マーベラスS

King Of Western-Swing!!
歌と食と酒、それに声のページ。

06.5.10  大阪ソウルフル・フード!

2006-05-10 21:27:37 | Weblog

阪神のイカ焼き』¥126 
昭和32年のスタート時は阪神初乗り料金と同様の一枚¥10だった。イカ焼き開業には、子供の頃に食べた住吉大社のイカ焼きの鮮烈な印象がはたらいたといふ。確かに夜店のイカ焼きは美味かったな。派手にガラガラと鉄板をひっくり返していたもんで、親爺は総じてニコリともせず怖かった。久々に阪神へ行き即食いしたが、これが一番美味いなぁ。持ち帰っちゃダメだ。僕にはTo Muchモチモチ感で、昔屋台で食ったよく焼いたパリッとしたタイプが食べたいのだが、なかなか見ない。少々焦げ目があったっていい、クリスピーで香ばしかった記憶がある。道修町の少彦名神社にはそのタイプのイカ焼き屋台があったという目撃談があるが。じっくり焼くには時間がかかるし、阪神は「イカが固くなって美味しくなくなる」という。そやろか。何とか探したい。さて阪神さん、何か特別な催事の際には、カレーいか焼きというウラ技も持っているようだが、食ったことないよな。

     

大阪人たるもの、他府県から客人が来ると「どこか美味いお好み焼きに連れてって」と必ず言われて、なかなか骨が折れるのだが。そこそこ美味しい店は星の数ほどあるが、これぞベストというのは言下には出てくるもんぢゃない。どんなお好みを美味いというのかは、その人間の育ち方や生き方と絡んでくるからだ。お好み焼きと水というベストカップルを判ってくれる人なのか、ビールでアテをいろいろ行きたい人なのか、実利派なのか情緒派なのか、ぼてじゅう千房ゆかり風月などの大バコでもいいのか。これ考えると、なかなか面倒なこってす。

天神橋4丁目「千草」の『千草焼』『¥850  
昭和24年の開業。商店街から一本入った路地にある店だが、オールドファッションなごく普通に美味い店。実はコレが一番なのだが、浅ましいトップ屋的習性でどうもケレン味を求めてしまう。自戒すべし。
厚い豚ロース肉が乗る「千草焼」には珍しいケシの実がソースの上に散らされる。昔はお菓子感覚だったのだろう。ちゃんぽん焼きそばもソースとよく絡んで出色の出来。ビールもそこそこに一気に食ってしまう。
普通にうまいお好み焼き店を一軒お持ちならば、そんな幸せなことはないと思う。

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06.5.07   スパイク・ジョ~ンズ・スタイル!

2006-05-07 03:26:51 | 音楽
前述のSpike Jonesの偉大さは「ウイリアム・テル序曲」などのクラシック作品を解体してゆくところに真骨頂がある。すき間を見つけてどんどん珍奇なる音を入れて行き、しまいには曲自体をぶっ壊すアナーキーさに満ち溢れている。このSpikeに大いに感化されたのが、フランキー堺!慶応時代にジャズドラムに目覚め、基地の慰問でフランキーと呼ばれ、秋吉敏子、与田輝雄らとシックスレモンズを結成。1954年には、Spikeの影響を丸かぶりのバンド、その名もまんま「シティ・スリッカーズ」を作る。

このバンドにはコメディ好きのミュージシャンが集められた。若き日の谷啓や植木等、桜井センリがいた。サックスの稲垣次郎や「吹奏楽の父」として後年全国のブラバンから尊敬される岩井直博も参画。総勢17名で録音は一発録りで行われたという。「ウィリアムテル」のほぼ完コピ版が入る。こういうイキのいい、ビッグバンドで冗談やろうなんて心意気、どこへ行ってしまったのだろう。

ガキん頃、フランキー堺とフランク永井を混同したが、TVでドラムを真剣に叩いてる堺を見た記憶がある。彼はまさにマルチな才能を持っていたとおぼしい。昭和30年代前半、実に彼は輝いていた。「幕末太陽傳」「牛乳屋フランキー」など主演映画も数多く作られた。「私は貝になりたい」でTVドラマの賞を独り占めし、バラエティで司会し、大学で教授、北斎漫画ではプロデューサーまでした。

自信に満ちた肥り肉の男が画面を銀幕狭しと駆け回ったのは、丁度高度経済成長時代へ向かおうとする前夜の気分にフィットしたのだろう。今となってはどうだろう、ちょっと脂っこいか。
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06.5.05   堺旧市街地の美味い物

