日々のあれこれ

現在は仕事に関わること以外の日々の「あれこれ」を綴っております♪
ここ数年は 主に楽器演奏🎹🎻🎸と読書📚

逆説の日本史 12  天下泰平と家康の謎 井沢元彦

2021-11-14 22:28:40 | 読書

 逆説の日本史シリーズは、1巻から9巻まで読みましたが、10巻の信長、11巻の秀吉は図書館に立ち寄った際、見つけられませんでした。ずーっとないようなので、やはり取り寄せになるか。今回は、2冊とばすことになるものの、12巻の家康の謎を借りてきました。 他にも先に紹介した『チエちゃんと私』よしもとばななを含む合計5冊を貸し出し。 大体、いつも2週間で5冊借りますねぇ。読めるのは月に10冊程度でしょうか。今はECCの研修期間中でもあり、多忙なので無理はしない✋

 

 実はまだ読了しておらず、半分ちょっと読み終えたところなのですが、ここまでで、どうしても書き記して置きたいことが! ひとことで言えば、

 リメンバー 関ケ原

これって誰にとって? 諸事情は違えど、”関ヶ原負け組”となってしまった毛利・島津、二家です✋

幕末の会津藩も気の毒と言えば気の毒ですが… それより先、300年近くに渡って Remember 関ヶ原を胸に、あの恨みと試練と教訓を親から子へ~孫へ~と世襲してきた藩があったのですねぇ。

毛利といえば、長州藩。島津といえば、薩摩藩。

幕末の 打倒!徳川幕府もうなずけます。

関ケ原の合戦云々は、わたくしごときより、皆様方のほうが断然お詳しいでしょうから、ここでは詳細はカットし…

毛利・島津にスポットを当ててみたいと思います。

 

 まずは、毛利藩から~ 井沢さんによれば、(124ページ)

関ケ原の戦いから二百数十年後、長州藩士、吉田松陰は私塾、松下村塾であらゆる学問を教えたことは、あまりに有名でして、最近の大河でも「花燃ゆ」で描かれました。

高杉晋作、伊藤博文(山崎育三郎しゃん…もうすぐ会えるね、8時に)、山県有朋、多くを輩出。

松陰は歴史を教える際、当時の大ベストセラー頼山陽(らいさんよう)の『日本外史』を使用したが、冒頭からではなく、関ケ原から教えたそうです!

「我々は毛利家の家臣だ。だから関ケ原から始めよう。君ならどうする?」

 良い問いです👍

例えば、ここに織田信長の才覚に気付かなかった当時の武将(明智光秀)であったり、信長の教育係は視野が狭く、見る目がなかった、と言っている人がいたとします。では、逆にその人がその時代に存在したとしたら、「あなたなら、どうする?」と問うてみたいものです。 だってさぁ~ 現代ですら自民党支持者で談合も必要悪だ!と日頃から意見している、その人が 信長が最も嫌った事の1つが談合であるのに… 信長の才覚を見抜けちゃったりするのでしょうか?って話です。信長はワンマンに見えるものの、何処の🐴の骨とも分からないよそ者の意見に耳を傾けたからこそ、バンバンよそ者を抜擢し、秀吉や光秀が活躍出来たんだもんね~

まだあります。

古代ローマの元老院。このシステムが機能していた頃は良かったものの、段々と時代と合わなくなってくる。だからカエサルは変えようとした。 自民党の派閥システムも、戦後は上手く機能していたけれど、時代と合わなくなってきた…それが今の状態じゃないのでしょうか。少なくとも自分が小学生の頃は、宮沢喜一さんなど穏健派と強硬派がいて、派閥が政党のような役割をしていたし、意見を戦わせていたわよ~ よくテレビで見ていたもん。激論だったり、取っ組み合いのけんかにでもなろう自体… それが今は…安部&麻生ら御山のトップのボスらと意見が合わねば河野さんのように、冷や水を飲まされる、という事態。おかしくないでしょうか。

 

 

話がズレすぎました。話題を元に戻します。

毛利家は、あの時、どうすれば良かったのか? 以下、124ページ以降を自分の意見も加えつつ、勝手にまとめます。

敗因の第一は、井沢さんの言葉でいえば、徳川家康という男を信用し過ぎた! 

