日々のあれこれ

現在は仕事に関わること以外の日々の「あれこれ」を綴っております♪
ここ数年は 主に楽器演奏🎹🎻🎸と読書📚

大好きなお兄ちゃんの「おさがり」

2011-02-16 12:36:36 | Weblog

 むたゆうじさんの本を母に朗読してもらいながら、母と二人、「心が豊かだよねぇ・・・」と しばらく話をした箇所がある。

 「大好きなお兄ちゃんの おさがり」

という箇所だ。(お姉さんしかいない筈だけど、母は「お兄ちゃん」と読んでいたので、近所のお兄ちゃんなのかしら?)

私も母も長女。

着るものも、与えられる文房具類も何もかも、「最初の子」という特権で、どれも「新品」だった。

でも子供の頃の私は、そのこと自体、特別有難がるでもなく、むしろ 日曜日の午後に おばあちゃんと母の二人にデパートへ連れて行かれ、

「これを着てみなさい。 はい、次はこれ!」

と、着せ替え人形のようにされるのが、苦痛だった。

「もう、疲れた」

といい、しゃがみ込んでしまうこともあったくらいだ。

「洋服を買うよ」

と言われれば、いつも 「いらない」 と答えていた。

中学、高校は基本的に外出時は「制服」と決められていたので、一部のクラスメートは「オシャレ目的で私服」で出かけていたが、私はただ、面倒なだけ。

制服があるのは有難い~としか思っていなかった。

バブルに学生時代を送ったが、海外からきている研修生や留学生はシンプルで、ジーンズにTシャツ。 私も それがいいとしか思っていなくて。

こんな調子だから 「おさがり」がメインの「妹達の気持ち」って言われても、分からない…というのが母も私も共通した認識で。

「でも、昔は「おさがり」が何処の家庭も普通だったし、子だくさん貧乏だったから」とは祖母の話。

そうだよね。私も母に毛糸で編んでもらったオレンジ色の「チョッキ」を甥っ子に着せて、喜んでいた。

「これね、お姉ちゃんが3歳のときに着ていたの」、といい、当時のアルバムを見せる。

「それから、ゆうちゃんのママの、私の妹がきて、それから ゆうちゃんのチョッキになったんだよ」って。

甥っ子は「ネズミくんのチョッキ」という絵本が大のお気に入り。(ネズミくんが いろんな動物にチョッキを貸してあげる内に、最後はゾウさんが着て、のび~てしまった!という話」

当然 チョッキも「お気に入り」だった。

このチョッキ、母の手編みだから特にいい。

願わくば、甥っ子の『子供』にも着てもらおうかな・・・なんて考えている。(むしが食わないようにしまってあります)

私の母は4姉妹。 「おさがりが嫌だった」という妹に 「それは・・・悪かったね。辛い想いをさせたね・・・」 と思ったという。

あの時代は 「必死だった」から。

幸い、私の妹には 一度も「おさがりの服が嫌だった」と言われたことがない。

むしろ、「おねえちゃんは綺麗に汚さないように着ていたのに、 あんたが着たら、一日で泥だらけやないのっ!」と母に説教されることがプレッシャーだったかも・・・ね。(まぁ、あまり気にせず泥んこになって遊んでいたみたいだったけど)

その内、母も、デパートで購入する可愛い服よりも、妹にはジャブジャブ洗える綿100%の服を買い与えるようになっていた。

社会人になると、私は周囲の目も気にせず、「若い人はいいね。職場では制服があるから、通勤途中はジーパン&Tシャツっていうスタイルも♪ 私もそうしようか・・・なぁ」といわれ、(20代の頃)

妹は、通勤で着る私服で「オシャレ」を楽しんでいた。まぁ、職場に「気になるダーリン」がいたから、ということもあるだろうけどね。

大人になれば、自分の意志で、自分の責任の中で、やりたいことをすればいいわけで。

長女、次女、末っ子、、、と親はそれぞれ必死に子育てしているものの、「不平等」だと言われれば、そういうこともあるの「かも」しれない。

でも。それでも・・・いつも新品を買い与えられた長女の私だから、「自分のおさがりを甥っ子に着せて幸せ気分になれたのよ」と思われたとしても、子供時代のむたゆうじさんの様に、「大好きなお兄ちゃんのおさがり!」を着れて、嬉しい~♪♪ と自然に思う、そんな豊かな心を育てたい・・・と思わない? 

兄弟姉妹が平等に物を与えられるよりも、もっと大事なものがあるような気がする。

物を大切にする心。 大好きな人から譲り受けたものを更に大切にする、そんな豊かな心。

昨夜は むたゆうじさんの本から 「おさがり論」にまで発展した私と母の会話でした・・・。

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バレンタイン&誕生日の贈り物♪

2011-02-15 01:26:46 | Weblog

 年末年始も雪が降って寒かった…。

バレンタインの朝も雪。

夕方になり 帰宅の途につく頃には 雨に変わったけれど。

ん?  あめ

夕刊を取ろうとポストを覗くと、何か大きなものが入っている。

え・・・? 

ここ最近は 見慣れた上に 懐かしい文字。

だって 毎日、見てるもんね~

玄関を開けると同時に叫ぶ。

「おかあさ~~ん! 早く来て~! お母さんに 誕生日のプレゼントが届いているよ! 誰からと思う?

