昨日、点字や朗読テープを作る現場を見学させて頂いた。
「点字図書に興味がおありですか? もし宜しければ、見ていかれますか?」
「はい! いいのですか?」
そして個人的に案内して下さったのだ。
点字図書・・・見るのも触るのも 生まれて初めての体験!
実際に手でなぞってみる。 勿論、指先に ぶつぶつを感じる。
だけど、丁寧に、ゆっくりと横に指でなぞってみても これが果たして「文字」として認識できるようになるには、自分の場合、どのくらいの時間を要するのだろう・・・? と考えてしまった。
実際に点字図書を読んでいらっしゃる方は、滑るようになめらかに、しかも早く指を動かす。凄いことだと思った。
小学校低学年の頃、視力検査でひっかかり、夏休みに入る前に担任の先生から問診票を手渡された。 それだけで、なんだかドキドキしてしまい、更に医師から 「メガネを作った方がいいでしょう」と宣告されたとき、「小学生でメガネになるの?」と衝撃を受けた。 その日から始まった 「毎晩、月や星を眺める」という習慣。 視力回復には草木の緑や星を見ることが良い、と教わったから。 それまでは夜8時には 「お休みなさい」と2階にある自分の部屋へ戻ったあとも、暗闇で枕元のスタンドだけを頼りに隠れるようにして読んでいた本も しばらく読まなくなった。 視力が低下する、もしかしたら、目が見えなくなるかも・・・? 母の脅しもあったが、小学校低学年だった私にとって、「大好きな本が読めなくなるかもしれない」「手紙も書けなくなるかも」 何の楽しみがあるのだろう・・・・という恐怖心だけが襲いかかって来た。 丁度、その頃、再放送されていた「大草原の小さな家」では、ローラの姉が光りを失ったシーンを観て、我がごとのように感じていたから、ということもある。
努力のかいあって、視力の低下はおこらなかった。 今でも肉眼で読み書きできる。メガネも必要ない。 でも幼心に味わった、「目が見えなくなることは、死の宣告を受けるより、私にとっては怖い」ということだけは分かった。何よりも自分にとって楽しみである読み書き…特に幼いころの私って、究極の恥ずかしがり屋で お喋りするより書くこと、本を読むこと、想像することを好んだからかも。
そんなこんなで実際に触れてみた点字図書。 まだ一冊、一冊、手打ちだった頃・・・ファイルされ、ボロボロになった点字本を見せて頂く。 「これは この世に たった一冊しかないんですよ。 水に濡れたり、破れたりしたら、おしまいです」 と館長さん。 世界に一冊の本・・・。 ただ、一冊! これまでに一体どれだけ多くの人に読まれたのだろう・・・本当にボロボロ・・・・こんなに大切にされている本が存在する!
今、この文を書きながらも、隣に積み重ねられた複数の本へちらっと目線を走らせる。 大量生産できる本。 自分は大切にしてる? あれだけ大事に思っていた「本を読む、読める、自分の目で」という行為。 勿論、指で読むことだってできる。 どちらがどう・・・ということではない。 目で読むことが出来る私は、簡単に購入できる本に対する感謝の気持ち・・・年齢が上がるにつれ、かけてきたように思う。段々と月がかけていくくらいの速さで。 一冊、いっさつの本を大切にしよう、と思うと同時に、「描く文字の大切さ」にも気付かされる。 絵本はイラストが占める割合が大きい、と思ってきた。 でも それに頼りすぎちゃいけないな・・・って。 文字のみで繰り広げられる世界・・・・そのつもりで童話作りの原点に戻ろう・・・・うん!
現代では点字図書もパソコンを使って作成し、添付ファイルとして送信することも出来るらしい。 以前のような手作りの点字図書よりも かなり早く大量生産できるようになり、便利になったということ。 より多くの人に届けられるようになったんだ。 それは良かった。 点字図書館を後にするとき、ふと、 水俣出身のシンガーソングライター、むたゆうじさんが歌っていた「小さな一歩」の一節が浮かんだ。
~指でたどる文字に
瞳で受ける言葉に
人は愛を感じ
ほほえみに包まれてゆく~
小さな一歩 作詩 小曽根俊子 作曲 無田雄二 (全文は こちらをクリック)