『30代~40代のプチ更年期の時期の女性は、職場、育児、親の介護、夫の世話等で多忙を極め、ストレスがたまり、うつ状態になる人が多い。 周囲は 「何故、そうなってしまったの?」 と責めたり励ましたりせずに、家族は家事を手伝うなどした方が良い。職場では退職に追い込まれるケースが多いが、職場も女性の身体の変調を理解し、休職手続きをとるなどの処置をしてほしい』 (実際の今朝の特集記事。だいたいこんな文だった)
静(しずか)は4月6日付、朝刊の「更年期について」の特集記事を読み終え、肩から力が抜けた。これだ! この一週間の様々な場面がフラッシュバックのようによみがえる。子育てはひと段落した。義父母は 「しばらく故郷に戻るから…」といい、実の娘夫婦の元へ一カ月の予定で滞在中だ。日中、家の中には夫の静夫と静の二人だけとなった。いつもより楽になる筈だった日常生活は、とんでもない方向へと向いている…。少なくとも、この一週間はそうだった。
静夫は毎朝、決まった時刻に職場へ向かう。7時半。帰宅時間は残業がなければ6時頃。静はパートからフルタイム勤務になり、4通りのシフトで働いている。40代になって変わった職場環境と不規則な生活。一方、夫の方は異動もなく、定時に帰宅出来ている。そんな日々が続いていたある日のこと、急に義夫婦が一カ月留守にするという。
「たまには夫婦、親子、水いらずで暮らしてみたいでしょうから。あぁ、そうだ! 雄太も一緒に連れて行こうかしらね。春休みだからちょうどいいわ」
義理の母の申し出に、静は涙が出そうになった。最近、職場では力仕事に加え、心身共にサポートをするスタッフとして勤務している自分も 精神的サポート、家事サポートが必要だと思う日々が続いていたからだ。
「お母さん、ありがとうございます。娘さん宅で、リフレッシュできるといいですね。私じゃ生き届かないことも多いでしょうから…」
「私こそ、手を出すと、かえって…ねぇ」
義母は、言いかけて言葉を飲み込むとほほ笑んだ。
「一つの家庭に主婦は二人必要ないってことよ。ちょっと考えたけれど、夫婦二人にしてあげることが一番かと思ってねぇ」
静は何も言うことがなかった。ただ、お気遣いありがとうございます、と何度も繰り返し、頭を下げた。
こうして夫婦二人の生活が一週間を過ぎたのだ。しかし現実は…ストレスが解消されるどころか、増大するばかりの日々。静が遅番のときは、帰りは夜9時を回る。もし、義母がいれば、夕方には帰宅している静夫にひとこと、
「静夫! 寝そべってテレビばかり観ていないで、静さんを車で迎えに行ってあげなさいよ。車ならラッシュもないこの時刻、8分で到着する道のりも、バスで帰ると1時間以上かかるでしょ? バスの本数も30分に1本しかないんだからっ! それに夜道を歩かせるのは このご時世、危険だわよ!」
静夫は 「うるさいなぁ。まだ家を出るには早い!」 と、邪険に返事をする。いつもこうだ。仕事が終わる時刻を過ぎてから家を出る。妻の仕事は人間相手でサービス残業が多い職種だから、「定時に終わらなかったら、俺が待たされる」ということらしい。
「あなたが先に到着して、車の中で待っていれば済むことでしょ? 静さんは貴方の車が到着するまで寒空の下、外で待っているのよっ!」
どうしてそんなに実子の俺より妻の肩を持つんだ? とぶつぶつ言いながら、静夫はようやく立ち上がる。そんな静夫を眺めながら、ため息をつく母…。(私がいなければ、夫婦愛が戻るのかしら? 私への当て付けかしら?)そんな考えがふと息子を見つめる母の脳裏をかすめた。
…結局は、こうして夫婦二人だけの生活が戻ってきたのだ。春休みだから…と、雄太も祖父母に付いていき、従妹達と遊ぶんだと、笑顔で出かけて行った。静は心から義母に感謝した。「ひとときの」新婚生活。 何かを取り戻せるかもしれない。
ところが現実は違った。
「今日、お前は遅番か? 俺は店でナイターイベントが開催されるから、帰宅はお前より遅くなる。迎えにはいけん」
そういいながら、いつもの時刻、7時半に家を出て行った。おかしい…。かつては静も静夫と同じく店舗に勤務していたのだ。夜のイベント日、朝、7時半から出かけることは、結婚後、一度もなかった。朝出でナイターのため、夜遅くなる??? 朝から疑問符だらけだったが、何も言わず、静は勤務へ出かけた。職場につけば、家族のことを思う余裕などない。入居者様の体調変化や異常に100%注意を向けなければならないから。この日も クタクタになり、はうようにしてバス停を降り、歩き始めたその時…。背後に車が止まり、「おい!」と男が叫ぶ声がした。仰天した静は振り向きもせずに必死で駆けだす。ところが車は追いかけてくる。静の前に停車した車から顔を出しているのは、なんと静夫だった。
「なによ、驚かせてっ!」
「ナイターで帰りが今になったんだ。間に合わないけどバス停まで行ってみた」
「じゃぁ、今、職場からの帰り? それとも家に一度、戻ってるわけ?」
「職場から直行! 自宅には戻ってない」
バス停から自宅まで半分以上歩いたところで迎えに来られても意味がないのだが、ちょっとでも歩かせまいと思ったのだとしたら、少しは私に対して思いやりも残っているのかもしれない。静はちょっとだけ心が晴れた気がした。しかし、玄関のカギを開けるとき、異変に気がついた。二か所の内、一か所しか鍵がかかっていなかったのだ! 夫は一度も戻っていないと言った。その夫は静よりも先に自宅を出ている。静は確かに両方のカギをかけて出かけたのに、なぜ…???
家の中へ入り、テーブルを見たとき、納得した。静が今朝、家を出る前に作っておいた夕食の匂いが部屋中に充満している。静は出かける前に窓は全開にし、空気の入れ替えをしておいたのだ。それに、夕食を食べた後がキッチンには残されている。何故、すぐにバレる嘘を付くのか…。そんなに静を迎えに行くことが面倒なのか。普通に一人の人間としての愛情ってものは、無いのか? 元々他人の夫だからか? 父娘の間に起こった出来事であったなら、こういう状況でつかれた「嘘」に娘は耐えられなかっただろう。夫は他人だ! と思えば諦めもつく。
結局、何故、嘘をついたの? なんて心が沈みきってしまい、問い詰める気力もなく、静は何も言わずに一人で夕食を済ませ、一人でテレビを観ていたが、いつの間にか眠ってしまっていた。
「おい! 風呂に入らんのか!」
という夫の叫び声で目が覚める。
(それだけ疲れているのよ…。眠る意思が無いのに眠りこけてしまうほどに)
言葉にはせず、心の中でつぶやく静。自分が入りたいから沸かしたのかもしれないが、夫が自分で風呂を沸かして上がってきたところだったらしい。嘘をついて迎えには来なかったが、お風呂は沸かしているので、「ありがとう」と言った。文句は言わない。水に流す。
「明日、俺は休みだ!」 静の心中を知らず、上機嫌の静夫だった。
女の仕事が休みで家にいると、家の中は綺麗になる。仕事へ行けば、戸締りをし、思うように空気の入れ替えすらできない。窓全開で掃除機をかけると気分も爽快になる。静は、そんな休日の過ごし方が一番好きだった。掃除はストレス発散法。
男の仕事が休みで家にいられると、家の中は豚小屋になる。窓も開けない。換気しない。片つけたテーブルには新聞、広告、なんでも広げて読みっぱなし状態。パンクズ、からになったお菓子の袋はそのまんま…。
翌朝、静は勤務。静夫が休日で家にいる。なんとなく「予感」しながら静は この日も仕事で疲れ果てて帰宅した。夜9時に炊飯器がブクブクいっている。換気扇も回していない。「飯は俺が炊いているぞ!」と自慢げの夫に、
「こんな時間に遅いね。ご飯を炊くなら、せめて私が帰宅する時刻より前には むらしている状態にしてほしいよ…おかずもないし」
静は言ってしまってから後悔した。何もしない夫がご飯を炊いてくれたのだから、最初にお礼を言うべきだった。だが、「嘘をついてまで迎えに行きたくな程に愛情不足の夫婦関係」 こんなにキツイ仕事をしながらも私は早朝から家事。帰宅後も家事をして頑張っているのに。静自身、分かってはいるが、夫の見え透いた「嘘」が確実に尾を引いている。結局、静は冷蔵庫を覗くと、あるだけの野菜を出して水洗いし、土鍋をコンロに無言で置いた。
「おかずは今から私が急いで作るから」
「・・・・・」
続く