「あの狸親爺は最初から毛利を騙し、領土を取り上げるつもりだった。その辺は上手く立ち回ったつもりだった吉川(きつかわ)広家も、まんまと騙された。「参戦しないでくれ✋」という狸親爺に 「何もしないで棚から牡丹餅狙い」だった、甘かった! その結果が「百二十万石から三十六万石への脱落」これは痛い、痛すぎる。しかも あっさりと大阪城を狸じいに明け渡すとは…

 敗因の第二。上層部の優柔不断。西軍の総師を引きうけたのだから、出陣すべきだった。毛利が出陣すれば、西軍が勝利していたでしょうね。毛利は村上海賊(海軍)を持ち、補給が絶えることもない。大河、「軍師官兵衛」でも描かれたけれど、黒田如水が天下を取った可能性もあり✋

 

 では、時代が流れ、幕末となった折、徳川と長州藩が戦う事態になったら、上記の教訓を生かし、どうすべきか?

「徳川とは妥協しない」

「毛利輝元(世間知らずのお坊ちゃん)に二の舞いはNG~長州藩にとって妥協は敗北への道…」

上層部が優柔不断であれば、部下は暴走してでも目的を果たす…といったところでしょうか。

 幕末の長州藩の動きは、リメンバー関ケ原を教訓としたから~と言えなくもない気がしませんこと?

 

 もう一つの負け組、薩摩の島津藩。 

島津家にも リメンバー関ヶ原の儀式が今も存在するらしいです。

妙円寺(みょうえんじ)詣り、といい、青少年が甲冑を着て、薩摩各地から集まり、妙円寺に参詣する。しかも、あの関ケ原の日(正確にはその前日で、旧暦で9月14日)

実際の関ケ原の合戦では、千六百人が的中突破して、わずか80人が薩摩に帰国できた、あの戦いの日に…

ソフトバンクホークスの元選手で、鹿児島出身、すなわち薩摩隼人の川崎宗則選手が、ヒーローインタビューで、

「チェスト~!」

と叫んでいたっけ。

あのチェスト!は、「チェスト関ケ原」から来ているんですね。

関ヶ原の戦争に関係ない場合でも、薩摩人はこの掛け声を絶叫して奮躍事にあたる、そうです。(『史談と史論』海音寺潮五郎 著 講談社刊)

 

薩摩も負け、恨みも残ったが、長州に見られる指揮系統のいい加減さは薩摩にはなく、だからこそ、敵中突破も可能だった(井沢氏曰く)(128ページ)

薩摩藩ははじめ、徳川に味方する気でいたが、伏見城への入城を城将、鳥居元忠によって断られた。ようするに島津の根回し不足が招いたことで、徳川の陰謀というわけではなかった。九州の端っこに位置し、中央の情報収集に疎かったのは分かる。自分も九州だし…。

ここから得た教訓は、情報収集を徹底的にやり、決して不利な状況で参戦することがないよう念には念を入れる! 会津と手を組み長州藩を追い出そうとしたと思ったら、長州藩と手を組み幕府を倒す… 西郷どんも藩を超え、あらゆる人と会い、情報収集に努めておりましたねぇ 

 

何はともあれ、西軍 毛利輝元の大阪城退去によって、一応は家康が政権樹立の基礎を固めはしたものの、関ケ原の後も、豊臣は大名として生き残り、加藤清正ら、豊臣側に忠誠を誓う大名もまだ残っていた。。。(132ページ)

 

天下泰平への長い道のり∼を読み始めたところですが、私の抜粋はここまで~と致しましょう。

 

 

 

 

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チエちゃんと私 よしもとばなな

2021-11-14 18:49:16 | 読書

 

 ひょんなことから、チエちゃんと同居することになった私、主人公のカオリ。

チエちゃんが交通事故に遭ってしまい、電話連絡を受ける場面から始まる。

「とにかく自分がいなくなっても、チエちゃんが一人で生きていけるように…」

そう思っていた筈なのに、自分の方がチエちゃんに依存していたんだ!と 誰かを突然 失うかもしれないという局面で悟ることって実際あると思う。

いろいろあって、チエちゃんがオーストラリアへ旅立つ前の会話も印象深い。

 

「カオリちゃんも来たかったら、おいでよ。」

「万が一、チエちゃんがしょっちゅう行ったり、住んだりするようになったらね。遊びに行く。」

私は言った。

「そうだね。そしたら、いっしょにシドニーとか行ける。」

チエちゃんは言った。チエちゃんにとって、オーストラリアは地元なのだ。

チエちゃんも変わり続けているんだ、と私は思った。

 なんでもない毎日のように見える、でも少しずつ動き出している。兆しはそこここにあって、それがある日、花開くように、雨が降り出すように、突然現れる。それで私に何ができるかというと、何もできない。ただ見ているだけだ。命の問題とさほど変わりない。

 お茶を飲むって何だろう。いっしょにごはんを食べるってなんだろう。それは明日にはなくなってしまうささやかなことを積み重ねるということだ。(90ページ7行目から91ページ4行目まで抜粋)

 

 最も印象に残ったシーンかなぁ。ここ上記。

例によって、例の如く、そのシーンをまるまる抜粋しちゃった。

そのまま書き留めておきたくなる、ばなな作品には、昔からそんな魅力があります。

特にこのシーンは…自分もかつてオーストラリアで暮らし、誰かと一緒に🍵を飲み、ご飯を食べたからかな。

ほんと 何でもないようなことが実は特別だったこと。少しずつ人は変化していくこと。身をもって感じます。

そして~1つ前の記事の最後にも、ちらっと書きましたが、本気で人と関わってこそ、心は満たされる…だね。

 

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さざんかの宿

2021-11-14 15:52:25 | Electone & Piano

さざんかの宿

先ほど、ブロガーのmurasakiさんのブログを訪問したところ、思い出の曲として「さざんかの宿」について書いていらしゃったので、つい弾いてしまいました。 自分にとっては、デイサービスで利用者さんが歌う確率が高い曲で、ベストテンでも聴いていた懐かしい~曲です。今の時期にピッタリだな~と。(^_-)

 

先週、締切日より結構早く仕上げて提出したECCジュニアの課題ですが、昨日、次なる高校∼社会人対象コースの研修課題とTeachers book 抜粋版が自宅に届きました。

研修用のビデオ配信は、12月1日から~だった筈なので、まだ少し時間はありますが、なにせ高校生向けなので、内容もかなり難しい…筈…

前回は幼児向けだったので、指示語も What's this? とかStand up! とか、短文で良かったですけど…。その代り、英語の歌と踊り(振付)を覚えるなど、中高年で息切れする世代の講師には しんどい…

 

大きな変更事項として、これまでは高校3年間で5000語マスターだったのが、最初の1年で5000語に変更になること! すなわち、高校文法は3年分を最初の1年でマスターはこれまで通りですが、語彙力も準1級レベルに最初の一年で到達するカリキュラムになった点です。👀

 

この変更は来年度から~ 

L1& L2 (高校2,3年生)で更に語彙補強するわけですから、英検1級に必要な語彙数に近づくかなぁ…

ま、とにかく自分の弱点は語彙力なので、向こう3年間は教えながら自ら学ぶ、という姿勢で…

来年4月から~新規の高校生募集します

ただ、誰でも良いというわけではありません。

「英語は大好きで得意です 学校の枠を超えて学び続けたい」という方、是非~

少なくとも あと3年間は、ECCで頑張ります✋✋ 偏頭痛と頭の中で同居しながら…

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ミッキーマウスの憂鬱 松岡圭裕

2021-11-14 13:01:44 | 読書

ミッキーマウスの憂鬱 - ダダのミシン屋日記『ジャノメミシン米沢店です』 (goo.ne.jp)

すでに読み終えてから4日ほど経過しており、本も手元にはないのですが…

せしおさんが記事で紹介されており、「面白そうだな!」と思いました。

行きつけの図書館は所蔵しておらず、予約を入れました。

カウンターで受け取った時の印象は、「表紙が違うな~ あ、こちらは単行本だからか~ ミッキーの色だな~」

5冊、予約を入れた内、最後に手元に届いたのが、これでしたので、読む順番も最後に。

古典ばかり読んでいたため、「読みやすい! あっという間に読んでしまった!」

そして 「面白いっ!」

主人公が準社員(すなわち派遣社員)として採用試験を受けるシーンから始まるのですが…夢の国、Disneylandへの期待を胸に… 採用されたら自分が夢を与える側になるんだ~というワクワク感、高揚感。