むたゆうじさんから 」

バレンタインの日に母へ届いた 誕生日とバレンタインのダブルプレゼント

むたゆうじさんが書かれた本とCDです。

手作りCDなのだとか

早速CDをオンにして、母に本を読んでもらいました。

いつもなら 私が読み聞かせをする人なんですが、

「音読は脳にいいらしいよ!」 ともっともらしいことを言い??

母が読み始め…途中、喉が渇くだろうから、休憩するだろうと思っていたけど

面白かったので、一気飲み… いや、違う違うっ

一気に最後まで読んでしまった のでありました!

ゆうじさん、博多にも住んでいたんだ~

博多弁、私よりずっと上手なんだ~

実はホークスファンかも?知れない(明日、本人に そっと聞いてみるわっ!

イベントの企画をかって出て、放送室に 侵入し、

当時 大流行したタイガーズ(ジュリー、沢田健二、だよね、漢字あってる?)のヒット曲を

 マイクを持って歌っていたら、

何故か誤って緊急放送ボタンを押していて・・・

駆けつけたクラスメートに 「むたくん! むたくん! むたくんの声、運動場まで聴こえてるよっ!」 って。

運動場はおろか、全教室や職員室にも・・・

当然慌てる むたくん。

放送室に 現れた先生。

無言で見つめ合う・・・? 教師と むたくん

先生は・・・ただ・・・ひとこと。

「むたくん、歌、上手いね

と、お褒めの言葉

パチパチパチッ~~~!

こうして むたくんは・・・シンガーソングライターへの道のりを

あったかい先生達とクラスメイトに囲まれて・・・

歩み始めたんだぁ。

 

子供は褒めて育てよう。

先生の愛を感じる~

それにしても 笑った!

 

お父さんに買ってもらったバイオリン

お友達のウクレレ

物々交換してもらった・・・という むたゆうじくん。

あそこは…あそこだけは、お腹を抱えて笑ったものの、

お父さんに同情しちゃった わたしなのでした

 

先生達や お父さんや お母さん、それにお姉さんに お友達

みんなの愛がいっぱい詰まった楽しい本をありがとう!!!

思い出は宝ですね

 

話は変わり…イラストを描いて下さっている井川誠一さんがブログで 通所施設の利用者さんと地域の子供たちが接する「夏祭り」について詳しい紹介記事を書いて下さって♪

gaogaoさん、ココさん 井川さんのブログのコメント欄に「感想」を頂き、ありがとうございました。

いわお まゆみ 著 「ボクらのこころは なないろきんぎょ」 ← クリックすると井川さんのブログへ飛びます。

 

すず

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Happy Valentine to you all♪♪

2011-02-14 18:18:05 | Weblog

 明け方、おかっての扉を開くと、バタバタッ~~~って紫色のセキセイインコが 視界に飛び込んできた。

いったい何が起こったのか、わけがわからずポカンとする。

瞬きすると同時に目に映ったのは、空っぽになった鳥かご。

あれは…今から15年以上前に我が家で2番目に飼っていたピッキーのカゴだ。

あの日も老衰で 止まり木にも とまれないくらい弱った姿で

鳥かごの上に丸くなっていた。

それでも若い頃のピッキーは 唯一、「おはよう!」 「ちょうどいい!」 と喋る賢いセキセイインコだった。

 今でも夢に出てくるのは 私が17歳のときに天国へ行ってしまった白猫のシ―くん。

つがいだったピッキーとピコの子孫はどんどん増えて、一時期は40羽を超える大家族だったこともある!

同時期に8年も生きた5匹の金魚がいて。

猫がいて。

40羽を超すセキセイインコがいて。

「すずちゃんち、まるで動物園!」

という幼なじみがいて。

「猫がインコや金魚を襲ったりしないわけ?」

って小学生のクラスメート達も不思議がっていたっけ。

うちの猫ね、、、雀を襲っては 芝生の上に転がして、得意気だった。

そりゃあ、私だって、(幼少の頃の むたゆうじさんと同じく) インコのえさをバラまいて、雀を捕まえてペットにしちゃえ~と目論んだ時期もあったけれど・・・。

流石に小学校も高学年になってくるとね。

身を縮ませて、アゴを道路につけて、姿勢を低くしているシーくんを目撃すると、

「やめなさ~~~いっ!」

と シーくんのスズメ狩りを邪魔をしていた。

「もう~~~、シーくんったらぁ。 ヤダよぉ。 スズメを捕まえて、殺しちゃって、その辺に転がして、遊ぶだけなんだから。かわいそうじゃないの!」

そんなシーくんも、我が家で大切にしている インコや金魚には 絶対に手を出さない。

出さないどころか、のら猫のブッチャーや しっぽなが近くをうろつくと、

最初は鳥かごの上で気持ち良さそうに寝そべってはいても、気配を感じるのか。

シーくんは 鳥かごの上から離れず じーーーっとのら猫たちを見張っていた。

そうよね。その前にインコたちが一斉に甲高い声で鳴きだしていたよね。

種族が違う 動物や鳥や金魚たちの間にも

ちゃんと家族って意識が育っていて。

これは子供ながらに 凄いことだ~って 我が家のペットたちを誇らしげに世話していた。

 

弟同然だったシーくんが天に召された日から何年も経って。

そんなシーくんは今でも夢に時々出てきて。

それなのにピッキーも ピコも ピーコも 私の夢に現れることは全くなかった。

それが突然 今朝、 夢に現れたんだもん。

夢だなんて最初は思わなかったし、本当かと思ってしまった~。

ほんとに びっくり!

