今度こそ25巻のまとめを書きます👍時系列で~
前にも書いたが、義和団事件をきっかけに、日英が協力するようになった。イギリスにとってのボーア戦争(アフリカ)は、米国にとってのベトナム戦争のようなゲリラ戦となり、世界一の軍事力を誇った英国だが、義和団事件勃発の際、日本に派遣軍を増強するよう、イギリスが依頼。日本軍が中心となって指揮を執り、鎮圧した。
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英国が初めて同盟国として選んだのが、日本だった。当時は世界一の軍事力、経済力を誇った英国は、どの国とも同盟関係を結んでいなかった。その英国に「日本は同盟するに値する国」と認められたと、日本国民、歓喜🤩
ボーア戦争で苦戦を強いられていた英国としても、亜細亜で勢力拡大するロシアをけん制するには、日英同盟は価値があったということだ。
英国を味方にしたことで、米国との関係も当時は良好。「これでロシア帝国との戦争は避けられる」、と国民の多くは安堵した。
20世紀☆彡
義和団事件をきっかけにロシアが『アムール川の流血』(江東六十四屯中国人住民虐殺事件)を起こす。住民虐殺で川へ死体を投げ込み、血の色に染まった。私の祖父母世代であれば、アムール川の流血~🎵と歌っていた。この事件は当時の日本国民にかなり浸透していたらしい。私は今回、初めて知ったが…
ロシアが清国領の満州に大量派兵。事実上、満州を占領下に置く。
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このままでは、ロシア帝国は朝鮮半島へと南下。次は日本が餌食になる。日本国民の不安が高まる。
この頃、大英帝国はボーア戦争(アフリカ)中で、亜細亜から離れていた。それまでは英国を筆頭に列強が清国を食い物にしていたが、英国がアジアに目を向けていたことで、ある程度のパワーバランスが保たれていた。
更にロシアはヨーロッパからユーラシア大陸を横断したシベリア鉄道を建設中。
これが完成すれば、日本に勝ち目はない。中国大陸におけるロシアの力が突出し、日本人の不安、さらに高まる。
1902年4月29日、大正天皇に待望の男子誕生。昭和天皇生まれる。国民歓喜🤩
【ロシア開戦に至るまで】
ロシアが清国と結んだ『満州還付条約』は3段階に分けて、ロシア軍を清国から撤退させる、と言う内容だった。日本は清国からもお礼を述べられたという。清国にとっても良い内容だった。ロシア軍撤退の方針を打ち出したのだから。
1段階目は、遂行された。
しかし、ロシアの内情に変化が起こった。それまで力を持っていたウィッテなど、穏健派が相次いで失脚。権力の座から姿を消し、強硬派が影響力を持つようになっていた。 当時のロシア皇帝は、皇太子時代に日本へ立ち寄り、警官に斬りつけられている。この津田事件をきっかけに、ロシア皇帝は親日派から 黄禍論(アジア人は災いをもたらす、当初は清国人、のちに日本人)を唱えたドイツの影響もあり、対日本開戦へ動いていく。
一方、日本でも 日露開戦、やむなし、という空気が流れだしていた…。
ここまで ざっと まとめ、でした。