日々のあれこれ

現在は仕事に関わること以外の日々の「あれこれ」を綴っております♪
ここ数年は 主に楽器演奏🎹🎻🎸と読書📚

タイム・トラベラー 最終回「タイム・エネルギーの謎」

2021-06-12 20:49:28 | Weblog

タイム・トラベラー 最終回「タイム・エネルギーの謎」

 

偶然、見つけました!

『タイムマシン』を読んだばかりだったから、ついつい見てしまった! 1972年放送分の最終回だそうです。

 最後まで視聴し、この独特の音楽は聴いたことがある!と思いました。私は3歳だったので、両親が見ていたのかも~ 

 ただ、自分にとって『時をかける少女』は、中学生の時に見た原田知世さんですね(^_-)-☆

Comments (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

カラマーゾフの兄弟 2 ドストエフスキー

2021-06-12 19:16:19 | 読書

 

 

2巻の前半部分を読みながら、31年前を思い出した。両親がカトリック信者で自分自身も洗礼を受けたが、無神論者だと出会った直後は話していた人のこと。その人は、砂漠地帯で(サウジアラビア)数年を過ごし、やっと母国に戻ることが出来た直後、日本行きを上司に命令(?)され、最初は断ったらしい。やっと家族と暮らせるようになったのに、何故海外?しかも日本? 何も期待しないまま、日本へやってきた。

「どっちにしろ半年の研修を受け、帰国を待つのみ、だから趣味のカメラも持参しなかったが、今、とても後悔している。だから、家族に頼んでカメラを送ってもらうことにした」

私にそう話した人の名はラミール。お正月にラミール、アート、チャット達を我が家へ招待した時だ。ずらっと並んだおせち料理に興味津々といった感じだった。

内心、カメラの送料の方が高くつくんじゃ...日本で購入すればいいのに、と思ったが、送られてきたのは一眼レフカメラで、本格派だったので納得した。

「サウジアラビアへ行く前は期待していた。探し求めたものは見つからず、失望しかなかった。日本へ来る前は、何も期待していなかった。それは人に対して。だが、最も期待していない場所で見つけた...」

そう言っていた人は、その後の手紙には、よくGod、神が登場するようになった。

「私が神を語ることを きっと驚いているだろうね」

 と、本人も心境の変化を認めていた。こんなに日本や日本人を~英語では、admire 賞賛し、尊敬の念を抱いて頂き、日本人として嬉しかった。 要するに、人が人を信じられる体験をした時、神様を信じる気持ちになるのだろうか。 

       

 2巻の後半。 穏やかに流れていた空気が一変したかのように、波乱に満ちている。しかし、ぐいぐいと読ませる。書きたいことは沢山あれど、どこから手を付けたらよいのか!? ここでは1つだけ。

 今、まさに問題となっている児童虐待について、だ。勿論、そのような定義はなかっただろうが。(1800年代のロシア)

 ここで、1巻で問われた 「神は存在するか、しないか」という父親からの問いについて、「しない」と答えた次男、イワンが「する」と答えた三男で主人公、アリョーシャに モスクワへ旅立つ前に... 長いながい話をして聞かせる。 論点を集約するため、子供に絞って! (虐待の話)イワンが集めてきたという、あらゆる事例については、ここでは具体的には触れない。ここに書くのも苦しい内容なので。 

 何の罪もない、(筈の)幼児が親から、或は大人から虐待される。 幼児や子供に虐待する大人は、無防備な相手に対し、虐待することに快楽を感じるらしい。相手が泣けば泣くほど、苦しめが苦しむほど。

 子供達は、親から逃れられず、ただひたすらに「神ちゃま」に祈る。だが、誰も助けてはくれない。或は、わが子をさらわれ、無残にも殺されたケースはどうか? 相手を許せるか?とイワンが問うと、アリョーシャは、「縛り首にすべき!」(だったと思います)叫ぶ。 私も虐待ニュースを耳にするたびに、「同じ方法で(虐待した方法で)死刑になればいい!」といつも言う。母曰く、「一体、誰が刑を執行するのよ!」 「AI ロボット!」