2006-05-05 13:40:58 | 

 近頃、身辺、堺づいていて、これも政令指定都市とやらになったからだらうか。我々が大都会だと思っていた堺東は今、つまんなくなっていて、断然面白いのは古い環濠都市の面影の残る旧市街地である。戦争で焼けたので、古い京都のような町並みはほとんど留めていないが、昔をしのばせる店がポコッと残っていたりする。もっと街歩きを楽しめるように、街づくりを考えるべきだ。店も人も他所から来る客を迎え入れる準備をしなきゃね。創業元徳元年(1329年)と、とんでもない老舗の『かん袋』のくるみ餅。店ではかき氷をかけて食べられる。これがちょっと酒呑みにもおつなもんである。客が次から次とひっきりなしに詰め掛ける。近くにビデオカメラ完備の駐車場までできたから、笑いの止まらぬことだろう。二十七代当主は屋号を命名したのは秀吉だというのだが、太閤が「かん袋」なんて大阪なまり使うか?誰も見た者がいないので、言うたもん勝ちみたいなところもある。くるみ餅とてくるみは一切入っていない。ふわりとした氷は刃が命である。                           創業元禄8年、300年を越すこちらも超老舗『ちく満』の蕎麦。日本で最古の蕎麦屋といってもいいのではないか。ここのは昔のスタイルを今にとどめる、蒸し蕎麦。一斤、一斤半と頼むせいろそばは、年中熱もりで、熱いつゆと葱・山葵などで食べる。全卵を入れて出てくるのはどうかねぇ~。蕎麦の香りはなく、ふにゃふにゃもちもち。大阪人ってのはこの食感が好きだねぇ~。粉もんしかり、豚まんしかり。蕎麦好きには意見が真っ二つに分かれるところだ。でも、歴史的な蕎麦として大事に残していくべきものだ。この玄関だけはいいが、上へ振り上げれば訳のわからない工場みたいな建物になっている。そのセンスたるや謎をよぶばかりである。

 近くの『プノンペン』という店も堺名物に数えられる。まだ20年程度だろうが、扱うのはプノンペンそば一穴主義。ピリッと辛い澄んだスープの中にストレート細麺。自家製杓子菜・豚肉・セロリ・トマト・ニンニクも産地にこだわる。水は岩湧山で汲み、箸は吉野杉ときたもんだ。辛くて子供の発育を妨げるので子供は入るな…とある。こうなりゃ頑固ぶりが潔くもある。そのわりにゃマスコミ好きそうだが。

           プノンペンという、台ヌキもあるそうで、通はそれを啜りながら飯でもかっこむのであろうか。まだまだ、穴場的な店が意外な場所に潜んでいる。 

    かん袋  堺市新在家町東1-2-1   ちく満 堺市中之町西1丁

    プノンペン 中之町西3-2-33

 

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06.5.04   恐れいりやの Spike Jones 

2006-05-04 13:28:38 | 音楽
若き日にコミックバンドみたいなものを組んだ。レコーディングもし、メジャーデビューの話もあったが、プレッシャーのないマイナー契約の方を選んでしまい、それで一巻の終わりだったが、まぁそれなりに楽しくはあった。

スパイクジョーンズを観ていれば、早々にやめていたか、或いは丸々影響されていたかのどちらかだったろう。最近ではアレだな、MTVやCF出身で映画「マルコヴィッチの穴」で聞こえた監督Spike Jonezの方が有名だが、それはパロディで本家本元のSpike Jones(1911~1965)は冗談音楽の大家、なぁに大家といってもふんぞりかえってなどいるもんか。隙を見たら人様の足元を引っ掛けて大笑いしてやろうというような愛すべき連中だ。

カリフォルニア州ロングビーチ出身。少年時代にジャズに目覚めたドラムス子は長じてスタジオミュージシャンとなり、ビングクロスビーのバックを務めたこともあった。30歳でCity Slickers(街のイカサマ師)を7人で結成。パロディ精神にあふれる曲でビルボード誌にチャートインするヒット曲を何曲もぶっ飛ばす。42年の戦時中、ドイツなまりの英語でヒトラーやゲーリングを皮肉った歌「拝啓ヒトラー殿」などはミリオンセラーだ。やるね、どうも。

冗談音楽にはスタン・フリーバーグもいるが、ちょいと知的ネタをするスネークマンショーといったところで、こっちの英語力不足でけっこう難しい。スパイク版はもうちょっとアホらしい。クシャミやしゃっくり、ガラスが大破したり、ピストルが鳴れば鳥が落ちてきたり、ステージで転倒してTpをペシャンコに踏み潰して泣いたり、小人が巨漢の双子姉妹とChanging Partnerを踊ったりする。アホは国境も語学の壁も越える!音源はずい分昔から聞いているが、紐育の知人が秘蔵していた50年代のSpike Jones Showの映像を見て、ともかくぶったまげたもんだ。

