「グラックス兄弟」 スキピオ亡き後、孫にあたるグラックス兄弟が歴史に名を残す。
紀元前2世紀半ば、カルタゴ滅亡後、ローマは地中海世界の覇者と呼ばれるようになっていた。ただ一つ、信じがたいことは… あの名将スキピオ・アフリカヌスの「その後」だ。彼は、哀しきかなローマ内部の人によって、あらぬ疑いをかけられ、引退し、故郷ローマを離れることになる。ローマのために尽くした彼が… 身体を壊し、亡くなるのだが、自分の遺骨はローマの地に眠らせないでくれと言ったらしい。このことには触れずにいたかったが、そういうわけにも… 。そして スキピオの名前こそ名乗らなかったが、彼の孫であるティべリウス・グラックスは、若くして護民官となり、内部から病み始めたローマの改革に乗り出す。権力を持ちすぎてしまった元老院を改革するため次々に法を提案するのだ!公共事業の発注を仕事に含む財務官に選ばれた彼は、建設事業の発注が一部の業者に偏るのを禁じた法律を可決させた。日本にも見習って欲しいものだと思う。 また、5歳以上の息子を持ち、ある程度の資産(正しくは覚えていない、、、著書には記述あり)を持つ解放奴隷には、ローマ市民権取得の権利を認めた法を可決させることに成功。 こうして解放奴隷の人達もローマの平民と同じ権利を与えられ、同じく義務を追うことになり、いわゆる新市民が多く誕生したのだった。
しかし彼は30歳という若さで殴り殺されてしまう…農地改革に反対する派と正面からぶつかった末の事故…というべきなのか…改革道半ばでの死だった。どれだけ心残りだったことか…。しかも護民官としての在任期間はわずか7か月だった。その短い期間に多くのことを成し遂げようとした彼は流石スキピオ・アフリカヌスの孫だと思うが…。その後、兄の農地改革を推し進めようとした9歳年下の弟のガイウスもまた、内なる敵により殺されてしまうのだった…。なんてこと… 二人の無念の死をスキピオも天国で悲しんだに違いないが、著者の七生さんはいう。
「ティべリウスとガイウスのグラックス兄弟は、兄が7か月、弟は二年の実働期間しかもてなかったにしても、成長一路であった時代を終えて新時代に入ったローマにとって、最初の道標(みちしるべ)、つまり一里塚を打ち立てたのである」
「結局は(ローマは)兄弟が建てた道標の示す道を行くことになるのだから」(6)(P110)
ところで、二人の母であるコルネリアは、アフリカヌスの娘でもあった。そんな彼女は理想の女性像として、ローマ人から肖像を掲げられているそうだ。女性の地位が低かった古代ローマにおいて、珍しいことだったらしい。
そしてー
ローマの混迷は、カルタゴのような ローマの 「外」にではなく、「内側」にこそあった、という史実が、6巻、7巻で語られている。グラックス兄弟がなしとげられなかったことを簡単に成し遂げたのはマリウスだった。それらについては、ここでは省くが、この間、英語名では、ジュリアス・シーザー、ローマではユリウス・カエサルが誕生してくる。 私の場合、シェイクスピアの影響で、ジュリアス・シーザーという方が正直、ピンとくるが、今後はローマ人なのだから、現地語で呼ぼうと思う(苦笑) 今から二年前、シェイクスピア劇、「ジュリアス・シーザー」の舞台を両親と一緒に見に行き、強烈な印象だったが、古代ローマの歴史の流れを知らずに、劇を見たことが今となっては何とも悔やまれる… いずれにせよ、遂に (8)巻から始まる新たなローマの歴史を楽しみに読もうと思っている。
ここから話題が変わるが…
最近、「高齢者レク 英会話」 「障害者レク 英会話」 etcといった検索ワードで、このブログに辿り着く方が、毎日平均3アクセスほどある。 「体操レク」も。 体操レクなら、全国どこの施設でも行われているだろうから、特に不思議もないものの、 高齢者レク 英会話_? そんなに高齢者向けの英会話レクリエーションが盛んなのだろうか…と不思議に思う今日この頃。 この一、二年で この検索ワードが急激に増えた気がする。 体操レクのシナリオも、英会話レクのシナリオも 無い知恵を絞りだして考えた末のものだったが、どのくらい役に立てているのだろーか
そして今日、高齢者の皆さんの笑顔に迎えられ、数か月ぶりに「英会話レク」を行ってきた。それが終わると、とんぼ返りのように小学校へ。 高齢者と小学生。関わる人々は変わっても、元気を頂いた、という点は変わらないと思う、そんな一日だった
明日はECCジュニアの研修で小倉へ行ってきます~