キッチンに向かって飛び込んでくるのかと思われたピッキーは、その後、ぐるっと向きを変えながら空へ向かって飛んで行った。

鳥かごへ戻るのかと思った。

でも 違ったんだー。

一昨日から タマちゃん、シーくん…なんて話をしていたからかなぁ。

でも。 何故、今、 セキセイインコのピッキーが…?

これは何かも暗示なのかも。

身体を失って魂になっても。

病で身体の自由が奪われたとしても。

こころは何処へだって自由に飛んで行ける。

でもね、ほんとはね。

こんなことを 私が軽々しく言ってはいけないってこと…。

心の底では 分かってる。

だから 何て書こうって ずーーーっと考えてきた。

相手のことを 

色々な状況にある人たちのことを

゛想像゛することはできても 

本当に分かってあげられているとは とても言えないから。

 

折しも今日はバレンタイン。

会ったことがない猫のタマちゃんの孫の孫の孫の・・・猫たちが どこかにいて。

シーくんの孫たちも おばあちゃんちの周辺を今も うろついていて。

普段は忘れかけていたインコのピッキーが 何故か突然 夢の中へ飛び込んできてくれて。

愛情の基本は家庭にある。

そういうことだよね、きっと

 

光子さん、そして光子さんの娘さんへ

" 君の心よ 光れ!"

CDと共に娘さんのメッセージも自宅に届きました。

私の母も65歳。 きっと娘さんと私も同世代だと思います。

" 君の心よ 光れ!"

私にとっても 特別な一曲です。

隣に娘さんが居てくれて良かったです…。

http://mutayuji.web.fc2.com/kikaku.html

私には何もできないけれど、光子さんの゛想い゛が 誰かの心に届けば…と思い、

(娘さんが書かれたお手紙を)こちらにリンクし、紹介させて頂きます。

 

いわおまゆみ

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思い出って…♪

2011-02-13 23:19:22 | Weblog

 一旦、思い出すと、溢れ出てくるものみたい。

私の母が今、こころは幼児期から小学生、そして中学生の頃・・・

はたまた、集団就職が多かった時代、水俣駅で学友と担任教師に見送られ…

故郷を後にした頃。。。

いっぱい話を聴いている最中です。

 私が夜、帰宅し、独りで夕食を食べていると、(母達は帰りが遅い私を待たずに先に食べていたので)

隣の部屋からやってきて、

 「あ、そうだ! あのねぇ。 あんたが仕事へ行っている間、 むたゆうじさんのCDをまた、最初から最後まで じっくりと聴かせてもらったよ! やっぱりいいねぇ。 すっかり忘れていたことも思い出した! 特にガラ拾いは・・・ おじさんの表情までバッチリ思い出したわ。

 それに、今、思い出してみると、男の子たちもガラ拾いにきていたんだよね。 もしかしたら、私とむたゆうじさん、お互いを知らないだけで、近くでガラ拾いしていたかも~よっ!

それは、言えてる! と納得の私。。。

それからね、むたゆうじさんっ!

私も母も今では水俣弁が口から出てこなくなってしまいましたが、(なにせ福岡在住期間の方がずっと長い!) 通訳なしで、水俣弁も理解できますから~。 キャハハハッ!

多分、今頃 スタジオで だと思う。 (勝手な想像

きっと、母ケイコのために、懐かしい~曲を作詞・作曲中なのだっ!

期待しちゃお~

ほんとは、もう一つ、書きたいことがあるのですが (今日書く予定だったんですけど…)

時間がないので、明日に。

では、またね!

すてきなバレンタインをお過ごしくださいませ~

世界中に 向けて いっぱいの愛を

(いうまでもなく人間愛です

なんだかCDを母に奪われてしまったような気がする・・・でも なぜか嬉しい娘、

すずでしたっ!

 

追伸: むたゆうじさん、お仕事頑張ってね。

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ガラ拾いって??

2011-02-12 20:09:41 | Weblog

昨日の続き。。。母、ケイコ解説員)

「ちょっと、あんた、ガラ拾いって何のことか、分かる?」

6曲目のタイトルは、『ガラ拾い』

駅で石炭のガラを拾うって文脈から、なんとなく分かるような、分からないような・・・

う~ん、よくは…

分からんやろ? 分からんよね。 ウチのお父さんも大分の駅の近くに住んでいた訳じゃないし、多分、ガラ拾いなんて言っても分からんと思うよ。

駅の近くに住んでいた人しか、分からんよ。

それもね!

蒸気機関車で石炭をくべる駅。

水俣駅は、ちょうど そんな駅だったんよ。

前に話さなかったっけ?

早朝から起き出して、小学校高学年の最初の頃は、お婆ちゃんに連れられてね。

バケツを持って石炭のガラを拾いに行ったって。

その内、中学生になると、下の妹を連れて行ったけど・・・覚えてるかねぇ、あの子(妹の名)

まだ小さかったから覚えてないかもねぇ…」

確かに、夜明けと同時くらいに起きだして、何処かへ行っていた…という話は聴いた記憶がある。

でも、それが何をしに行っていたのかまでは…その時は理解できていなかったのか、忘れてしまったのか。

昭和30年代に子供時代を過ごした母の、「昔はこんなだった。今は恵まれているよねぇ・・・」っていう話は、結構、興味を惹いて、聴いていた方だと思うんだけど。

はて、『ガラ拾い・・・とな?』

「ガラガラだなんて、ガラガラ蛇みたい

という私に母は、むたゆうじさんの曲のメロディーにのって、 解説を始めたのです!

私達は多々良に住んでいたから、駅から近いじゃない。だから誰よりも早く駅に到着して・・・そうそう! 汽車が止まったら姉ちゃんと…』まぁ、私の場合は妹と、だけど。 バケツをさげて 姉さんかぶりの母ちゃんの』 あ、私は姉さんかぶりじゃなかったけどね。毛糸の帽子だった! 機関車の捨てた石炭の 燃えかすの山に 駅のおじさんが水をまく』 …そうそう! そうだった、そうだった! 確かにおじさんが水をまいていたね。そんなこと、もう忘れてた。」

むたゆうじさんの歌詞に 細かく解説を加え…手振り身振りで喋りまくる母、ケイコ解説員。

「ねぇ、ところで 姉さんかぶりって、何? 最初は お姉さんらしく??ってことかと思ったけど、毛糸の帽子だった…?」

「あぁ、姉さんかぶり、知らんかね。 頭に白い布をかぶって畑仕事したりする女の人が昔はたくさんいたやろ? あれよ!」

にゃるほど・・・

どうしてだろうか 駅のおじさんは いつも待ってる僕たちを にがく見おろしていた』

「そうそう! おじさん、いや~そうな顔してた! してた! 自分たちは勤務中で ガラ拾いたくても拾えないからね。 あれ、助かるのよ。燃料になるから。家計の助けになるから、拾いに行ってたのよね。長女の使命感に燃えて」

「おじさん、自分が拾えないから、悔しかったんじゃないの? ぎゃははははっ~!!! それにしても…むたゆうじさん、よく覚えてるね。観察力あるわー 私、もうすっかり忘れてた…」

まだ 燃えそうな クズになった石炭を となりのおばさんに 取られないように… そうよ! そう! 石炭の山をおじさんが運んできて山のようにひっくり返すんだけど、競争なのよっ!! 大人は大きいから上から取るのよっ! 大きなガラを見つけると、すっごく得した気分になって、大人のおばさんたちに横取りされないように 必死で拾ってた、拾ってた! 

それにしても、むたゆうじさん、観察力あるね(その後、同じ台詞が 歌詞のフレーズが流れるたびに、何度となく繰り返す母、ケイコ解説員だった・・・!

 

相変わらず、歌詞カードは、母に取り上げられたまま・・・

曲目は 『とんとん川』

母が必死に解説している間、CDも終わったので、また、最初から聴いて見る私。

「あ、また、最初からね、うん。そうやろ。いや~懐かしいねぇ」 と上機嫌の母。

ガラ拾いの解説が終わると、『とんとん川』の解説が、今度はジェスチャー入り、しかもね。

スカートまでまくりあげてね~! ちょっと、お母さんっ! 何してるのよって聞いたら、

川に入って遊んでいるところ」 だって!

昔は、こんな風に スカートが水に濡れないようにしてから、川の中に入って遊んだって。

水に浸かった足に ハゼがぶつかって、くすぐったくて、捕まえようとすると、しゃがみ込むからお尻が濡れちゃうんだって!

「むたゆうじさんの歌詞の通りよ!」 と、それはそれは大はしゃぎでしたわぁ~

私が印象に残った曲は、『明日歌』 娘さんが生まれた時の歌だなー。

赤ちゃんを(幼児期でも)寝かしつけて、寝顔を見ていると、こんな穏やかな気持ちになるよね、うん。

そうなの。 眠りながら笑ってるよね。 まぶたがピクピクって動くよね。 どんな夢をみて、どんな人生を歩んでいくのだろうって 愛おしくなるよね。 (ゆうちゃ~ん! 私が想うのは ゆうちゃんですが… ここは母の解説いらない

そして、とうとう。。。

母ケイコ解説員も山場を迎え~

最も熱かったのは、9曲目の

『ただそれだけ』

母曰く、「これはね! 窒素が水銀を海に流したりして自然が破壊されたことに対する むたゆうじさんの怒りの歌よ!

ほらっ! ここ、ここっ!

家のすぐ裏山の林が裸にされる 大きな工場のために すべて奪われてしまう

母ちゃんと耕したことも 汗がしみ込んでいる土も みんな想い出に変わる 海へとしずんでしまうよ

人が生き延びるために 必要なことですか  …って、むたゆうじさんが問いかけているでしょ? ほら! いつも優しい声で歌ってるのに、この曲だけは、声が激しいじゃないのっ! これは むたゆうじさんの怒りだって!!!」

 

そして2度、最初から最後まで通してCDを聴いたあと、もう一度だけ・・・「むくもりの詩」

この曲だけ昨日の段階で3階、聴きました。

まだまだ母の解説および、想いで話しは続行中でしたが、、、

最終曲の 「むくもりの詩」には むたゆうじさんの御友人、詩人の 神谷 恵さんによる(私は存じ上げておりませんが) とても素敵なメッセージが掲載されています。 『友 むたゆうじへ』 全文紹介したいけれど、いつか手に取って読まれて下さいね。 深い友情を感じますから…Lots of love

http://mutayuji.cart.fc2.com/  ショップはこちら

曲の解説から想い出話に変わったころ、ようやく母も歌詞カードを手離したので、CDジャケットに書かれた文章を読みながら、もう一度、「ぬくもりの詩」を聴いてみたかったんです。 ラストにふさわしい曲をありがとうございます

 もうひとつ、皆さんにお話したいことがあるんですけど、次回に。。。

むたゆうじさん、たくさんのメッセージ、ありがとう

すず(まゆみ)

 

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Happy Birthday -今日は君の誕生日 -

2011-02-11 18:43:39 | Weblog

   今朝、やさしい雨音と共に  いつもより早い時刻、郵便物が自宅のポストに届けられました。

キャッ!! かわゆい字

あ・た・し・ 宛てに・・・です

誰からかな~八代? あ! むたゆうじさんだっ!

昨日の午後、郵便局の窓口から 先週、むたゆうじさんのHPショップから申し込んだアルバムの代金を入金したばかり。

最近、振り込め詐欺を警戒して・・・でしょうね。

ATMから入金できなかったの。 「お取り引きは出来ません。窓口へ・・・」というご案内。

研修&仕事が終わってからだと、営業時間終了で窓口は閉まってるのよねぇ。それで遅くなっちゃいました。

早く聴きたい~と思っていたのに。

建国記念日から3連休なので、自宅に届くのは早くて4日後かなぁ~って思っていたんです。

そうしたら・・・翌朝 届いて感激するやら驚くやら。 もう~びっくり!

わたし、日本とオーストラリアで接客業長かったけど、こんなにスピーディーな対応は出来なかったです。

ほんとうに ありがとうございます

ドキドキわくわくしながら封を開けます。最初に手に取ったのは・・・

1994年9月30日リリースのアルバム、Happy Birthday ― 今日は君の誕生日 ― 

 懐かしいーっ! 

初めて むたゆうじさんに母校で行われたコンサートで お会いしたとき、そうそう! こんな感じでした

ちょっと古いけど、昔の野口五郎も、今でも大好きなChage&Askaの飛鳥涼も、当時は風になびく髪~

セピア色のアルバムジャケットが またまた時間の流れを感じさせてくれます、うん

撮影場所は、水俣駅かな。

子供の頃、水俣駅の線路つたいにトコトコと歩いて 従妹達と一緒に薄暗くなるまで よく遊んだなぁ。

踏切の音が鳴り出すと、急いで跳びのいたりして

しばし生まれ故郷水俣へ心はとびます。

「アルバムにサインをして下さいね」ってお願いするの、忘れちゃった…そう思っていたのね。

そうしたらー

みてみて!

深謝!

  いわおまゆみ さん!

     むたゆうじ

  アルバムを開けると、そこは深い、ふかい海のいろ。

    天まで届く空のいろ。

      かつての輝きを取り戻し

         いきものたちも戻った、、、

            水俣の うみのいろ・・・

 

CDプレイヤーにセット完了。

最初の2秒のイントロで、「あ! 君の心よ 光れ! だわっ」

こちらのブログでも紹介させて頂いた、『君の心よ 光れ』が1曲目に収録されていました。

(皆さん、たくさんの視聴、ありがとうございますね。最初に私が見た5日程前は207でしたけど・・・昨日は252でした)

2曲目は、このアルバムのタイトルにもなっているHappy Birthday ― 今日は君の誕生日 ―

ギターの弾き語りも素敵だけど、『きつね達への賛歌』のような "バンド演奏&むたゆうじ" も新鮮でGOODです!

3曲目はポップな楽曲で、へぇ~って思いました。

ここまでは独りで聴いていて、「しんみりと」聴く予定だったんだけど。

4曲目の 『帰ろう』が流れだしたとき、事件が起こりましたっ!

「野原をかけぬけて…って、むたゆうじさんのお母さんは のびのびと育てたんやねぇ

隣の部屋からやってきた 母に 歌詞カードを取り上げられましたっ 

そしてー

「なに? ハッピーバースディー? むたさん、私の誕生日が今月2月6日って知ってたんやね これは私のためのCDよっ!

おっ・・・お母さん。 いんぐりっしゅ、苦手じゃなかったん? おばあちゃん宅の倉庫から23年前に出てきた夏休みの英語の宿題ノート、間違いだらけやったけど・・・? はっぴぃ ばーすでぃ、これは読めるんやね。

あたし、独りで しんみ~り 聴こうと思っていた予定は×

その後は と~っても賑やかに

もう~母は喋る、しゃべる!

しゃべりまくりっ!

母の解説付き

騒々しく聴くことと なったのでありました。。。

 

「ちょっと…お母さん、これ、あ・た・し・のCDだからね。お母さんにはちゃんと、誕生日ケーキ → 証拠品用意して食べちゃったし。あとで ちゃんと返してね

 

明日以降へ・・・続きますぅ 

 

むたゆうじさん、親子で楽しんでます! いっぱいありがとうです

キュートなキューピーちゃんも。

早速 使わせて頂きます

まゆみ

 

 

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作者の私が"ほっこり、にっこり "

2011-02-10 14:36:03 | Weblog

 お礼が大変遅くなってしまいましたが…

『ボクらのこころは なないろ金魚』に感想を送って下さって、ありがとうございます。

皆さん、きっと とてもお忙しいでしょうに、時間を割いて目を通して頂いた上、

こうして感想を書いて下さって、嬉しいかぎりです^^

 

 感想を読みながら、私の方が「ほっこり」し、真夏の日差しを感じました。

みなさんなら、どんなお話に仕上げるのかなぁと、その文章力に こちらもワクワク。

色々なご意見を伺いながら、作品の方が トコトコと歩き出しているような不思議な感覚。

きっと、みなさんの力で、もっと生きてくるのだろうなって思います。

 

 エンディングは…そうだね。

がんばったヒロさんには、「ボク」のきんぎょ、1つ分けてあげようかなっ

 

 

 

 http://goodbook.jp/newpage54.html 作品は こちらから読めます。

 

 

 

ボクらのこころはなないろ金魚

 

ボク目線のお話ということで、障害者のボクが楽しそうにイベントを
過ごしたのが伝わりました。そういう視点で物を書くというのは
すばらしいことだと思います。
これからも応援しています。頑張ってください。

 

ただ、小学生向けということで、小学生にこの視点でボク目線の
気持ちが伝わるのだろうか。。。大人の私にはボクの気持ちがわかりました。
読み終えてほっこりした気分になりました。

 

 

もうひと方。。。

 

 

 

夏祭り・・・

冬まっただ中の今読んでも、

夏のおひさまを感じ、

光や色を感じるような情景が目に浮かびました。

青空から夜空へ、そして花火。

水面に映る花火の表現がきれいで、

ここは絵本の醍醐味が味わえそうですね。

バン、バン、バン、というヨーヨーの音!

そうそう、まるで聞こえるような気がします。

情景が生き生きと描かれていて、

楽しさが伝わってきました。

 

「大人のボクは 言葉が上手に話せません」とありますが、

絵本で語る「ボク」はむしろとても表現力があって、

子どもからみると語彙も豊か。

子どもたちが実際に接したら感じるであろう「ボク」と、

絵本のように語られた言葉を通じて感じる「ボク」。

そこをいかに近づけるか・・・

 

最後は、なんとかひとつでも金魚かヨーヨーがヒロさんのためにあったらなぁ~

と、思うのは私だけ?

ちょっぴり大人向け(?)のエンディングかなと思いました。

 

 

 

話題は変わりますがー。

 

昨日の記事に関するメッセージ、ありがとうございます。

 

おこさんもECCに通っていらっしゃるのだとか。

 

名前は公表しない方がいいのかな。

 

いつもお世話になっている読者さまです。

 

3年前の記事にも目を通して下さって、ありがとうございます!

 

そして翔くんの気持ちに優しく寄り添って下さってありがとう。

 

お優しいお母さま。

 

 > (略)・・・親は先生のお気持ちを分からずにいろんなことを要求しています。

お心遣いありがとうございます。

 

親御さんと生徒さんと先生と、何でも相談できる関係がベストですよね。

(最近、話題になるモンスター  parentsでなければ)

 

お子さんと先生と英会話を楽しんでくださいね!

 

帰宅後、あらためてメールします。

 

まずはお礼まで。

 

ありがとう

 

 

すず

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小さな一歩 作詩 小曽根俊子  作曲 無田雄二

2011-02-08 19:25:19 | Weblog

 昨日は シンガーソングライター、むたゆうじさんや、「小さな一歩」に関する たくさんのコメント、メッセージ☆ そしてメールを頂きました。皆さん、こんなに関心を持って下さってありがとう。 そして・・・私が もったいぶって、すぐに 「小さな一歩」の詩をここに紹介しなかったから(苦笑) 検索して探したよ、という方もいたりして。 ごめんね。 今からここに書くね。 では、じっくり読んでね。 そして何かを感じて下さいね。

お待たせしました!

ゆうじさんがメールで送って下さったまま、こちらに掲載させて頂きます。

6回全国わたぼうし音楽祭 わたぼうし大賞受賞

小さな一歩

作詩 小曽根俊子  作曲 無田雄二

そこに光が輝いている
心にひびく鐘が鳴っている
ほらごらん
君のそばを きらめきながら
時が流れている
指でたどる文字に
瞳で受ける言葉に
人は愛を感じ
ほほえみに包まれてゆく
今 すばらしい歴史の中へ
小さな一歩を踏み出そう
そこに風が吹いている

心にしみる歌が聞こえている
ほらごらん
燃える命が きらめきながら
時を刻んでいる
君のひたいの汗に
君の生きる姿に
人はいのちを感じ
やさしさに目覚めてゆく
今 ひらかれた大地の上に
小さな一歩を踏み出そう
今 すばらしい歴史の中へ

小さな一歩を踏み出そう

むたゆうじ公式ホームページ
http://mutayuji.web.fc2.com/
公式ブログ
http://mutayuji.blog135.fc2.com/

 小曽根俊子さんについては こちら↓↓

http://www.h2.dion.ne.jp/~you3/tokko%20main.html

 

この曲を歌う むたゆうじさんに会った時、 

15歳の私は思いました。

「あんな大人になりたい!」

 

あの日から 何十年も経って、

再び むたゆうじさんが 歩んでこられた道のりを知った時

?歳の私は思いました。

 

「彼こそ 本物だ!」

あの日と変わらぬ志で

福祉に携わりながら

音楽活動を継続されていて

そこには何の迷いも ぶれも ないようで…凄すぎる!