 要するに、「許される罪」と「許されない罪」がある、と思う。聖書に書かれてあるように、「隣人を愛せよ!」 いいでしょう。「罪を許し...」 許せますか!こんな罪! (と思うものがある)

 「母親にそんなやつを許せる訳がない! 途中略 母親が迫害者を許したとしても、(他人に殺された)子供の苦しみを許す権利までは母親にはない

 この世界じゅうに、はたして他人を許す権利をもっている存在なんてあるのか? 調和なんて俺にはいらない。人類を愛しているから、いらないんだ。それよりか、復讐できない苦しみとともに残っていたい。おれはこの復讐出来ない苦しみや、癒せない怒りを抱いている方がずっとましなんだ」(247ページ4行目~)

 他人を許す権利があるのは神様だ、というだろうけれど。イワンがいわんとするところ、分かる。無神論者ではないにしろ、同感、同感! キリスト教(どの宗派でも)に限らず、一神教に感じる違和感は、まさにこの点だな...と。小6の時の日記には、「人を愛し、許すことを天国からやってきた猫に教えてもらった」とは書いたが、このケースは許せる範囲の父親と娘の相違点だった訳で、罪ではない。

 私もかつて、イワンと同じことを考えていた。許せないけれど、復讐はしない。自分には理性があるから。自分が罪人になるから。わが子を殺された親は、皆、そうだろう。復讐できない苦しみや、癒せない怒りを抱いて生き続けているんだろう... 修行僧のように...

 ここまで~2巻を読み終えて...1巻からは考えられない深い話となった!これは良い!流石、『罪と罰』を書いた、ドストエフスキー先生だな、と思った。

 ただ、もし、この内容を二十歳そこらで読んだとしても、人生経験、対人経験、そして読書体験が乏しく、とても理解も出来なかっただろうとは思う。

 それぞれの巻に、訳者である亀山郁夫氏が、『読書ガイド』を掲載している。ちょっと休憩☕のつもりで、次巻へ進む前に、おさらい出来る点もグッド!

 

 そして~偶然で驚いたのですが、フィリピンの友人がFBに聖書の一節を紹介しており、その内容が今回ここで触れたことに関連するではないか!特に太字の部分。こちらに聖書から~引用

 

Romans 12 16-21
12:16 互いに思いを一つにし、高ぶらず、身分の低い人々と交わりなさい。自分を賢い者とうぬぼれてはなりません。
12:16 Be of the same mind one toward another. Mind not high things, but condescend to men of low estate. Be not wise in your own conceits.
12:17 だれに対しても悪に悪を返さず、すべての人の前で善を行うように心がけなさい。
12:17 Recompense to no man evil for evil. Provide things honest in the sight of all men.
12:18 できれば、せめてあなたがたは、すべての人と平和に暮らしなさい。
12:18 If it be possible, as much as lieth in you, live peaceably with all men.
12:19 愛する人たち、自分で復讐せず、神の怒りに任せなさい。「『復讐はわたしのすること、わたしが報復する』と主は言われる」と書いてあります。
12:19 Dearly beloved, avenge not yourselves, but rather give place unto wrath: for it is written, Vengeance is mine; I will repay, saith the Lord.
12:20 「あなたの敵が飢えていたら食べさせ、渇いていたら飲ませよ。そうすれば、燃える炭火を彼の頭に積むことになる。」
12:20 Therefore if thine enemy hunger, feed him; if he thirst, give him drink: for in so doing thou shalt heap coals of fire on his head.
12:21 悪に負けることなく、善をもって悪に勝ちなさい。
12:21 Be not overcome of evil, but overcome evil with good.
 
 
最後の「悪に負けることなく、善をもって悪に勝ちなさい」
子供のころから意識していること...とはいえ、児童虐待や誘拐(拉致被害者家族)殺人となると、やはりイワンがいわんとすることが分かるし正しい気がする...
 
 1巻では、兄弟三人と父が一つ屋根の下に集結。しかし家族と殆ど口をきかなかったイワン。それほど存在感もなかった。2巻では一変! 最も自分に近い人、それがイワンだなぁと。今夜から3巻を読みます。 
 
 ps 1巻と2巻は、仕事の帰りに返却してきました。市内にお住まいの方~ どうぞ✋
 
 
 
Comments (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする