カール
一昨日の お・や・つ!
皆さん、こんばんは 狸じいで有名なワシ、徳川家康です。
昨年末、放送終了したNHK大河ドラマ『晴天を衝け』 皆さん、観てくれたかな?
番組冒頭で登場していたワシの評判上々で、ワシにとっても当たり年であったわい
本日より、すず殿の依頼を受けて、このワシが再び冒頭に登場することと相成った
東アジアの近代史を語る上で、必ず克服すべき課題・・・それは儒教…特に朱子学であった。
朱子学はイスラム教とある1点で共通しておる。 それは男尊女卑であり、男女が机を並べて学ぶなど、あってはならないことだ。
もう一点、大事なことは、儒教は親孝行、すなわち孝である親には逆らえないが、朱子学は 主君に逆らえない。主君に意見するなど以ての外。絶対服従であった。
徳川政権が安泰であるために、ワシが 「武士に浸透させるべき学問」として朱子学を取り入れたのは、徳川家の歴代主君に絶対、逆らわない、すなわち服従させるためだった。
これは、ワシの思惑通り、徳川260年の歴史が続いたことからもお分かりいただける通り、上手くいった。
そう… 海に囲まれた日本は自国の平和を享受できた。
蒸気船や戦艦が西洋列強で開発され、日本の独立を脅かす存在となるまでは…
朱子学は 1⃣主君に絶対服従
朱子学は 2⃣男尊女卑
1800年代の清国にとって朱子学は
3⃣中華思想;
中華(1800年代・清国)=親
朝鮮国=兄
日本=弟 とみなし、西洋列強の文化は受け入れられず野蛮とみなす
すなわち朝鮮国は清国の属国であり、清国は朝鮮国を独立国と認めていない。
ところが…じゃ、日本がいち早く維新に目覚め、福沢諭吉を頼り、日本に学んで維新を成し遂げようとした朝鮮国の若者達が売国奴として殺害される不幸な事件があったのじゃ。(クーデターについては、参照のこと)
福沢諭吉先生は東アジアが手を取り合い西洋列強に立ち向かうという立場から一転! 朝鮮国と清国に絶望した福沢諭吉先生は、「脱・亜論」を発表。早い話、見切りをつけたのだ。
以後、清国と朝鮮国が自力で目覚めるのは無理だ。武力でもって開国させる必要があるという認識が日本人の間に広がっていった。上海の地を踏み、現状を見た高杉健作も攘夷から開国派に180度考えが変わった。 上海で2丁の小型銃を購入した高杉晋作は、その内の1つを坂本龍馬に渡している。 以後、二人は志を同じくする ”日本人”として行動した。
日本は日清戦争に勝利。これをきっかけに、清国は列強の食い物にされた。租借という形で分断されていったのだ。落ちるところまで落ちた清国。 日本と清国との間で結ばれた条約により、清国は 「朝鮮国は清国の属国ではもやはない。日本と清国は対等」という、聖徳太子以来の悲願であった事柄を初めて認めた。
ここで、いったん、この時代の大事なポイントを以下にまとめてみよう~👍
日清戦争とは、亜細亜にとって何であったのか❓ それは、高杉晋作が吼えた通り、
「朱子学では戦(いくさ)は出来ぬ!」
すなわち、「脱・朱子学」= 「脱・攘夷」 → 「開国派・ご維新を成し遂げ、列強から学び、独立国家体制を守る」
伊藤博文にとっては、「不平等条約改正」が悲願となった。
最初は清国との開戦に乗り気でなかった伊藤が、最終的に 陸奥に同意する形で開戦に踏み切ったのは…
一度、まとまりかけた「不平等条約改正」が英国のタイムズ等にすっぱ抜かれ、本国日本にも伝わり、
「一時的な処置として日本の司法に外国人を登用する(いつ、サムライの国に戻るか信用できない。大久保が江藤新平に斬首の刑を執行したことを英国人は知っていた)」 これを受け入れる条件で、他の不平等を改正出来る手筈だったが、政府のすることには何でも反対派の野党に議会でつぶされた
実際、三権分立が機能し始めたのは良いが、明治政府樹立時とは違い、何度も解散総選挙を繰り返し、伊藤も政治をやりづらくなっていたことは確かなようだ。(戦後もながーく続くこととなる、何でも反対野党は日本の伝統か…)
清国は目覚めない。目覚めるどころか義和団事件勃発 清国は、列強+日本に宣戦布告! 公使館内で 55日に渡る籠城戦となった。(援軍が来るまで。日本が活躍し勝利)
日清戦争で日本が勝利 → 日英同盟締結 → 不平等条約解消
日本人は柔軟な考え方、見方が出来る。朱子学はワシ、家康が持ち込んだものの、田畑を耕す民も武士も天皇家も コチコチの朱子学信者ではない。この辺が清国や朝鮮国とは違っていた。これらの国では、朱子学の影響で、民は君主に逆らえない。 骨の髄の髄まで朱子学で凝り固まっている。
一方、日本には頭の柔らかい志士がいた。明治天皇も伊藤達の理解者であり、海軍に懐から出資している。私利私欲のため、国家予算の6倍の公金を踊り狂うパーティーだか何だか知らんが、そのようなものにつぎ込んだ清国の女帝と明治天皇はあまりにも違っていたのだ。
以上のような歴史の流れの中、、、
亡国の危機にさらされていた朝鮮国の行く末は いかに❓
まずは、時代が遡るが長州(日本)の場合…
高杉晋作に任務を託された伊藤は、帰国早々、イギリスとの和睦交渉に臨んだ。
ところが、である。
「お命、狙われています。お逃げ下さい!」
イギリス戦艦にこてんぱんにやられれば目が覚めるだろう、と高杉晋作は読んでいたが、まだ分からぬ石頭が長州には大勢いた。
伊藤達は逃げた。 彼らには同志がいる。
「朱子学では戦えぬ!」と言った高杉晋作を筆頭に長州ファイブ、龍馬も勝海舟もいる。
死んでしまっては維新も成し遂げられない。ここは逃げるが勝ち。
その後、どのように維新が成し遂げられたかについては、以前、書いた為、ここでは割愛。
ところ変わって朝鮮国。
「どうか、お逃げ下さい!」
大臣が言った。
しかし、金弘集は逃げようとしない。
彼の目指すところは正しい。 このまま自国を西洋化しなければ、欧米列強の餌食になるだけだ。亡国だ。 日本を見よ! 朱子学から脱却し、維新を成し遂げたではないか。
何より、朝鮮国の建国以来、あがめてきた清国はアヘン戦争で惨敗。 これを見た日本は目覚めた。朝鮮国も今こそ目覚める時なのだ。
しかし、国王も家臣も民衆も 自分の努力を認めない。
認めないどころか、「悪人」として自分や家族を殺そうとしている。
「ここは包囲されます! 裏道からお逃げ下さい!」
彼を補佐した大臣の内、数人は脱出し、日本に亡命した。 ここは逃げることが正しい。捕えられれば、クーデターに失敗した金玉均のように、射殺され家族も殺され罪人となってしまう。
しかし、彼は逃げなかった。殺されることは分かっていたが、自分の命をかけて
「朝鮮人民を覚醒させる」気でいたのかもしれない。
彼の最期は 予想通りとなった。
金玉均と同じように、義兵たちに囲まれ、殴り殺され、市内をひきずり回されボロボロだった。
家族も皆、当然のように殺された。最も愛国心を持っていた彼が 売国奴という汚名を着せられて…
その一方で、 彼を殺すよう命令を下し、国家予算を使い込み、近代化を徹底的に妨害した閔妃(びんひ)を礼賛するミュージカルが現在の韓国でも作られている。
金弘集にとって最も不幸なことは、今も「親日派の売国奴」と認識されていることだ。
(「逆説の日本史 24巻」からまとめ)
閔妃は日本人によって殺害された。朱子学ではどんな悪名高き君主でも絶対君主だ。だから日本人としては、悪を抹殺したのだという気でいたのかもしれないが、 これは例えるならバリバリの朱子学信者である薩摩の島津久光を 島流しにされた西郷に代わってイギリス人が殺してしんぜよう~というのと同じこと、と井沢氏。分かりやすい例え👍 朝鮮国の人は当然反感を持つだろう。朝鮮国にとって、最大の悪が取り除かれたことで、独立への道筋は出来たのだが…
李完用は科挙に合格した官僚で、最初は反日派であり、親日政権を潰すため 高宋がロシア公邸に逃げ込み、次の段階として王宮に戻り、朝鮮国の独立を宣言できるようお膳立てした。
ここに、大韓帝国が誕生。略称「韓国」だ。その記念に建てられたのが、「独立門」だった。
中国に帰属する国家としての朝鮮国。 その屈辱の門が「迎恩門」だった。中華皇帝を迎える門ということだ。
それを取り壊し、向かい側に立てたのが「独立門」と言うわけだ。
しかし、現在、あの門が建てられたのは、「長年の中国(当時は清国)からの独立を記念して」という歴史的事実を知っている韓国人は殆ど見当たらないらしい。
韓国の歴史では、「韓国は建国以来、ずっと独立国家だったが、日本に韓国併合という形で独立を奪われた」と習うのだとか。そうであれば、独立門は 「日本からの独立」でしょ? となる訳だ… とほほ💦
参考文献:「逆説の日本史 21巻 高杉晋作と維新回天の謎」 「同じく24巻 帝国憲法と日清開戦の謎」
(今年、30、31冊目)