15歳のときの私も 今の私も 

恥ずかしい自分と向き合いながら 静かに感動していました。

「あんなふうに人生を歩み続けたい…」

感動の渦で胸がいっぱいになって

むたゆうじさんに関する記事をアップした翌朝、編集長が日記に書いていました。

以下に引用します。あ、編集長から許可は得ていません。でも、いつものように許してくれますとも、きっと。だって編集長、口は悪いけど(?)心は優しいから(爆)

 "感動という言葉には、いろんな種類があります。その中で以外と見過ごされるものがあります。それは”継続”です。例えば、日記や詩を何十年も継続して書いている人がいますが、それそのものが感動だと思います。
一夜にしてスポットライトを浴びるシンデレラボーイやシンデレラガールを夢見ている方も多いのかも知れませんが、そのスポットライトが消えてしまうと、そこは又、闇夜なのです。継続という感動には、確かに華やかさはありませんが、やがてそれがアナタ自身の力になり綺麗な花を咲かせる時が、きっと来ます。"

私は10歳から童話を書いてきました。(初めて書いたときは9歳だったけど、毎日のように1作品ずつ書くようになったのは、10歳から)あれから さんじゅうすう年たって…あ、トシ バレる!(爆)
自分の文才の無さもさることながら、それ以上に大きなものをこの数日間で学びました。 

「あんな大人になりたい!」

 

15歳のとき ゆうじさんの歌を聴きながら強く思ったように。

 

そんな 憧れの人の 人生の歩み方を 目標にしながら

 

これからの人生を 大切に 歩んでいきたい、そう思うのでした。

 

皆さん、むたゆうじさん、心から ありがとう。

 

 

すず

 

追記:

 

 

指でたどる文字に

瞳で受ける言葉に

人は愛を感じ

ほほえみに包まれてゆく

 

ここの部分を今、あらためて読むと…

 

15歳のときとは違った気持ちに包まれる

 

それは あのときは 浮かばなかった 

 

たくさんの笑顔が、表情が、泣き顔が

 

具体的に リアルに いっぱい思い出せるからだね

 

みんな 元気?

 

あたしは おかげさま…です^^

 

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人生初コンサート むたゆうじさん♪

2011-02-07 01:28:56 | Weblog

  あれは高校受験を控えた中学3年生の時だった。

音楽の先生が御自身の教え子であり水俣を代表するシンガーソングライター、むたゆうじ さんを母校へ招いた。

水俣第3中学校体育館で開かれたコンサートは、私にとっては人生初のコンサートだった。

私は運よくチビだったため、前から2列目という、ほぼ最前列の特等席で、ギターを弾きながら歌う、むたゆうじさんの姿を見いっていた。

語りかけるような優しい声とギターから生まれる旋律の曲は、一直線に こちら側の心に届く。

中でも一番、心に響いた曲は、「小さな一歩」だった。

 

いま 新しい 歴史の中に

小さな 一歩を

踏み出そう

 

当時、15歳になったばかりで、思春期 真っただ中だった私。

都会からやってきて、ちゃんと県立校に入れるか、落ちれば私立高校 それは世間の恥

そんな人生初の "受験生" という重圧がのしかかってきて、クラスメイトがみな、競争相手。

振り落とされるか、合格できるか

いつも同じ教室の中にいて 

クラスメイト達は ライバルであり 同時に仲間

心は いつだって振り子のように 不安定で 臆病で 

いつも何か目には見えない何かに追い立てられているようで

ふっと消えてしまいそうなくらい 

何が本物で なにが偽物なのか

いつも不安で怯えている

そんな思春期だった

 

そんな時期だったのだ。

むたゆうじさんの 母校でのコンサートに耳を傾けたのは。

ひとことで言うと、こころが震えた。

何も体育館が冷え冷えとしていたからではない。

目がみえない

耳が聴こえない

だけど こころで見える

目で聴こえる

そんな 特技を持った子供達のことを 歌う むたゆうじさんに 歌に 心に 

静かに感動したのだったー。

 

「こんなに熱心に聴いてもらったのは、初めて」

コンサート終了直後、むたゆうじさんは、私達、後輩である生徒達の前で言った。

アンコールも忘れるほど、 立ち上がれないほど、感動して動けなくなることってある。

こんなことも…あるんだ。

 

一週間ほど経った頃だっただろうか。

中学校でのコンサートのあと、水光社(生協スーパー)の駐車場を貸し切って、コンサートが開かれると聴き、叔母と二人で跳んで行った。

中学校で むたゆうじさんのコンサートを聴き、感動しまくった私は、帰宅後、早速、祖父母や叔母に一気に喋ったのだ。

「あぁ、無田さんの息子さんやろう。しっとる、しっとる!」

驚いたことに、祖父は言う。

「え~? おじいちゃん、むたゆうじさんを知ってるの?」

「息子さんやろ。**町に住んでるむたさんの。直接は知らんけど、水俣は狭かけん、お父さんなら知っとる」

「子供達のことを歌った曲が殆どでね・・・凄くいいんだ!」

叔母は大変興味を示してくれ、「じゃぁ、私もコンサートを見に行く!」 と一緒に来てくれたのだった。

 

この時も、前の方の席を陣取り…むたゆうじさんが歌う、一曲、一曲に聴きいった。

体育館で体感した 心の震え、今、再びの感動を最初の一曲からラストの曲まで、噛み締めていた。

今回は、ストレートの長い髪がなびく、キュートな声でしゃべる奥様のマリさんも一緒だった。

(あ~もう、あんなに可愛い奥さんがいるんだ~)って思ったっけ。自分は中学生だったけど(苦笑)

 

サインを貰おうね! 叔母とは、コンサートへ出かける前に、そう話し、スケッチブックを持参していた。

そしてコンサート終了。

急いで、むたゆうじさんの後ろ姿を追いかける。

声をかける勇気が無かった私に代わって、叔母が声をかけてくれた。

「あの・・・サイン、して頂けますか?」

叔母の声に、私もハッと我にかえり、手に持っていたスケッチブックを差し出した。

むたゆうじさんは、「恥ずかしいから、車の中で書いてこよう。ちょっと待っていてくれる?」

というと、はにかんだように笑った。

あ~、笑ってくれた! 私に、いや、私達にほほ笑みかけてくれた!

