みなさん、おはようございます。お久しぶりの更新です。いつもながら、仕事は忙しく、突発的なこともよくある人間相手のお仕事なので、(すべての仕事は人間相手ではありますが^^;) ブログ更新さぼっていました。 でも、元気に毎日過ごしております。皆さんもお変わりなくお過ごしのことと思います。
昨日からホークスは9連戦! 阪神タイガーズならば、毎年夏の甲子園の時期にやってくる連戦のようなもの。でも、タイガーズは長~いロード。ホークスは地元も含むので、まだいいよね。 タムは私の希望通り、彼の同点ホームランで勝利した試合後、ブログを更新してくれました。 タム、ありがとうです。
昨日の試合は残念ながら、仕事で最後の放送時間が終わる直前しか観ることが出来ず…でも、 ラジオに家族全員で耳を傾けました。 宗リンのホームラン、流石ですねぇ~。あとで知りましたが、彼の好プレーもあったのですね。
「まさか、ホームランになるとは…思いました」
というヒーローインタビュー。 大笑いしてしまいましたよ。 いつものように、仕事が仕事なだけに、疲れ果てて帰宅しましたが、彼の台詞に一気に疲れも吹き飛びました。 選手の力ってすごいです。 秋山監督を始め、選手の皆さん、いつもありがとう。 昨日は宗リンのお母様の誕生日だったそうで、母へ向けたメッセージにも、じ~んときました。 まもなく博多どんたくシリーズも始まります。 昨日の勝ちで勢いつくことを願います。 試合は勝つか、負けるか、引き分けか。 どのチームも必死に勝ちにくる中での勝負。 私のような凡人には分からない苦労が多いことでしょう。 (特に負けた時の外野の声など) 勝っても負けても 「次に繋がるプレーをしたい」 というタムの言葉通り、そんなプレーにファンも毎日、支えられています。 今夜は勉強会に19時から出席するため、ラジオですら試合経過を見守ることが出来ませんが、いつでも応援しています。 頑張ってね。
…というわけで、ここから広島旅行記が始まります。 前置きが長くなりましたが、その前にブレイクファーストといきます。 予定では、ビザトーストと、すず特製のトマトスープとバナナとヨーグルト。 この下に更新記事を足していきます。 ひとまず、さよなら…さよなら…さよなら…
私達が平和公園に到着すると、中国人の学生達と先生らしき人達が、記念写真を撮っていました。 全部で50人くらいの学生達。 日本で言う修学旅行のようなものでしょうか…? 喋っている言葉から、中国人だとすぐに分かりましたが、勿論、何と言っているのかは分かりません。 上記の説明を読みながら学生同士、何か熱を込めて喋っていました。
段々と近付くにつれ、生々しさが迫ってきます。それは、後に訪れる資料館で読んだ、『あの日、広島の朝、快晴。 この日が広島の運命を決めた…』 『身体中に火傷をおいながらも自宅近くまで行きつき、母親の元で翌朝亡くなった…』 「焼け焦げたお弁当箱と、本人が口にすることがなかったご飯』…あまりにも衝撃的な、あの日、広島で起こったことを思いながら、再び今、こうして自宅へ戻り、目の前で見た原爆ドームを思い出すからかもしれませんね…。
当時の多くの建物は、解体作業が行われ、広島の街から消えてなくなってしまったそうです。 資料館で模型を見ながら、出来れば残して欲しかった…と思う建築物も多かったです。そんな中、この原爆ドームも 「解体すべきでは?」という時期もあったのですね。こうして残してくれて良かったと、多くの海外から訪れている人達の思いつめた表情を見ながら尚さら思いました。 原爆の恐ろしさは、この原爆ドームを目の当たりにしてこそ、胸に迫ってくる、そんな気がしました。
↑↑ 瓦礫の山も、そのままに…残されていました。
私の隣では、アメリカ人男性が熱心にカメラのシャッターを切っていま
した。
「柵を乗り越えないで下さい。防犯ブザーがなります」
と、表示されています。慌てて後ろへ下がりました。
「カァ~…カァ~…」
という鳴き声に、思わず目線を下から上空に向けました。
「ピカドン」
資料館でも、社会科の授業でも、毎年夏に聞いた広島・長崎特集番組でも、体験者が口にする 「ピカドン」
一瞬で広島の街を焼け野原にした原爆の恐ろしさを今に伝える原爆ドーム。
しばらく言葉もなく、アメリカ人のおじさんと二人、きっと思うことは同じだろうと感じつつ、その場に立っていました…。
ここに飛び込んで亡くなられた方々に、思わず手を合わせました。 資料館では、市民の方々が描いた、『あの日の広島』の絵を拝見しましたが、その中にもこの川の、あの日の様子が地獄絵のように描かれていました。 思わず息をのんだほどです。
広島市内でも、原爆ドームでも、そして資料館でもー。
多くの外国人観光客を見かけました。皆、一つ、ひとつの展示物の前で食い入るように資料を読み、目を見張り、一瞬、目を背けては再び目を開き、ゴクッと飲み込み、呼吸をすることすら忘れて…という表現がぴったりのように真剣なまなざしに多く出逢いました。 言葉が英語なら、何を言っているのか分かるため、日本では誰でもよく目にする写真や広島の廃墟化した街の写真も、海外ではそれほど知られてはいないどころか、それこそ、どれもこれも初めて目にする資料であるケースが多いのでは? 原爆の恐ろしさを世界に知らせるのに、「広島原爆ドームと資料館」こそが 世界に向けて非核を訴える生きた教材なんだと、肌で感じました。 原爆ドームが世界遺産となったことは大きな意味を持ちますね。 ここへきて、資料と合わせ、外国から来た人達のショックで何も言えない表情を見つつ、色々なことを思いました。
詳しくは、明日以降の記事にて…。
上記の写真は、原爆ドーム前にて。熱心に資料を読みながら、想像を絶する被害状況に驚きを隠せないと語る外国人観光客達。 多くの人達にこの地を訪れて欲しい、そう思いました。私も、もっと早く来るべきでした。ここへ。 核廃絶は広島から世界へ向けて訴えて行こう、と頑張っていらっしゃる方々こそ、ノーベル平和賞を授与されるべきでしたよね? そう、米大統領より先に…。
すず