むたゆうじさんの本を母に朗読してもらいながら、母と二人、「心が豊かだよねぇ・・・」と しばらく話をした箇所がある。
「大好きなお兄ちゃんの おさがり」
という箇所だ。(お姉さんしかいない筈だけど、母は「お兄ちゃん」と読んでいたので、近所のお兄ちゃんなのかしら?)
私も母も長女。
着るものも、与えられる文房具類も何もかも、「最初の子」という特権で、どれも「新品」だった。
でも子供の頃の私は、そのこと自体、特別有難がるでもなく、むしろ 日曜日の午後に おばあちゃんと母の二人にデパートへ連れて行かれ、
「これを着てみなさい。 はい、次はこれ!」
と、着せ替え人形のようにされるのが、苦痛だった。
「もう、疲れた」
といい、しゃがみ込んでしまうこともあったくらいだ。
「洋服を買うよ」
と言われれば、いつも 「いらない」 と答えていた。
中学、高校は基本的に外出時は「制服」と決められていたので、一部のクラスメートは「オシャレ目的で私服」で出かけていたが、私はただ、面倒なだけ。
制服があるのは有難い~としか思っていなかった。
バブルに学生時代を送ったが、海外からきている研修生や留学生はシンプルで、ジーンズにTシャツ。 私も それがいいとしか思っていなくて。
こんな調子だから 「おさがり」がメインの「妹達の気持ち」って言われても、分からない…というのが母も私も共通した認識で。
「でも、昔は「おさがり」が何処の家庭も普通だったし、子だくさん貧乏だったから」とは祖母の話。
そうだよね。私も母に毛糸で編んでもらったオレンジ色の「チョッキ」を甥っ子に着せて、喜んでいた。
「これね、お姉ちゃんが3歳のときに着ていたの」、といい、当時のアルバムを見せる。
「それから、ゆうちゃんのママの、私の妹がきて、それから ゆうちゃんのチョッキになったんだよ」って。
甥っ子は「ネズミくんのチョッキ」という絵本が大のお気に入り。(ネズミくんが いろんな動物にチョッキを貸してあげる内に、最後はゾウさんが着て、のび~てしまった!という話」
当然 チョッキも「お気に入り」だった。
このチョッキ、母の手編みだから特にいい。
願わくば、甥っ子の『子供』にも着てもらおうかな・・・なんて考えている。(むしが食わないようにしまってあります)
私の母は4姉妹。 「おさがりが嫌だった」という妹に 「それは・・・悪かったね。辛い想いをさせたね・・・」 と思ったという。
あの時代は 「必死だった」から。
幸い、私の妹には 一度も「おさがりの服が嫌だった」と言われたことがない。
むしろ、「おねえちゃんは綺麗に汚さないように着ていたのに、 あんたが着たら、一日で泥だらけやないのっ!」と母に説教されることがプレッシャーだったかも・・・ね。(まぁ、あまり気にせず泥んこになって遊んでいたみたいだったけど)
その内、母も、デパートで購入する可愛い服よりも、妹にはジャブジャブ洗える綿100%の服を買い与えるようになっていた。
社会人になると、私は周囲の目も気にせず、「若い人はいいね。職場では制服があるから、通勤途中はジーパン&Tシャツっていうスタイルも♪ 私もそうしようか・・・なぁ」といわれ、(20代の頃)
妹は、通勤で着る私服で「オシャレ」を楽しんでいた。まぁ、職場に「気になるダーリン」がいたから、ということもあるだろうけどね。
大人になれば、自分の意志で、自分の責任の中で、やりたいことをすればいいわけで。
長女、次女、末っ子、、、と親はそれぞれ必死に子育てしているものの、「不平等」だと言われれば、そういうこともあるの「かも」しれない。
でも。それでも・・・いつも新品を買い与えられた長女の私だから、「自分のおさがりを甥っ子に着せて幸せ気分になれたのよ」と思われたとしても、子供時代のむたゆうじさんの様に、「大好きなお兄ちゃんのおさがり!」を着れて、嬉しい~♪♪ と自然に思う、そんな豊かな心を育てたい・・・と思わない?
兄弟姉妹が平等に物を与えられるよりも、もっと大事なものがあるような気がする。
物を大切にする心。 大好きな人から譲り受けたものを更に大切にする、そんな豊かな心。
昨夜は むたゆうじさんの本から 「おさがり論」にまで発展した私と母の会話でした・・・。