日々のあれこれ

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逆説の日本史 26巻 日露戦争と日比谷焼打の謎 井沢元彦

2022-03-28 01:07:30 | 読書

 

このシリーズ最新刊です。しかも日露戦争を扱っている。非常に書きにくい気もしますが、要点だけ書いてみます。

(夜も遅い時間帯ですし… コロナワクチン3回目接種の副反応で、すぐに書けなかった…(´;ω;`)ウッ…)

 前回、司馬遼太郎の「坂の上の雲」の印象が強い、と書きましたが、井沢さんが「坂の上の雲」に書かれたことの中で、史実と違っていると指摘している点を述べると… 

 まず、1つ目。

 「バルチック艦隊はT字戦法で勝った」ということ。私も昭和史や日本の一番長い日などを読んだことがある、半藤一利氏や戸高一成氏による新説は、「海軍は隠しておきたい軍事機密があった」ということ。詳しくは著書を読んで頂けば良いのですが、新兵器の名は「連繫機雷(れんけいきらい)」 最初、これを入力すると、漢字変換が「連携嫌い」となったから、笑える! まぁ、それはさておき、これは「海の地雷」で、浮遊している機雷に接触すれば、戦艦級の船でも一瞬で爆沈するという。ロシア海軍のマカロフ中将も、これでやられた。これは艦隊を沈没させる切り札になると首脳陣は考えた。しかし、作りはシンプルだから、情報が洩れれば困る。そこで「機密」とし、海軍戦記にも書かれなかったし、「なかったこと」とする必要があった。そこで、日本人に分かりやすい「T字戦法で勝った」という神話が作られ、秋山自身もこれに加担したらしい。(153ページまとめ)

 司馬遼太郎が『坂の上の雲』を書いた時点では、資料はまだ公表されておらず、司馬も小説の中でT次戦で勝利、と書いたという訳。

 

 次に、2つ目。

 乃木大将は無能な軍人か?!

「無能な」乃木に対して「有能な」海軍軍人たち~ 山本権兵衛、東郷平八郎、秋山真之。

確かに、司馬遼太郎は、秋山らと対比させるような形で、無能な乃木、として描いていた気がする。しかし、ステッセルのピアノ 五木寛之

を過去に読んだ私は、「乃木が無能な訳がない、引き際を分かっている、ここまで戦ったら、すばやく講和を結ぶ」ことが出来る男だった筈。ステッセルと信頼関係で結ばれていたではないか…勿論、小説だから、どこまで真実か分からないものの、昭和初期の陸軍のように、最後の一兵になるまで戦えという精神論者じゃない、と即答してしまった… 読みながら、心の中で…ですが。

何故、司馬遼太郎が 乃木大将については、冷静でいられなくなり、井沢さんに言わせれば、「誤った人物評価をしたのか?」については、「もう少し早く生まれていれば、こんなオンボロ戦車に乗せられて、戦場へ送られるところだったのか!という実体験があったからだろう」と、何処かに書かれていましたが、ページ数が?です。スミマセン。実際にお読みいただければありがたいです。勿論、これだけではありませんよー 井沢説、是非、お読み下さい~🥺

 

 日露戦争を戦った頃の指導者と、ノモンハン事件、日中戦争、第二次世界大戦へと導いた昭和の指導者(主に陸軍ですが)の大きな違い。 すでに乃木大将のところで上記に書きましたが、「引き際を分かっている」か、或いはそうでないか。泥沼化するまでやるバカか?(今のプーチン❣)ということだと個人的には思いますが、皆さんは、どう思われるのでしょう。

 司馬遼太郎の見解と井沢さんのそれが合う箇所を書いておきます。

陸軍参謀本部をバカトップの集まりに変えた主犯; 寺内正毅。司馬は乃木と並んで、この男を憎悪の対象とした。小説の「あとがき」で、この男について書いているらしい。いつか、実際に読んでみようと思っていますが。

 

 3つ目は…。

バルチック艦隊、実は戦う前からボロボロだった!

