この本が発売されたのは、2021年7月8日です‼ 現在、自分の手元には26巻もあるのですが、こちらは昨年8月に発売。とうとう追いついた… 日本史通史… 26巻では、日露戦争について書かれているようです、まだ読んではいませんが… 哀しくも現在、プーチンによるウクライナ侵攻が… 歴史を学ぶのは、過去を教訓とし、現在に生かす為だと思うのですが、『坂の上の雲』の印象が強い日露戦争。逆説を読み終えた時点で、どのような感想を抱くことになるのか…。
前置きはこのくらいにして、今回は昨日、読み終えたばかりの25巻について、まとめを書いておきます。本当はその前の24巻についても、まだまだ書きたいことが山ほどあったのです。 日韓併合、台湾統治、 どちらかといえば、韓国の方に投資した日本。 親日国家、台湾と 反日教育が凄まじい韓国の差は何処にあるのか。今から20年前にオーストラリアで小林氏の『台湾論』を友達から借りて読み、この本がきっかけで、それまで台湾人、韓国人と接する中で抱いていた多くの疑問が一気に解け、驚いた私は帰国後、井沢さんの著作も含め、李登輝さんや西尾幹二氏、渡部昇一氏、(いずれもすでに他界されました…当時はまだお元気でしたが)近代史についての著書を読み漁りました。
バリバリの反日教育を受けた後、シドニーへ留学。そこで歴史を専攻する中で、「自分が韓国で学んだ歴史は違うのではないか?」という疑問を抱くところから始まり、その後、「親日派のための弁明」を書かれた韓国人著者。(お名前は忘れましたが) 自分のホームステイ先にいた韓国人留学生も、大学院では歴史を専攻。日本語の著書の英語訳を頼まれ、漢字を見せれば 「あぁ、分かった!」とまだ言ってもらえる世代(ギリギリ…若い世代はハングル文字しか分からない人が増えているらしい)だったため、こちらとしては助かったのですが。 彼も「目が覚めた」稀な韓国人の一人でしたが。その後、その韓国人留学生に 23歳で知り合って、7年も経過してから プロポーズされるというびっくりぽんもありましたが、「永遠に友人・知り合い以上の感情は芽生えない」と伝えると、韓国人女性と結婚しました。あ~良かった。
ですから、いくら反日教育を受けようが、一方的に吹き込まれようが、自ら 「学びたい」という気持ちさえあれば、 英国から学ぼうとし、朱子学から脱却出来た高杉晋作や伊藤博文たちのように、韓国人も反日から親日、そこまでいかずとも 柔軟な姿勢で何事にも対応できるものだと… 主に留学時代の実体験と、帰国後の『近代史読み漁り~読書体験』によって、確信しました。
小林よしのり著『台湾論』 友達に借りて読んだものの、また読みたくて、帰国後に買いました。今も本棚にあります。実際に台湾を2度、訪問していますが、(1回目は独りで自由旅行。2回目は父とツアーに参加)小林氏と似たような体験をしました。李登輝さんには会えなかったけれど(当たり前!)詳しくはカテゴリーの台湾をご覧下さいまし。
その上で、井沢さんの「逆説 24巻 後半~」を読めば、何故、”日本語教育”は 大韓国では失敗し、台湾では成功したのか? これまでの列強による植民地支配と日本は何処が違ったのか? よく理解できると思います。
日本が行った政策は、(英語ならPolicy) オーストラリアが最初に行った白豪主義(White Australia Policy)ではなく、(アボリジニと白人を結婚させ、血を薄めるといったような信じられない政策だったんですが。これは一部) 白豪主義に失敗したオーストラリアが次に行った 同化政策 (Assimilation) 要するに全国民は英語を学び、自分たち白人のようになれ!というもの。その後は、マルチカルチャリズム(Multiculturalism)~ 今現在の お互いの言葉、文化や違いを認めあう共生社会、ですね。20代後半で学んだこれらのこと~ 帰国早々、実感したのは 「日本の社会福祉はオーストラリアに比べて20年遅れている」
ただ、維新を成し遂げた明治の頃の日本は、豪州よりずっと早く 同化政策を行っている… 少なくとも、大英帝国がインドで行ったような一方的な搾取ではない。インドで現地人にアヘンを作らせ、清国にそれらを売りつけ、「いらない」と燃やせば、一方的に清国に対して喧嘩を吹っ掛けるヤクザのような政策ではなく…
当時の世界の常識からしても、実際に西洋列強を見回せば、大日本帝国が行った政策は、英国やロシア、フランス等と比較しても、ずっと良心的な意図を持って行われた政策だった… と、あくまで私個人の感覚では思うのです。当時の日本が行ったことは正しいと言っているのではありませんので、誤解の無いように…🥺
少なくとも20代の頃の自分は、強く、そう感じました。世界各国が行った移民政策の歴史、特に豪州については自分の専門分野だったから。10代の頃は、「戦前の日本は全て悪」と毎日、読んでいた朝日新聞を通して思っていましたし…。
勿論、”現代の常識”で 当時の日本がとった政策を見れば、「日本語を学び、読み書きし、日常会話も日本語で!」とは、けしからん! となります。 ただ、当時、インドでは現地の人にアヘンを作らせ、それを清国に売りつけるようなことを行っていたのが大英帝国だった。現地人を教育するなど、全く❣英国人指導者の頭にはなかった。現地人は奴隷で労働者でしかなかった。帝国主義の世界だった。それが当時の世界の常識だった。 と、当時の人の👀になって歴史を感じたら、どうでしょう。日本は台湾に、大韓国にまず小学校を作っている。教育しようということは対等に考えていた、ということではないでしょうか。少なくとも英国人が現地の人を見る目よりは…
何故、大韓国では失敗し、今も憎まれているのか。 一方で台湾へ行くと、何処へ行っても日本人だと分かると、日本語で話しかけられるのか? ここまで25巻。 読んできた自分には 「朱子学」が浸透していた朝鮮国(清国から独立した後は大韓国) そうではなかった台湾。 ここが大きな違いだと 読む前から答えが予想でき、読み終えて納得でした。
書かないつもりが、結構、書いたな…。 ここまで25巻ではなく、24巻の感想となってしまいました。続きは又、明日にでも…。
貸し出し中で、後から読んだ21巻。
『晴天を衝け』を思い出します。逃げた慶喜は、幕府側についたフランスと薩長についたイギリスによって、日本が独立国家を維持できなくなるのを防ぐため… 林真理子さんの著書、『正妻』でも、そのように描かれていたし、自分もそう思っていましたが、井沢さん説では、「それだけではない」ようです。
自分の代で徳川政権が無くなるのは構わないとしても、逆賊扱いになるのは先祖、徳川家康に申し訳ない、その汚名を晴らすまでは死ねない。よって切腹はしなかった、というもの。 成程、それも大きいだろうと思った私。水戸出身の慶喜は、本来、幕府と天皇が対立するようなことになれば、水戸藩は天皇に味方する、という家康の密命があった、という説を展開していた井沢氏。 それが幕府の征夷大将軍になった慶喜。 にっちもさっちもいかない状況… 悩んだでしょうね。 いずれにせよ、勝海舟の働きかけによって、彼は名誉回復し、明治天皇とも面会。
「なぜ、慶喜は逃げたのか?」
最も納得できる論説でした。 是非、御一読あれ!
(今年32冊目)