まず稀有な面相である。あんな四角い顔のアメリカ人、見たことがない。
南原清隆をロードローラーで潰したようだ。それに緊張なんて言葉はないのだ。演奏中はクチャクチャガムを噛みっぱなし。曲が終わるとドラムのスティックを床に投げつけ、跳ね返ったのを手でキャッチする!これ難しい。

グループは彼のパーカッション(ズラリ並べたカウベルや洗濯板、銃など)を中心にしたジャズ編成のコンボだが、次第にメンバーが増える。前面で行われる動きのギャグに後方のドラムが擬音をつける。サーカスの道化師の具合だね、こういう技術はもっと研究されるべきだろう。

一人一人のテクニックは一流ジャズメンだからまぁ、鮮やかなものだ。初期からのメンバー、前髪を揃えたペリー・ボトキンのテナーバンジョーのスゴさ!ハーポマルクス風のサイレント芸に徹する辺りのセンス!コワモテのTpジョージ・ロックはハリージェームスそこのけのテクニックを持ちながら、カワイイ坊やの声で歌うのが持ち芸。「前歯のない子のクリスマス」のヒットもある。

いい大人が真剣にアホなことをする、スパイクジョーンズ直系バンドが40年たっても生まれていないのは哀しむべきことだ。冗談音楽はできなくとも、その精神は引き継ぎたい!
敬愛する谷啓さんは今だにスパイクジョーンズがアイドルだという。谷さんいいなぁ。昔、オヒョイさんと浅野ゆうこの三人でショーを企てたこともあったが、こちらの力不足で実現に及ばなかったのは、今となっては残念なことだった。
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06.5.01   渡さん、ふたたび…

2006-05-02 02:02:58 | カントリー
我々がフォークの洗礼を受けた頃…なんていうと、お前は何者やねん!と
突っ込まれるだろうが、周囲では拓郎やアリスが人気があったりした。だが、なんでギターを同じように操り人形みたいにストロークするのだろう…どうせなら合奏した方が楽しいんぢゃないのかと思ったもんだ。
その頃に出会ったのが、高石友也と高田渡。二人はいろんな楽器を使って、周囲にはない音を出していた。高田渡のURCのデビュー盤は五つの赤い風船と片面ずつ担当し、クレジットにはMBS毎日放送で録音となっていた。
ラヂオで初めて聞いた「自衛隊に入ろう」は衝撃だった…

 皆さん方の中に 自衛隊に入りたい人は いませんか
 ひと旗揚げたい人はいませんか 自衛隊じゃ人材求めてます

 自衛隊に入ろう 入ろう 入ろう  自衛隊に入れば この世は天国
 男の中の 男はみんな  自衛隊に入って 花と散る 
                           『自衛隊に入ろう』

このパラドックスを自衛隊広報部は本気にして、ぜひパブリシティに使わせてほしいと言ってきたという、ウソのようなマコトの話。
こういう歌は、歌う宮武外骨(勝手に命名)高田渡の独壇場だった。視点が小津安二郎ではないが常にローアングル。自分の暮らしに合わせた場所からものを言ったから、決してブレることはなかった。一方の高石はアメリカ民謡に乗せて、中身にゃ乏しいがむやみに明るい世界を歌い、ついには独りで健康的に走り出したりして、おいてかれたナターシャーセブンの連中はどういう訳か次々に亡くなったり、女を殺したりしておかしくなった。
お別れ会では、こうせつの『ブラザー軒』、金子マリの『朝日楼』など友人たちが一曲ずつ渡の歌を歌った。「誰もやらないだろうから…」と、なぎら・坂崎幸之助が『ドキュメント三億円事件の歌』をデユエットし懐かしかったが、そこで誰もやらなかったというか、まるで知られていない歌がある。渡氏得意のパラドックスの効いたトピカルソングの一節を…。

     かつての組合書記長 いま会社の重役
     組合員をおだてた演壇で 社員に訓示する
 
       百八十度回転 πr(パイアール)
       昨日の友は 今日の敵となる

     労働歌よりは 小唄を稽古して 
     赤旗でなく ゴルフのクラブを振り回す

     大衆の拍手の代わりに 自家用車で迎えられ
     団交の時には 反対側の席に
                           『 転身 』

晩年を迎えたじいさんみたいだったが、なんの、まだ56歳。
飄々と歌う志ん生みたいになった老境の渡氏を見たかった。
写真は吉祥寺、くだんの渡さんの祈り台…
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