ただ… Day 1 初日の期待が次第に現実を目にするにつれ、風船がしぼんでいくかのごとく…異様に長く感じる初日。

Day 2 ミッキーの着ぐるみ、もとい、勝負服一式が消えた…😨

ミッキーマウスの憂鬱 - ダダのミシン屋日記『ジャノメミシン米沢店です』 (goo.ne.jp)

この辺の事情なり、読むときのポイントは、せしおさんの解説がうまいので、そちらに是非、目を通して下さいませ。

主人公はメインキャラクター以外のキャラ、例えばパレードに出演するタコさんとか…の着付け係なのですが、過去のパート経験から 「お客様を誘導する際は、こうこうしたらいいですよ」みたいに、たまたま見かけた正社員に声を掛けたりするわけです。

最初は私も、「正社員から反感買うだけじゃ~ しーっ、しーっ!ここでは黙って!」とか思いながら読んでいたら、

出た~ 勘違い野郎」みたいな台詞が本の中に…😨

ここで、はたっと気付いたんですよねぇ。

 

 そう… 思い出したのは、遠いあの日…

 今から15年以上も前… 帰国して最初に勤めた とある街のとあるスーパーマーケット (ECCジュニアと同時に)

そういえば私も、「ミッキーマウスの憂鬱」の準社員と同じことをしてたな~ すなわちパートにも関わらず、相手が店長だろうが、副店長だろうが、疑問に思えばその場で質問し、違う、と思えば意見し、

「前例がないというなら、私が作ります!」

とまで言い…若かったからなぁ。日本の「しきたり」やら「空気を読む習慣」やらに染まっておらず、まだシドニー体験(注意:上司も部下も皆、平等。遠慮せず意見を述べよ!)を引きずっていたな。ただ、何故か、その話が他の社員に即効で伝わっており、

「ちょっと、あんた、なんで店長に言うんね!」と他の正社員(仮名;高田さん)から顰蹙を買い、「空気を読まない馬鹿パート」とはっきり言わないまでも、そう思われていたわ~💦

しかし、翌日には、店長は、その日の出勤従業員全員をバックに集め、

「昨日、鈴木さん(すず)に言われたから…」

と、改革案を発表。

それぞれ、お菓子担当、乾物担当、調味担当、と担当が分かれているのに加え、

例えば乾物担当の私は調味も補助的に担当することになり、

「家族の介護や休暇等で、ちょっと長期(一週間など)休みも取りやすい体制を作る」ということになり…

ちょっとした ”変革”でしたな。 あ、これは勤続年数3年目を迎えた頃で、自分にとっては二人目の店長の時でしたが。

ちなみに、最初のおさむちゃん店長の時には、妹のワープロでタイプしたダブルスペース10枚のお手紙を上層部宛てに書き… 店長がチェックする乾物の棚に入れておきました。

気付いて貰えるかすら、分からなかったのに、その日の帰りには消えており…ってことは、店長が気付いてピックアップしてくれたんだなぁ~と。

翌朝の開店前。

オープンに間に合うよう、てんやわんやで陳列をする時間帯であり、売り出し日であれば殺気立っているのですが、店長は終始にこやか。

「この見たことがないパンは、何処に並べたらいいんだろう…」と思った私が店長に聞くと、

「カト先生(パン担当)に聞いて下さい

「カ…っ、カト…先生???

たまたま通りかかったレジのスタッフが、

「店長~ 仕事をするのが楽しくて仕方ないって顔していますね!

何となく事情を察することが出来る自分は、思わず笑い出しそうになったのを必死に堪えましたっけ。

‥‥そうそう!

ミッキーマウスの憂鬱、最後の方のシーンと、あの日のシーンが重なりました。

「誰かさんのお陰で仕事が楽しくなった!」

自分の感謝の気持ちを伝えたかった長文レターについては、ここで初めて暴露しましたが…(すでに10年以上経過しておりますしね)

偶然にも、この後に読んだ よしもとばななさんの小説には、要約すれば、

真剣に人と関わることで、心が初めて満たされることについて、書かれてあり…

「とあるスーパー」は自分にとって、まさにそんな場所でした!

 

 

 

以上、自分なりの体験も含めた感想文、終わります✋

紹介して頂いた、せしおさんに感謝~

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