4巻一冊だけで、なんと700ページ!
文庫なのに、ずしりと重い。
向かって左が4巻。右は5巻(約370ページ)
拘束された長男ミーチャは勿論、動けないが、彼を取り巻くあらゆる人々が4巻で動く! 次男のイワン、三男のアリョーシャ。特に明日から裁判が始まるという日。零下の凍えるような日であるにも関わらず!
次男 イワンの ”悪魔” との対話が、2巻に引き続き、ここでも強く印象に残ってしまう。誰もいない筈の彼の部屋に、紳士が立っている。丁寧な言葉使いと服装だが、イワンは、その訪問者が自分の片割れ、つまり幻覚であり、彼が語る話も幻聴だと分っている。もっとも汚い部分の自分だと...
一般人は、ここまで掘り下げて自らの心(本音と建て前、見栄etc....)とても向き合えない...と思う。兄の無実を証明するため、疑わしい下男に会いに行き、さしで向かい合う。相手は”殺人犯かもしれない”のだ。イワンでなくとも、初夏のジメジメした日本でさえ、この場面を読んでいる間中、本を持つ手がガタガタ震えた... イワンに酷い幻覚の症状が出たのは、この後、自宅に戻ってからだった。それだけ彼は苦しんでいる、ということだ。
三男アリョーシャは少年達との”問題”を解決へ導いた後、複数の人を訪ね歩き、イワンの元へやってきた。ある重大な知らせを持って。
家の中では、イワンがドアのノックの音を聴いている。ノックは次第に大きくなっていく、とイワンは感じるのだが、実際には夢の中でノックの音を聴いていたらしく、覚醒したイワンが耳にしたのは、遠慮がちに叩く音だった。
アリョーシャは、兄が病気であることを一目で悟り、タオルを濡らして額に当ててあげると周囲を見回す。その時になって初めてイワンは、投げた筈の濡れタオルは乾いており、同じくコップも割れてはおらず、テーブルの上にあることに驚く。 ここで初めて、イワンは夢を見ていたのか...と、胸をなでおろす私。 アリョーシャの来訪で、イワンを悩まし続けた悪魔は去っていた。
何だか、本当に3人の兄を持つ、妹のような気分になってきたから不思議。
これ程までに哲学的なロシア人が相手では(たとえ長男ミーチャのように一見、ハチャメチャに見えても)
心休まる暇はないかもしれないが、退屈しない人生になるだろうなぁ。イワンの一部である、あの ”悪魔”さんも言っていたが...
善だけで、すべてが完了、それでは退屈ではないか?と。
善だけの人間なんて有り得ない。イワンも苦しんでいたが、
「自分は明日、誰かのために(兄)供述をする」
これだって、悪魔曰く、「民衆に立派な人間だと褒めてもらいたいから」
イワンは反論する。農民に少しばかり褒められたからといって... 少しばかりの見栄だったり、虚栄心だったり。最後は認める。自分に語り掛ける悪魔は自分だと。そして、安心して眠りにつく。そんな兄を見て、アリョーシャは、兄が信じなかった神が共にある、と感じる。
…ここまで400ページあまり。裁判の幕が開いたばかりのところを今、読んでいる。イワンの心の葛藤は、ストーリー展開は全く違えど、夏目漱石、最後の小説となってしまった未完の『明暗』を思い出させる。偶然なのか、著作数が多いドストエフスキー最後の小説となったのも、この『カラマーゾフの兄弟』なのだ。偉大な作家が晩年に扱いたいテーマなのか、それとも...と、色々言える程、私はドストエフスキーの小説に目を通してはいないのだけれど。
さて。続きは、更に明日以降、読み終えてから書くとしよう✒
ジャスト0時。日付けが変わったところで追記~
1880年代帝政ロシアの後、裁判制度もフランスを参考にしながら、かなり改正され、裁判の様子も一般公開されるようになったそうだ。何より驚いたことは、この時代、すでに陪審員制度が採用されていた!ということ。日本ですら、近年になって導入されたのに。
更に驚いたことは、精神疾患がある場合、判断力の欠落があったということで、無罪になるケースについて、傍聴席の人々が噂しあっている場面もある。私が知る限り、日本国内で、「鬱病は心の風邪」と新聞の見出しで読んだのは、今から19年前だった。「うつ」が注目され始めた時期は、平成になってから、だと思う。それなのに、ロシアでは、すでに これほど深く掘り下げられ、しかも裁判にも制度として導入されていたとは! 勿論、日本でも、夏目漱石が「神経衰弱」という病名で苦しみながら、作家活動をしていたことは知られてはいるが...
一つひとつ取り上げるとなると、一睡もできなくなるため、敢えて一つだけ、絶対に外せない点を書いておこうと思う。それは自分も常日頃から(恐らく4~5歳くらいから)言葉にできずとも、感じていた疑問だった。
「父親というだけで、子供は父を…いかなる父であっても、無条件に尊敬しなければならないのか!?」
ミーチャの弁護人が、最後のさいごに、見事に答えてくれているので抜粋したい。
「わたしは つい先ほど、父親とは何か、と問いました。そしてそれは偉大な言葉、貫く重々しい名であると叫びました。しかし、陪審員のみなさん、言葉の扱いには誠実でありたいものです。ですから、わたしは、対象を、自分なりの言葉で、自分なりの呼び名で呼ばせていただこうと思うのです。
カラマーゾフ老人のような父親を、父親と呼ぶことは出来ません。また、そう呼ぶにも値しません。父親と認められない父親への愛情ほど、愚かしいものはありません、そんなものは不可能です。無から愛は生まれません。(リア王の台詞と同じですね、ここ!)無から創造しうるものは神のみです。」(647ページ1行目~8行目)
この後も、弁護士の話は続きます。この後、産み落とした赤ちゃん二人をスーツケースに詰めた女の話が例として、上げられ、白骨化して見つかった。これを母と呼ぶにふさわしいか否か?等、語られ、聴衆の心をつかんでいく... 果たして、裁判の結果は? ミーチャは父親から、父らしい態度で接してもらえなかった。イワンも父を毛嫌いしていた。そのことが、「もしかしたら、自分もカラマーゾフ老人の死を望んでいたのかもしれない。実行に移すことがなかっただけで自分が有罪だ」と苦しみ続けている。三男アリョーシャだけが、天使のような息子なのだが。
どうやら、5巻はカラマーゾフ兄弟「その後」について書かれた「もう一つの物語」らしい。といいうことは、判決を持って、一旦、この長いながい物語は終止符を打つことになったのか...
判決は...期待したものでは無かった。では、明日から「その後の人生」を覗いてみようと思う。