嫌が悪くなった。
嫌なら固いのだけ置けばいいのに、歯が合わない人もいるという配慮なのかな。
かしわは卵を産まなくなったバアサン鶏で、固いが噛みしめるとうま味があった。
大和地鶏といってたかな。 これはごまかしの効かない素材勝負!
その新鮮さ! 胸肉、モモ肉の盛合せに、ずり、皮、せせり。
こちらは、ぼんぢり、肝、ハツ。 これらをただガス台で自分のタイミングで焼くだけ。
ああコレコレ、このタレだ! あまから酸っぱいにゴマが入ったシンプルであり、クセになるタレ。
親爺が編み出したタレが抜群に美味かった。
この味に、35年間がヒュ~ッと逆回転しそうだ。
石川県出身の親爺に勧められて、「萬歳楽」という地酒もここで覚えた。
機嫌がいいとそういう隠し酒を出してくれるが、わけのわからん客は
すぐに追い出していた、稀に見るへんくつ親爺だった。
二代目に聞くと、親爺さんがこだわってた固いの…は、今のお客さんには求められず、
今や、ほぼ軟らかいのばかりになっているという。
無くなってみれば、あの暴力的なほど、やたら固いのが懐かしい。
客も時と共に、固いのが歯に合わなくなって行く。
親爺も亡くなって十何年…こっちもあの頃の親爺ぐらいの年かさだろう。
二代目に帰り際に言われて気付いたが、目の前の宮園団地が姿を消していた。
それでか…どうも、ふわふわとした浮遊感あり、街がしっくり来なかった。
一種の浦島状態であった。