日英同盟を結んでいた英国は、バルチック艦隊の寄港をことごとく邪魔した。陸に上がれない、入浴も思うようにできない、(船内で水は貴重)、ぎゅうぎゅう詰めの船内に閉じ込められたままの下々の兵士たちは、相当なストレスが溜まっていたようで、バルチック艦隊内で、暴動も起きたらしい。 バルチック艦隊自体も、船体に牡蠣などがくっつき、スピードも出せず、ゆっくり進んでいた。あまりに遅いので、日本側も、九州ルートではなく、別ルートで旅順を目指しているのではないか? 日本の戦艦も北海道へ移動させた方が良いのでは?という意見も出たらしい。結局は、そうしなかった。東郷平八郎、ついてる男❣ 今風にいうならラッキーボーイ。

 とにかくバルチック艦隊は、少しでも早く陸地に上がりたい、戦う気は殆どなかったようだが、ここで『三笠』はお腹を見せた。 いわゆる『東郷ターン』 艦隊が横向きになれば、狙う範囲は広くなる。 人間であれば、後ろ向きになり、お尻ぺんぺん!ってところか…? いわゆる「挑発」ですよね。 これでバルチック艦隊も 旅順を目指す、から一転、いわゆる挑発に乗る形となった。

 『東郷ターン』が終了し、双方が並航戦の打ち合いとなった頃、バルチック艦隊の大半の艦に砲弾が命中し、大火災を引き起こすことに成功した(184ページ4行目から引用) ロジェストヴェンスキーは安全な筈の司令塔内部にいたのに、頭部に重傷を負った。第二の指導者は直前に病死しており、しかも、事実は公表されず、第三順位の指導者も知らなかった! (14行目から引用) 指導者を失えば、総崩れは当たり前な気が… まさに、驚きの新事実ですね。

 

 こうして日本の大勝利で終わった日露戦争。当時の世界は、これをどう見たか?

ポーランド、トルコ、アルゼンチンまで狂喜した 日本艦隊「完全勝利」

日本はロシアバルチック艦隊を撃滅した。病院船などを除く、戦闘艦隊29隻のうち、15隻が撃沈され、5隻は鹵獲。結局、目的地のウラジオストクに辿りつけたのは3隻。この中に戦艦はなかった。一方、日本小舟3隻を失っただけ。ほぼ無傷だった。 この第一報を受けた英国は、「あり得ない」「日本は損失を隠している」と信じた。 だが、徐々に事実だと分かると、それは賞賛に変わった。帝国主義の時代になって、それまで虐げられてきた有色人種が、初めて白人に勝利した。黄禍論者はますます警戒心を強めた一方、欧米圏でも公平な論者は、「新しい時代の始まりだ」と評価した。朗報と受け止めたのは、それまで列強に苦しめられてきたヨーロッパの弱小国家やアジア。この5年後に清朝を辛亥革命で打倒し、中華民国を建国することになる革命家、孫文は、当時、スエズ地方を旅行中だったが、日本人と間違えられ、大いに歓迎されたと記録を残している。 

また、イギリスからインドを独立させるジャワハルラール・ネルーはまだ少年だったが、日本の大勝利に欣喜雀躍(きんきじゃくやく)し、新聞を読むのが楽しみで仕方がなかったと述懐している。

ロシアと対立していたポーランドやトルコは、益々、親日国となり、ロシアに圧迫されていたフィンランドでは、東郷平八郎にちなんで、「トーゴ―ビール」が造られたほどだった。 (ここまで164~166ページまとめ)

 

 有能な外交官、小村寿太郎。ご存知の通り、ロシアとの講和に臨んだ宮崎出身の外交官。ほぼ、完璧に日本側に有利な形で講和をまとめた。(絶対に譲れない条件はすべてクリア。場合によっては譲っても良い条件も) 

 日清戦争で、賠償金を取れ、土地の一部も奪ったことで、「これが戦勝国となれば、当たり前」と思い込んだ、いや、世界の常識を分かっていながら、新聞を売るために 国民を騙し、煽り立てた当時のマスコミ(新聞)。 徳富蘇峰の国民新聞だけが、「講和は大成功。皆で祝おう」と、事実を伝えたが、誰もがご存知の通り、日比谷と共に国民新聞本社も、暴徒化した市民らによって焼打された。 これを大正デモクラシーの始まり、と見るのが主だった歴史家の見解のようだが、井沢さんと、司馬遼太郎は共に、日比谷焼打こそが、

 感情に訴え、精神論で戦う、論理も何もあったもんじゃない、帝国陸軍の暴走へと結びついた、と見る。自分もそう思う。 ここでペンを置きます。深夜1時を回りましたので…結局、短く簡単には終われなかった…。😨

 

 (今年、38冊目)

 

Comments (10)
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