天にも昇る気持ちって、こういうのを言うんだ。

15歳の少女には、夢のような、いや、夢以上に夢心地な出来事だった。

 

しばらくすると、むたゆうじさんがスケッチブックを手に戻ってきてくれた。

当時、33歳だった叔母と、15歳の思春期だった私と、すっかりミーハーだ。

スケッチブックを受け取ると、そこには詩が書かれてある。

名前だけじゃなくて、詩を書いて下さったんだ・・・ 私の、一人のファンのために・・・?

じわじわ~っと、再び感動が押し寄せる。 

その隣では、「握手して下さい!」という叔母のリクエストに むたゆうじさんは、ニッコリ笑い、かたい握手を交わしていた。

勿論、私も おこぼれを・・・。

十代の私には、手を差し出すことすら、なんだか、気恥ずかしかった。

手を差し出していいものか、引っ込めてしまいそうな手を むたさんは、しっかりと力強く握りしめて、握手してくれた。

受験、頑張れよ! 握られた手から、そんなメッセージが伝わってきたような気がした。

受験は人生の通過点に過ぎない。

失敗したら、 人生、そこで終わる訳じゃない。

そんなことさえ気付かずに とてつもなく大きな山が行く手を遮っているかのように 受験を捉えていた私。

 

そんな私を「あのとき」 も。

そして、 「そのあと」 も。

頑張るんだーと支えてくれたのが、むたゆうじさんが書いてくれた詩だった。

 

春の訪れに

喜びの うたを 

こころの底から 歌っているのは

怯えるこころを 抱きながらも

辛い冬を乗り越えたものたち

君の心よ

光れ!

むたゆうじ

 

 

 ・・・と、ここまで数日前に書いていました。

詩の一部を書くので、御本人に許可を頂かないと…

そうだわっ! 今の世の中、"検索機能 " という便利なものがあるんだ、と思い立ち、検索するとー

辿り着きました! むたゆうじさんの公式HPに!

早速、メッセージを送信するとー

前日の記事にも書きましたが、心温まるメールを頂きました。

「むたゆうじさんのことをブログに書かせて下さい」とお願いしたものの・・・

今、読み返すと、きゃ~ やっ・・・やっぱり、御本人に読まれるのは、恥ずかしいーっ

と思うのでありました。

そして・・・

ずっと知りたかった、「小さな一歩」の詩を書いて下さっていました。

次回、御紹介しますね。

 

すず

 

 

 

 

 

 

 

 

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ゆうちゃん♪♪

2011-02-05 01:11:33 | Weblog

     

 

 2月5日です^^

最近、プロ野球界では、「ゆうちゃん、ゆうちゃん!」

私の甥っ子、ゆうちゃんも元気です。(写真はクリスマスイブに登った京都タワーにて)

 

 今さらですけど…キャンプイン!

始まりましたね、宮崎キャンプ。

鳥インフルエンザに火山の噴火。

宮崎は大変な事態になっていますが、ホークスをはじめ、巨人、西武の3球団が、キャンセルせずに今年も変わらず宮崎の地でキャンプを行っている様子に、ほっとしています。

選手の皆さんが きっと元気を与えてますよね。

  3日の節分。

私にとっては頭痛がひどくて、何とも情けない節分の夜となってしまいました。

でもでもっ 秋山監督が恵方巻きを頬張っている姿が毎日新聞に掲載されていて、笑っちゃいました

昨年、大きなサイズを宮崎で食べきって、リーグ優勝したので、今年も頑張って特大サイズを食べたんですって。

これでホークス日本一間違いなし!

 宮崎といえば、もう一つ、個人的なニュースがあるの。

今日、「当選おめでとうございます!」 はがきが自宅に届いていたんです。

何だと思いますか?

日帰り旅行が またっ! 当たったんですわよ~

しかも、行先は宮崎へ バスハイクの旅です

それにしてもー。

よく当選するなぁ、3万円の旅行券に始まり…「○○ 旅行!」

 勿論、今回も、数年前と同じく、西村副店長の御実家も 観光の目玉。。。なんてのは冗談ですが(意味が分からない方、御免なさい。4年半前からの読者さまにしか、理解できないですねぇ) 今回は、宮崎県高千穂です。

宮崎キャンプじゃないけど、再び憧れの地、宮崎へ行けるのは、とっても楽しみ。

宮崎には二度行きましたが、何度行っても素敵な場所。

空気が澄んでいて、緑も濃い。

一日も早く鳥インフルエンザも火山もおさまり、宮崎市民の皆さんが元の暮しに戻れることを願っています。

 

すず

 

追記: 毎日ブログを更新するって、結構、しんどいですよねぇ。 昔は毎日やっていたことなのに、しばらくやらないと、どんな感じだったか すっかり! 忘れてしまってました(苦笑) まもなく井川誠一さんのイラストも出来上がるそうです。 でもでも。無理せず、お大事にねっ、井川パパさんっ。

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